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[暮らしっ句]ソーダー水1[俳句鑑賞]

頬杖をして遠く見てソーダ水  松岡隆子


昭和の恋人たち編

 こはれさうな恋 と 同席ソーダ水  谷口みちる

「こわれそうな」というのは、別れの予感ではないですね。そもそも「恋」のときめきは「こわれそう」というところにある。たとえれば、花。なので「こはれさうな恋と同席」は「恋」を初々しく経験している幸せの瞬間。
 わかったようなことを云いましたが、今頃、気づきました~
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 気づくまで待つことにする ソーダ水  あさなが捷

 こちらは、おつきあいの安定期。待ち合わせ場所に彼女がやってきたわけですが、時間が早かったせいか、探す素振りもなく、すまして飲み物を注文。文庫本なんか開いてる。もっと先に来ていた彼氏は声をかけることなく彼女がこちらに気づくのを待ってる……
 それがどうした? そんなことも物語になるのが「恋」~
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 木陰にて 二人で一本 ソーダ水  谷春菜
 ソーダ水 イヤフォン分かち 恋のうた  横内かよこ

 誰ですか? 赤面しているのは~
 中年くらいだと、かえってそんな記憶は封印してるかもしれませんね。
 高齢になった方が思い出してしまうものかも。
 はい。封印だって老化で緩むんです~
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 ソーダ水 飲んでる二人 ペアルック  松井治美
 ソーダ水 両手伸ばせば 届く恋  高田令子

 コメントするのも野暮というもんですが、ここには内面がありません。カタチで浮かれてる感じ。「ペアルック」は云うまでもありませんし「両手伸ばせば届く」というのも彼の「手」と「心」を同一視している。もちろん、錯覚、幻想です。心に簡単にふれられるなら苦労はありません。
 この後、おそらく一度絶望して、それから違う者同士がうまくやっていくことを考えるようになって大人になっていくわけですが、それでも「あの頃はよかった」と思ってしまう… 何なんでしょうね?

 あ、一つ閃き。未熟と発酵は「酸っぱさ」が共通している!
 歳をとって「あの頃」が 妙に思い出されるのはそのせいだ~
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 ソーダ水 ストロー二本交差して  中山純子
 ストローを からませてゐる ソーダ水  福島せいぎ
 かきまぜてばかり 二人のソーダ水  青木朋子

 お小遣いの限られている若い二人。喫茶店だと二人で一杯というわけには行きませんが、遊園地や公園の売店でなら一つを二人で、ということもあるでしょう。店員が気を利かせてストローをもう1本つけてくれたりすれば、それだけでエピソード。
 それが二句目になると、ストローが心を語り出す。「ストローをからませてゐる」、実に微妙な空気感。これだけではわかりませんが、三句目と比較すると、違いがわかります。
「からませている」と「かきまぜてばかり」、似たような言葉ですが「間」が感じられるのは三句目。それに比べれば二句目は、じゃれ合ってる感じ。
 ただ、そこは子どもではないわけで、じゃれあっているようで、試されてたり、試してたりする。そのスリルもまた恋の愉しみ?
 ちなみに三句目の「間」は、出会ったばかりで距離が詰められないという「間」なのか、それもビークを過ぎて心が離れ始めたという「隙間」なのか。これは読み手の経験や性格によって決まるかもしれませんね。わたしは何の疑いもなく後者だと思ってました。今、校正してて、そうとは限らないと気づいたという。虎馬……
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         最後は、健康句

 コップよりストロー短か ソーダ水  吉田希望

「何このストロー! コップの底まで届かないじゃん!
 ていうか、ストローから手離せないじゃん!」

 わたしの見立てでは、作者は女性であり、この場面は、男性と一緒。
 でも、このあっけらかん! 素晴らしい~
 恋が不健康だと云うことではなく、メリハリは大事。

わたしは忙しいんだ!
そんなことばっか考えてられるかっ!




出典 俳誌のサロン 歳時記 ソーダー水
歳時記 ソーダー水
ttp://www.haisi.com/saijiki/souda.htm

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