[作文]初めて親指を立てた日
今朝、要介護者を散歩させていて、車椅子の若者と出会った。今回で、三度目くらい。
彼は自力では動けない。見かけたのは、福祉サービスのクルマを待っている時だ。部屋から玄関までの移動は、お母さんが車椅子を押して庭先を通る。
ジロジロ見るわけにも行かないので(しかも目が良くない)、チラ見の印象だが、脳性麻痺か。片手は曲がりくねったまま。片足は伸びきったままで、車椅子にも斜めの姿勢。もしかしたら、補助具で固定されているかもしれない。
となると、デイサービスなのか共同作業所なのか、そこに出かける以外は、ずっと部屋の中にいるのだろう。ただ部屋の立地は悪くない。放置されている畑に面した部屋で、畑の向こうは資材置き場があったり、縦に道が延びていて、かなり遠くまで見渡せる。こっちが神様に感謝したいくらいの好環境だ。建て込んだ場所、景色の見えない部屋で過ごすのとは全然、違う。
彼を一目見て、なんとなく親しみを感じた。お母さんの方は、うつむき加減が身に染みついていた感じだったが、若者のほうは、ややひねくれた感じだがタフそうに見えた。
今朝は、たまたまうちの要介護者がそのお宅の玄関の前で立ち止まったので、チラ見ではなく視線を止めることができた。距離は十五メートルくらい。要介護者とそれくらいの距離を空けて散歩しているので、そうなった。
目が合ったので。手を振ってみた。
すると、彼がニヤリと笑った。
笑顔、ではない。ニヤリなのだ。
思った通りの性格のようだった。
ここで、顔をそむけられるとたぶん相性が合わない。
こっちもすぐさま軌道修正した。
手を振るというのは相手を子ども扱いするようなもので、彼には合わない。とっさに、親指と人差し指で丸をつくって見せた。
オーケーサインである。ったく自分のキャラではない仕草だったが、手を振るよりはマシだ。
すると、彼も手を動かした! 動くほうの手も高くは上がらないようで、腰の辺りの高さだったが、確かにオーケーサインで応えてくれた。
こうなると、目に見えない情報がどっと通い合う。
もっと彼にふさわしいサインがあるはずだと思って、
拳を握って、親指を立てて見せた。
書いていて赤面するくらい自分には似合わない仕草だったが、彼にはそれがふさわしいと閃いたのだ。
すると、すぐさま彼もそれで応じた。
腰までしか上がらないと見えた手は、胸の高さまで上げられて、しかも親指を立てた拳が、グッと突き出された!
ヒュ~と思わず、口笛を吹いてやりたくなったが、さすがにそこまでは出来なかった。でも、ほんとそうしたいくらいカッコよかった。彼にはそのポースがひじょうによく似合っていた。きっと彼の内面は、ロックなのだ。
家に帰る途中、漫画本でも差し入れてやろかとか、子どものようなことを思った。厳しそうなお母さんが何というかと気になったあたり、本当に子どもの考えることだった……。