校正版「古池や…」の句は暗号だった! 其の一[俳句ミステリー]
古池や 蛙飛び込む 水の音
最も有名な俳句であり解説も山ほどありますが、少し変わったお話が出来ればと思います。無学な素人なんですが、専門家も全否定は出来ない、という程度には持って行きたいところ。
もう一つ、前置きをさせていただくと、
昔の歌には、意味が二重三重、時には、それ以上に意味がある、とわたしは理解しています。恋愛の歌が、実は政治的な発言だったりする。政治家の歌に政治の話が無いわけがない(昔の政治はマツリゴトであり、今の政治と違うところは多々ありそうですが)。
ところが、歌に託された政治の話というのは秘史なわけです。隠された真相。そこを掘り下げれば正史に挑戦することになります。端的に云えば、正史=現皇統、秘史=皇統のスキャンダル、ということになりかねない。
何が云いたいかと云うと、専門家ではないから云えることもある。
なので、定説やガイドブック的な解説しかご存知なかった方には、新鮮な部分があるかと。
◇ ◇ ◇
古池や…… の句の成立時のエピソードがとして次のようなことが語られています。
まるで神話のような言い回し。知らない者が聞けば、何が云いたいの? とイラっとする。でも、その感覚がマトモだと思います。わざとボカしてるんですから。事情を知らない者を蚊帳の外に置く云い方。心ある者にだけ、伝えようとする暗号。
「山吹」には、ちゃんと意味があった
<蛙→山吹→井手(地名・歌枕)>は定番中の定番なので芭蕉は嫌った、という解釈が一般的なようですが、「井手」にはふれていない解説もたくさんありました。 大雑把に云うと、
一般向けの簡易な解説は<山吹→雅な表現過ぎる>どまり。
もう少し中級者向けの解説になると<井手>まで紹介される。
でも、そこまで。<井手>には清流があって山吹が咲いていて、良い声でなく蛙が居た……で終わる。そこが誰の邸宅であったかという話はしない。
しかし、そこはあの橘諸兄の邸宅だったのです!
歴史ファンなら素通りできない人物。何をやったのか、簡単には説明できないけれど、何か大切な鍵がありそうな気配がプンプンする人物。よりにもよって、その邸宅だった。
あの芭蕉が、それを意識してなかったと思いますか?
あの「いにしへマニア」の芭蕉ですよ!
わたしに云わせれば、橘諸兄のことにふれない「古池やー」の解説のすべては、正史と同じ「公的な解釈」です。
もっとも、芭蕉もまた公的な色彩の強い人。自由人、藝術家ですが、それは社会に認められた立場。俳諧の宗匠は、世間に全く相手にされない者の自称ではありません。何が云いたいかと云うと、芭蕉もまた云っていいことと、いけないことの分別をしていた。橘諸兄との関りは、世間には知られてはいけないことの一つだったのでしょう。だから「井出(橘諸兄邸)」が連想されやすい「山吹」を避けた。
実際、「古池やー」の句がどこで詠まれたのかについては、諸説あるわけですが「井出」説の順位は高くありません。まさに狙い通り。一般の人を煙に巻くことに成功している。
「古池」が「井出(橘諸兄邸)」の池だということは、察してくれる人だけが察してくれれば良いという仕掛けになっている。
それでこの話は終わり?
ではないですね。
「かつて橘諸兄邸であった池が、今も現存していて、そこに蛙(かわず)が飛び込む音を、わたしは聴いた」
そのように平文に戻しても、意味がわかりません。
解読作業が必要。
コツコツと一つずつ確かめていきたいと思います。
「井手」とはどんな場所なのか?
先ほども云いましたように、橘諸兄の邸宅があった場所です。そこに山吹があり、清流(玉川)があり、すごくいい声でなく蛙がいました。それがどれだけ魅力的だったかというと、『古今和歌集』の序文(仮名序)に「花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」と書かれているくらいです。鶯と同格なんです。
ここだけでも、注目される点がいくつもあります。
よりにもよって『古今和歌集』の序文(仮名序)ですよ! わたしにいわせれば秘史の最重要証拠の一つ。「井出の蛙」はそこに直結している!
つづく
写真は、いしばしあやこさんの作品です。
ありがとうございました!