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[回想]yachiyoさん

 患者さんの思い出を続けて書いている方がおられたので、わたしもつい回想モードに入ってしまいました。こちらは老人ホームです。

 君が代は違うんですと yachiyoさん
    父曰く 名は 煙草が由来!

 施設で君が代を歌ったときに、yachiyoさんに尋ねてみたんです。
お名前は、そこからですか? と。すると、

「違うんです! 煙草の名前からとったんですって!
 お父さんが、そう云はった(笑)」

 もちろん、照れ隠しか、その場の冗談だったと思いますが、こうして書いたからには、そのお父さんの言葉、半永久的に世界にのこります~

 当時のyachiyoさんは、九十二歳だったかな。耳が遠いせいもあって反応が鈍く、一見するとボケてるように見えたんですが、聞こえるように話すと、すぐに聡明な方だとわかりました。
 その施設では、しばらくレクらしいことは行われていなかったようで、わたしがお誘いすると、「昼間からゴロゴロしてたら、あきませんな」とおっしゃられて、すぐに積極的に参加されるようになりました。
 ボール使ったときなんか、完全にスイッチが入って、「そのくらい取らんとあかんやん!」と周囲を叱咤激励。聞けば、長くママさんバレーをやってたとのこと。
 体力だけじゃなく、『百人一首』も全部、諳んじておられましたし、今にして思えば、いわゆる「スーパー老人」だったかもですね。外見は年相応でしたが、意欲と知力には、衰えは感じられませんでしたから。

 年寄りにしとくのは、もったいない!

 そんなお一人でした。
 ご主人を戦争で亡くされて、一粒種の娘さんを嫁がせてからは、ずっと一人暮らし。五十年近くの一人暮らし。想像も出来ませんが、優秀な方ですから、ママさんバレーの他にも、いろんな活動には携わってこられたのでしょう。

 さみしいとか、はりあいがないとか、おそらくそういう物語に毒されてなかったのかなとも。
 恋愛が素晴らしいとか、孤独はつらいとか、一説によると、そんなのは物語だそうです。そんな物語に染まっていなければ、生きるのがつらくなるほどのことではないと。
 実際、昔の人は、お見合いが多かったわけですが、不幸せかというと、全然、そんなことないですからね。今の人の方が、その面では不幸な人が多そう。恋愛でうまくいくのは少数ですから。恋愛がうまくいかなかったことで人生失敗したとか、自分が悪かったと思うのはいかにも人工的な考え。

 yachiyoさんのご主人は軍医でした。お父さんは帝国大学の教授。だから、たぶん経済的にはさして不自由もなく過ごせたのだ思いますが、それもよしあし。働いたほうが、転機に恵まれたかもしれません。
 九十超えても、意欲や能力が維持されていたというのは、考えようによっては、使い減りしていなかったということで、悪く云えば、力を温存し過ぎたかも。すっかり消耗して抜け殻のような老後を迎える人もおられますが、どちらが不幸かは一概には云えません。

 ただ、余力がたっぷりあったので、わたしは三年半くらいご一緒させて頂くことが出来ました。特に話をしたこともありませんでしたが、紛れもなくそれは出会い。こうして書いてみたくなったというのも、たぶん一種の再会。いつでも再会出来る相手。

 看取りはやってないんです。レクに参加出来なくなった時点でお別れ。ですから、お元気な時の記憶しかない……。

 yachiyoさんの印象で強くのこっているのは、やはり気持ちの強さ。愚痴をいわない。おしゃべりもしない。質問にだけ答える。
 あ、一度だけ、もらされたのが、娘さんが片方の目を失明されたということ。娘さんからそう告げられてショックだったようです。親としては、どうしてわたしより先に、ということだったのでしょう。自分の弱音は口にされませんでしたが、その時だけはつらそうでした。

 「しっかりしな、あきませんな」

 yachiyoさん、いったい人生で何度、自分に叱咤されてきたのか。
 何百回、何千回、それ以上かもしれません。一人暮らしなんて、ダラっとしかけたら、グズグズになりますもんね。掃除。洗濯の回数を減らす、食事はパンやインスタントで済ます……。スーパーでも、そんな高齢者を見かけます。カップラーメンとかパン、スナック菓子をカゴ一杯買われる。

そうだ! yachiyoさんの言葉、何個か分けてもらおう。
いいですよね、yachiyoさん?

いや、何個かでは足りないなあ。箱ごともらっていこう~

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