なんのために学ぶのか
「どうして勉強しなくちゃいけないの?」
誰もが一度は抱く疑問ですが、答えを見出すのは容易ではありません。その答えがわからぬまま成長し、大人になる人も多いと思います。自分もその一人でした。
恥ずかしながら学生時代は学びの意義も喜びも見いだせないまま、毎日授業を受けていました。得意だった英語でさえ、学んでいて面白いと思ったことはありませんでした。
それはまさに「勉強」でした。
勉強とは文字通り「勉めを強いる」こと。気が進まないことを仕方なくするというのが本来の意味です。それが、明治以降知識を得ることが美徳とされるようになり、今のように学問などを学ぶことの意味になったとされています。
日本の学校教育は常に受験(中学受験・高校受験・大学受験)が各カテゴリーの頂点にあるため、「受験のために勉強をする」という価値観があまりにもステレオタイプ化し、それを疑うこともありませんでした。
さらにその受験が知識偏重な構成になっているため、「勉強=ひたすら知識をインプットすること」になってしまい、その面白さを体感することはありませんでした。
そして自分の中に染みついたマインドセットは受験から解放された大学時代もほとんど変わりませんでした。
自分は超ポジティブな性格をしており、人生においてあまり後悔をしたことがないのですが、今でも大学時代の過ごし方だけは後悔しており、できることならタイムマシンでも使ってやり直したいと思っています。
大学時代は無限に自由な時間がありましたが、その時間を有効活用できませんでした。周りの学生たちに比べて授業はきちんと出ていた方でしたが、いつまでたっても受動的な学びの姿勢は変わらず、典型的な日本の文系大学生らしく、サークルやバイトなどにいたずらに時間を使い、自ら学ぶチャンスを放棄していたと言えます。
転機は大学卒業後でした。
常に学びがある環境の外に出てみて、初めて学ぶ意欲が出てきました。皮肉なもので、大学時代に取っていた心理学の授業はろくに授業も聞かず、単位を取ることに執着していましたが、卒業後人の心理に興味を持つようになり、専門書を読み漁り、カウンセラー育成講座に参加するようにもなりました。
また、専門の英語も大学を出てからの方がより本気で取り組みました。海外で暮らすにあたりひっ迫感が生じたこともありますが、このころには「自分成長のために学ぶ」ということを感覚的に理解し、学びの楽しさを理解できるようになっていました。
そして今は、自分の未熟さを知り、自分が興味があるありとあらゆることを学びたいという意欲に突き動かされています。
父親として、教師として、日々子供たちに接する中で、少しでも「学びの楽しさ」を伝えられるように、自分が学び続けなくてはいけないと思っています。
さて、いつものように前置きが長くなりましたが、本書の感想に移りたいと思います。
今やわかりやすいニュース解説で、テレビでも引っ張りだこの池上彰さんの著作になります。池上さんの略歴は以下の通りです。(AMAZONより抜粋)
1950年、長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、NHKに記者として入局。
さまざまな事件、災害、教育問題、消費者問題などを担当する。1994年4月から11年間にわたり「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍。
わかりやすく丁寧な解説に子どもだけでなく大人まで幅広い人気を得る。
2005年3月、NHKの退職を機にフリーランスのジャーナリストとしてテレビ、新聞、雑誌、書籍など幅広いメディアで活動。
2016年4月から、名城大学教授、東京工業大学特命教授など、7大学で教える。
これだけ見ると華々しい道を歩んできた成功者に見えますが、本書では池上さんの様々な失敗談や挫折などが書かれており、より身近な存在に感じることができます。
必ずしも自分のやりたい仕事ばかりができたわけではありませんでしたが、下記のような謙虚な姿勢で与えられた仕事に取り組むことによって、自分の教養を高め、仕事の幅を広げてきたと言えます。
とにかく依頼された仕事は感謝して引き受け、引き受けた以上は必死に勉強する。そして少しでもより良い仕上がりになるように努力をする。その過程で失敗があってもくじけない。そうした積み重ねが今につながっていると思っています。
また本書で池上さんはおすすめの本を列挙しながら、読書の意義についても書かれています。そのおすすめの本の一冊がショーペンハウエルの『読書について』という本で、そこには下のように書かれています。
「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線を篇でたどるようなものである。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、ほっとした気持になるのも、そのためである。だが読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。そのため、時にはぼんやりと時間をつぶすことがあっても、ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く」(岩波文庫)
要は、本は単に読むだけではなく、その内容について考えることが重要だ、ということです。これはけっこうドキッとしました。
私がnoteを始めた主な目的は、読書をした後のアウトプットのためだったのですが、noteを始める以前はまさに読むだけで終わっており、そこから内省することが圧倒的に足りていませんでした。ですので、このショーペンハウエルの一説を読んで、改めてnoteを始めて良かったなと思いました。
そして、池上さんは「学ぶことに遅いということは絶対にない」と言い切ります。NHKを54歳で早期退職したのちに、彼は改めて学び直そうと大学で「ファイナンス理論」「東南アジア情勢」「外国為替の現場」という3つの社会人講座を受講します。それらの講義を通して、独学で自分なりに理解してきたことに対して、学問的、理論的な裏付けができて、大変な自信がついたと語っています。それは、ひいては自分自身の働く意義や、生きがいにも通じるものになったようです。
私は本当に知らないことが多く、教養が足りないという自覚があります。だからこそ、様々な本や文献、Websiteなどを読み漁り、知識の獲得に注力しています。また、外部のセミナーや勉強会などにも積極的に参加し、いろいろな方々から刺激をいただいて、自分の成長につなげていこうと思っております。
余談ですが、うちの妻はアメリカの大学院まで出ているのですが、昨年から国内の通信制の大学に入り直し、また新たな学びの機会を楽しんでおります。日本は圧倒的にリカレント教育(生涯にわたり就労と教育のサイクルを繰り返す教育制度)が遅れているので、社会人が大学などで学ぶ環境がもっと整うことを願っています。誰もが学びたいときに学べる社会、そんな社会が理想的ではないでしょうか。
学びの意義と楽しさを理解した今、これからも学びを止めることなく、それらを多くの子供たちに伝えていきたいと思います。
池上さんの本はこちらも面白かったのでお勧めします。