
題:関根正雄訳 「十二小預言書」を読んで
ずっと以前に「十二小預言書」を読んだことがあるが、忘れたので読み返してみる。大預言書としては「イザヤ書」、「エレミア書」、「哀歌」、「エゼキエル書」、「ダニエル書」があるが、殆ど記憶にない。ただ、「エレミア書」は良かったと記憶している。こうした預言書の他に「律法」(モーセ五書)、「諸書」があり、旧約聖書は結構複雑な構成になっている。馴染みのない者にはなかなか難しい。また、本書によくでてくる(古代)イスラエルを国また民族として理解するのも難しい。古代イスラエルに存在したユダヤ人による国家がイスラエル王国である。ただ、「ユダ王国」と分裂などして時系列を追うと複雑になるが、ユダヤ人とは唯一神のヤウェーを神とするユダヤ教を信仰する民族である。また、ローマ帝国の侵攻を受けパレスチナと改名されるのである。パレスチナ人とはこの地に住むユダヤ人、アラブ人を呼ぶ。ローマ帝国によってキリスト教が権威を確保すると、ユダヤ人は迫害され追放される。こうしてユダヤ人は主にヨーロッパ各地に住むようになる。ヒットラーが国を持たないユダヤ人へホロコーストを行っている。現代ではユダヤ人はイスラエルなる国家を樹立し帰還している。こうした経緯のすべてをきちんと理解するのは困難であり、この程度に簡単化したい。というよりこの程度しか理解できない。
「十二小預言書」にはホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデア書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼパニア書、ハガイ書、ゼカリア書、マラキ書がある。こうした預言書には基本的な筋としての流れがある。ヤウェーがイスラエルに怒り災難などをもたらそうとすると、預言者に言葉を語り、預言者はこの言葉を民衆に伝える。怒りはイスラエルが淫行などにふけり堕落しているために生じる。だが、イスラエルの民衆は聞かず、神の怒りの鉄槌が下る。すると、民衆は悔い改めて、ヤウェーはイスラエルなる国を復活させるのである。この「十二小預言書」では各預言者の言葉が詩形式で綴られている。そして同等以上の枚数で詳細な解説がなされている。これらをすべて理解することなどできない。また、理解する必要などない。私は詩として読み楽しんでいる。無論、細かな内容に関心はあるが、それなら「出エジプト記」や「ヨブ記」などを再読する方が望ましい。従って、本書の感想は書かずに、詩の内容を一部抜粋して示したい。直接的な表現が目に引く、叙事詩として優れている詩である。訳文は少し古めであるとも思われるが、でも、相応に堪能できる。ヤウェーとイスラエルの民の行為と怒りと嘆きが露わになっている。以下、数編の詩を引用し示したい。
ホセア書
四 沃地の神
「訴えよ、君たちの母を、訴えよ。
彼女は私の妻ではなく、
わたしも彼女の夫ではないから。
彼女はその顔から淫行を除き、
その乳房から姦淫を去れ。
さもないとわたしが彼女を剥いで裸にし、
その生まれた日のようにしよう。
わたしは彼女を荒野のように、
潤いなき地のようにし、
渇きによって彼女を死なせよう。
彼女の子らをわたしは憐れまない、
淫行の子らだから。
そうだ、母は淫行を行い、
彼らを生んだ者は恥ずべきことをした。
・・・以下省略 淫行とは、イスラエル人がバールのために、顔や胸につけていた何かの入墨、またはお守り、飾りの類を指すらしい。なおバールとは所有者、主を示す。姦淫の女は裸にして石打ちしたらしい。ここでは石打ではなく渇きによって死なせる。ホセアは女を婚姻により子らを生む大地と見ている。
ヨエル書
ヤウェーの日の予兆
第一章
・・・
覚めて泣けよ、酒に酔う者、
泣き叫べ、すべての酒飲みよ、
新種は君たちの口から奪われた!
げに一つの族がわたしの国へと攻めてきた。
その族は力強く数知れぬ、
その歯は獅子の歯で
そのあご骨は雌獅子のそれ、
わたしの葡萄の木を荒らし、
無花果の木を折り
皮をひんむいて横倒しにし
その小枝をはだかにした。
嘆けよ、若き時の夫のために。
荒布を腰にまとう処女のように。
ヤウェーの家から素祭と灌祭は絶たれるのだ。
悲しめ、ヤウェーにつかえる祭司らよ、
畑は荒れ果て、地は涸れ果て
げに穀物は荒れ果て
葡萄の身はひからび
オリーブの汁もかれた。
・・・以下省略。いなごの災害を述べているらしい。
アモス書
三一 終わりの日の救い
「見よ、終わりの日が来て」
とヤウェーは言われる、
「耕す者は刈り入れる者に続き
葡萄を踏む者は種蒔に続く。
山々は新酒でしたたり
すべての丘はとける。
わたしはわが民イスラエルの運命を転換する。
彼らは荒れはてた町々を建ててそこに住み、
葡萄園を植えて、その酒を飲み、
菜園を作って、その実を食べる。
わたしは彼らをその地に植え
彼らは再びわたしが与えた地から
引き抜かれることはない」
と君の神、ヤウェーは言われた。
・・・終わりの日はこの世の終わりではなく、救いの日であるとは珍しい。
以上
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