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題:鈴木知太郎他 校注「和泉式部日記」を読んで

「紫式部日記」を読んで感動したなら、残る平安朝日記文学のうち最も関心のある「和泉式部日記」を読んでみる。結論から述べると、和歌が多くて理解するのに時間がかかった。「紫式部日記」のように情景、心理描写にすぐれているわけでもない、ただ、読み上げた和歌に和泉式部の洗練された心の襞と言うより、怨念や諦念に思慕などが表現されている。かつ和泉式部と敦道親王との恋の駆け引きなど、いわばドタバタ劇が記述されている。そして、和歌のうちにはなるほどと思われる繊細な情感を含むものも結構ある。ここでは、この物語の成立過程や作者について、また若干の他者による評価や和歌そのものを、二、三、紹介したい。

和泉式部は恋多き女である。皇子である為尊親王と結ばれるが死に、彼の弟の敦道親王と結ばれる。なお、正式な夫、橘道貞はこの時陸奥守として、去っている。「和泉式部日記」はこの敦道親王との出会いから、約一年弱の和歌を中心にした恋愛物語である。余分なことであるが、この後、和泉式部は、娘の子式部や紫式部などと中宮彰子に仕え、道長の家司、藤原保昌とも結ばれている。

「和泉式部日記」は別名「和泉式部物語」とも呼ばれている、和泉式部自身の手による作品と言う説や藤原俊成の戯作と言う説に、第三者の手によるとの説もあるのである。出だしは有名で、『夢よりもはかなき世のなかを嘆きわびつつ明かし暮らすほどに・・』となっており、てっきり和泉式部が一人称で書いていると思っていたら、読んでいくと和泉式部は「女」と表現されて、三人称として書かれている。本文中では一人称と思われる個所や、和泉式部の居ないところでの和泉式部への非難や敦道親王の正室なる北の方の描写などがあり、誰が書いたのかは良く分からないらしい。

少しばかり文章に目を通しただけで誰が書いたかなど分かるはずはないけれど、この日記は和泉式部を少し冷たくあしらっている、また和泉式部が自身を物語として成立させる根拠など無いために、直感的には和泉式部が書いたとはどうしても思われない、和歌の好きな者が書いたはずである。こうしてみると、やはり日記と言うより、和泉式部の物語として捕らえるべき性質の作品である。

渡辺実著「平安朝文章史」の感想文では、『「和泉式部日記」は「われ」を「女」と記述することで「和泉式部物語」という別名もあるらしい。自身も作中の一部に組み込み意味を構築するより、より豊かに表現される心情の世界があるはずであり、歌が精神集中の場であると同時に、文章も心を言語によって制御しつつ書くという、一段高い質の仮名文になっている』と著者は述べている。ただ、和泉式部は歌がうまいが、文章はやはり紫式部の方がうまいと述べているとも書いていて、和泉式部が作者であるがごとく自然に想定している。こうも作者を疑っていなければ、誰が書いたかはよく分からない。ただ、私の直感では、和泉式部に少し冷たく、かつ客観的に記述しているため、他者が書いたと思われる。

紫式部による「紫式部日記」では、清少納言を敵対勢力であり「したり顔にいみじう侍りける人」と批判しているのに対し、和泉式部は少し褒めている。『和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ、うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかなき言葉のにほいも見え侍るめり。歌はいとおかしきこと。ものおぼえ、かたのことわり、まことの歌よみにざまにこそ侍らざらめ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの目にとまる詠み添え侍る。それだに、人の詠みたらむ歌、難じことわりいたらむは、いでやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるるなめりとぞ見えたすすぢに侍るかし。恥づかしげの歌よみやとはとはおぼえ侍らず』

簡単に私なりに一部現代語にすると次のようになる。和泉式部はけしからぬことをするけれども、言葉、歌は才能があり匂いがある。歌に一言添えるのもよい。ただ、本当の歌詠みではなくて、人の歌の批評まではできないし、また口からすらすら出てくる単なる歌詠みである。こちらが恥ずかしくなるほどの歌詠みではない。こうした紫式部の批評は辛辣であるが、紫式部の自尊心がもたげて書いている気もする。ただ、言い得ていて、なるほどと思うほどの批評眼を持ち合わせている。なお、けしからぬこととは色恋沙汰である。

紫式部がけしからぬことをすると言っているけれども、こうした男出入りの多い和泉式部を敦道親王はなぜ惹かれていくのであろうか。それは恋愛上手と言うよりも、和泉式部の軽妙な機知であろう。たとえば、次のやりとりはその一つである。
ことの葉ふかくなりにけるかな
とのたまはすれば
  白露のはかなくをくと見しほどの
と聞こえさするさま、なさけなからずをかしとおぼす。
言いかわす言葉も深くなりましたね、という敦道親王に対して、和泉式部は、白露のようにはかなく置くような間柄と思っていたのにと答える。これを敦道親王は、思いやりある趣のある女だと思っている、また、敦道親王の着衣などを素晴らしいなどと作者は更に続けて記述している。こうした親王の心を客観的に推し量ることや親王の姿形を当事者外の視点で褒め称えているとことは、きっと作者は和泉式部ではない、他の誰かが書かいた物語であると推測される。もし和泉式部が書いたならば、相当に即座に客観化する文章能力の持ち主である。他の日記文学ではありえないのである。

ここで和泉式部の歌を少しばかり紹介したい。女心と機知と恨みや寂寥感が支配している。
敦道親王の「・・あまのを舟を」への返歌、うまく言い返して棄てられたと恨んでいる。
袖のうらにただわがやくとしほたれて舟ながしたるあまとこそなれ
敦道親王「・・誰さそひけん」への返歌、暗き道は俗世間のことであるが、会いたい気持ちがよくでている。
山を出でて暗きみちにぞたどり来し今一たびのあふことにより
敦道親王「・・問う人もない」への返歌、軽妙に皮肉を込めている。
 まどろまで一夜ながめし月見るとおきながらも明かしがほなる
和泉式部が自分から会いに行くという、積極的である。
 いとまなみ君来まさずは我ゆかんふみつくるらん道を知らばや

などなど、他は省略したい。

やはり、私には「紫式部日記」の方が好きである。出だしの客観的対象に自らの心情を込めた文章や狂気じみて叫ぶ消息文が気に入っている。その他では「更級日記」の内容を忘れたのでもう一度読んでみたい。なお、日記文学ではないが、「伊勢物語」は秀逸である。ただ、後世に加筆したと思われる荒唐無稽な話は除くが。

以上

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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。