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矢島文夫訳 「ギルガメシュ叙事詩 (付)イシュタルの冥界下り」を読んで

ずっと前に買っていてやっと読めた本である。読んだ感想はやはり叙事詩は良くて、楔形文字が完全に残っていれば、完訳ができてより強い感動が生じたに違いない。「はじめに」で本書について解説しているので若干紹介したい。本書は古代オリエントの最大な文学作品である。ティグリス・エウフラテス両大河の河口に住んでいたシュメール人が作成した宗教や政治性に人間性を表現豊かに持たせた文学作品である。シュメール人の後にはアッシリア・バビロニア人政治的に優位にたったが、シュメール人の文化を受け継いだものと考えられる。楔形文字は半分ほど残されていた。なお、本書の叙事詩は半分は空白である。でも、本書は推測できるところは補って多少なりとも翻訳したらしい。シュメール人が使用して楔型文字、神話や文学作品については、また本書「ギルガメシュ叙事詩」のあらすじも本書の「はじめに」に書かれている。なお、本書「ギルガメシュ叙事詩」は無論、題名の通りに叙事詩形式である。本書の半分は「解説」として、アッシリア文学のはじまりなど、本書の文化的な背景に、本書の記述形式について記述している。本書については直接読んでもらうのが一番分かり良いと思っている。 

さて、「ギルガメシュ叙事詩」のあらすじは、ギルガメッシュはウルクの都城の王である。男にも女にも悪行を行っている。ウルクの人々は大地の女神アルルに訴え、アルルはウルクの近くにエンキドゥという猛者を作り上げる。エンキドゥは娼婦によって欲望を満たすとともに野獣的な性格から人間的な生活を送り、人間的な性格を獲得するのである。ギルガメッシュははエンキドゥがやって来るのを知り、大格闘が行われるが、結局、友情を結ぶ。そして、ギルガメッシュは遠方の森に住む恐ろしい森番フワワ(またはフンパパ)をエンキドゥと協力して倒す。愛と悦楽の神イシュタルがギルガメッシュに魅せられ誘惑するが、彼は女神の不義と不貞を知っていて嘲笑い拒絶する。怒ったイシュタルは天の神アヌに冥界から死者を連れ出すと脅して、天の牛をウルクに送り彼とウルクを滅ぼそうとする。ただ、エンキドゥと力を合わせてギルガメッシュは激しい戦いに打ち勝つのである。 

けれど、エンキドゥは神々に死を宣告されて、ギルガメッシュの見守られながら死ぬ。こうして死を認識したギルガメッシュは永遠の生命を求める。不死を得た王を尋ねるために旅に出る。ただ、王の答えは、不死は贈ってくれた神々の決める預かり知らぬことで、ただ大洪水の危険からの脱出の話を聞かされる。王の妻からは海底にある永遠の若さを保つ植物を教えてもらう。ギルガメッシュは海に潜りこの植物を取り、都城への帰路に着く。でも神々は許さず、ギルガメッシュが水を浴びている間に蛇がこの植物を食べてしまうのである。彼は疲れ切ってウルクにたどり着く。ここでこの物語は終わる。ただ「イシュタルの冥界下り」という短話が「解説」の後に続いている。イシュタルは番人に「私は、死者を立ち上がらせ生者を食べよう。生者より死者が増えるようにしよう」と脅す。こうして番人は冥界のエレシュキガル女王に知らせ、その命に従い門を開ける。つまり、イシュタルは七つの門を潜り抜けるために身に纏う物を、最後には腰帯も取る。イシュタルが冥界に入ったために大地では、牡牛が牝牛に挑みかからず、街では男が女子をはらますこともなく異変が生じる。このため結局神々の計らいによって、イシュタルは七つの門を潜り抜け、脱いだものを纏い脅そうとした冥界を去るのである。 

この物語の興味深い点は、ギリシア神話と異なった物語であるとうことであり、叙事形式であるということである。ただ、ギリシア神話に受け継がれた点もあるようだが良く分からない。関心を抱く点を単に箇条書きにしたい。

1)  エンキドゥに人間らしさを与えた娼婦の役割
2)  ギルガメッシュとエンキドゥの男同士の友情
3)  天の牛とは?
4)  大洪水とは?
5)  神々と人間の役割
6)  若さを保つ植物とは?
7)  冥界と七つの門とは? 

解説にも含まれていて細かく書きたいが、長くなるし今回は止めたい。なお、解説は全部合わせると百頁を超えて専門的な内容である。一つだけ、冥界に入る際のイシュタルの死者と生者の数合わせが、イザナギとイザナミの冥界の入り口の坂での生者と死者の数の競い合いと類似しているとの指摘がある。確かに類似している。だが、冥界とは一般的で、各種各国の神話に現れている。結論は出さずに置きたい。解説には結構この点に関して説明が書かれている。それにしても、この叙事詩では言葉が生きている。例えば、先ほどの「死者を立ち上がらせ生者を食べよう」の「食べさせよう」とは新鮮に響く言葉である。山と森のイメージの言語も良い。洪水の場面も良い。いつもなら文章を引用して示すのであるが今回は止めたい。ただ、ギルガメッシュの代わりにエンキドゥが死ななければならない場面だけは、読む者に納得してもらうために示したい。なお、この場面はエンキドゥが見た夢の中での場面でもある。 

〖・・[彼らの一人は]死ななければならぬ〗とアヌは言った。
〖杉の山を荒らした者[が死ぬべきだ]〗
だがエンリツは語った。『エンキドゥが死ぬべきだ
ギルガメシュは死んではならぬ』
すると天なるシャマシュは勇ましきエンリツに答えた
〖彼らは私の命令によってこそ
〖天の牛〗とフンババを殺したではないか、それなのに無実の
エンキドゥが死ぬべきか〗。するとエンリツは怒り
天なるシャマシュに向かって(言うには)『なぜならば
あなたは日ごとに彼らの〈仲間〉のように降りて行くからだ』
エンキドゥがギルガメシュのまえで病みたおれた 

矢島文夫訳 「ギルガメシュ叙事詩 (付)イシュタルの冥界下り」

フンババとは森の番人で怪物でもある。エンキドゥはギルガメシュの代わりに死んだとも受け止めることができる。それにしてもこの括弧の種別の多さは並大抵ではない。訳者が自らの推測や他者の研究成果も入れ読者に分かりやすく表現したため括弧に区別があるのである。こうした苦労は称賛する。なお、「ギルガメシュ叙事詩」のほんの一部のみしか紹介できなかったが、世界最古の物語であるためか、根源的には生と死について語っている。ギリシア神話は生と性に語っていると思われるが、「ギルガメシュ叙事詩」の物語の簡明性を基礎として物語が発展させている気がしてしかたがない。それにしても、どの国のどの神話にしても冥界こそが物語の根源に位置してある。 

以上

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歩く魚
詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。

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