題:マルセル・モース著 吉田禎吾/江川純一訳「贈与論」を読んで
なんとも不思議な本である。贈与の詳細を知りたくて読んだ本であるが、確かに詳細に記述している。なんと注が本文と同等の分量としてある。その詳細は本当に細かくて読み切れない。あまりにも部族や共同体の贈与について子細に書いているために、具体的な事例として密に書いているためにもはや頭に入らずにお手上げである。主張は簡単である。簡単に言い切ることができる。贈与とは部族や共同体において微妙に異なるのであろう。でも専門家でない者にはこの子細さはしんどい。本書の主張とは次のように言えるだろう。贈与とは物を受け取る義務も強制されているのである。即ち、贈り物を受け取ると、それとともに「荷物を背負い込む」ことになる。単なる物々交換ではなくて、交換される物によって人間たちの交わりや結合関係が生まれる。こうした関係が道徳や法に経済を成り立たせていく。モースはポリネシアやサモアにマオリなど実際に現地調査を行いその結果を述べている。また鷹揚さや名誉に貨幣との関係を述べている。更に古代ヒンドウー教やゲルマン法について述べている。目次を見ると『序論 贈与、とりわけ贈り物にお返しする義務』と書いてあって、まさしくこのお返しの義務のことが事細かに書かれているのである。
もはや裏表紙の紹介文を引用したい。『ポトラッチやクラなど伝統社会にみられる習慣、また古代ローマ、古代ヒンドゥー、ゲルマンの法や宗教にかつて存在した慣行を精緻に考察し、贈与が単なる経済原則を超えた別種の原理を内在させていることを示した。贈与交換の先駆的研究。贈与交換のシステムが、法、道徳、宗教、経済、身体的、生理学的現象、象徴表現の諸領域に還元不可能な「全体的社会的事象」であるという画期的概念は、レヴィ=ストロース、バタイユ等ののちの多くの思想家に計り知れない影響とインスピレーションを与えた。不朽の名著、待望の新訳決定版。人類社会のアルケーへ!』と、とても上手に紹介している。なお、この紹介文にもカタカナ語がでてくるが、本文にもたくさんカタカナ語が出てくるのでとても悩まされる。いずれにせよ、古い昔には贈与は社会システムの基盤として機能していたのである。もはや贈与と言うより、社会システムの大いなるフレームワークなのだろう。
ずっと以前、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」を読んだことがある。熱帯での現地調査によって血族関係の複雑さを記述していた。部族内の婚姻関係によって生じた血縁の繋がりが種々の行事などにおいて座る場所など事細かに規定を施しているとの記述が、熱帯の情景とともに浮かんでくる。おじや姪にもっと離れた血縁も関係してくる、近親が遠戚も肉体的に近寄ってよい距離があるのである。無論、住むべき敷地にも関係していたはずである。感想文を読もうとしたけれど、どこかに埋もれていてない。ストロースは構造主義の祖とも言われているが、まさに構造主義とはフレームワークから成り立っているシステムである。文化人類学ばかりではなくて言語や精神心理学や哲学にも影響を及ぼしている。構造とは思想的に強固なものなのであろうか、続けてポスト構造主義という哲学もある。まあ、名前なんぞ何でもよいが、構造が人間たちを支配している。むしろ、人間たちは構造を成り立たせて自らを縛り付けている。そして、この縛りを破局的に解体する運動を行うのである。けれど、またいつの間にか新らしいもしくは新らしく見せかけた古いままの構造を成り立たせて、自らをすっぽり被せて縛り付けているのである。
人間たちとこの構造なるフレームワークとは一種の循環運動である。だから束縛と開放が繰り返されるが、すべからく差異を伴なっている。脱構築や差延とはこうした考えに基づいていたのだろうか。すっかり忘れてしまったけれど、この循環運動が社会のフレームワークを覆したり変形させると認識しなければならないだろう。人間たちは常に収縮と膨張、束縛と開放を導き出す人間社会なるフレームワークの内に生きていることになる。差異が大切であると思う、差異を伴なって反復される構造こそが源にあり、この差異が社会構造のフレームワークの色を染めるのである。まさに色によってフレームワークは人間社会の構造の味付けをするのである。
以上