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思い出せること①

屋外で目にしたものをよく描く。
私にとって屋内、とりわけ学校は悪夢でしか観ないイメージだ。
(私の見る悪夢には建物の中で追いかけられるという共通点がある。大体過去に私をいじめた人間や怒り狂った奴ら、兵士、なんか怖いものに置き換えられた父、母、親しかった人たちなどが出てくる。)

いまだに自分のアパートが嫌で帰りたくない気分になる。
理想としては寝る部屋は寝具だけにしたいが単身者向け1Kでは叶えられず、、
屏風でも作ろうかと考えている。

小学生の頃夏休みになると家族で一番に起きて、おにぎりをこさえ、一人で近所を「探検」した。雑魚寝の家族を起こさないように家の中を歩いた。一番年上のきょうだいは昔から眠りが浅い人で、近くを通るとすぐに気付かれた。
静かに歩いている自分は泥棒のようだと感じた。

朝の散歩は大体決まったコースがあって、よく行ったのは河原と住宅街だ。

川は柳瀬川と言い、それなりに広い川だ。そこにかかる橋の下が日陰になっている。
浅瀬の流れをじっと見ていた。石に光が当たる。川面の模様が変わる。橋の鉄骨付近にはおそらくホームレスがいたであろう跡があり、鍋や布団がそのままになっていた。吹き抜ける風が好きだった。足元には「クローバーもどき」(葉っぱがハートじゃないやつ)がフサフサしていた。

住宅街は少し道を下ったところにあった。
新興住宅の立ち並ぶ綺麗な住宅街だった。
その中に小さい公園があり、ここまで来ると一休みして家に帰るのがお決まりだった。ここは学校の気になる女子がたまにいるから、少しばかり期待しながら通った。彼女には結局ほとんど会えなかった。

思い返せば、家は人間の詰まった感じがして嫌いだった。
母は一人で出歩く私をあまり快く思っていなかった。(浮浪者や変質者が頻繁に現れる地区だったせいもあるが)
昼頃、家に帰ると家族が起き出して素麺などを食べている。小言を言われないようにヌルッと昼食に参加し、母の顔も見ずに午後の遊びに出かけた。夏の朝は秘密の時間だ。

もう一つ、少し遠出という感じで出かける定番の公園があった。
そこにはよく父と出かけた。
私の中の父との穏やかな思い出の大半は、この散歩の時間だ。私の次に起きて犬の散歩をするのが父だったから、必然的に私が連れ歩かれることになった。
家の中では酒を飲み、偉そうに我々をこき使う父が、散歩の時は面白い話をしてくれる。私はいつもソワソワ緊張していた。

公園は自然公園のような場所で、池を囲んで並木道があった。
片方の入口は河原に突然林が現れたような見た目になっていた。
そこを潜り抜けると公園が現れる。木が生い茂り、トンネルのようだった。

そこを抜けると花札の「菖蒲に八ツ橋」を模したようは橋があり、くねくねとした形から子どものアスレチックと化していた。なぜかいつも年上のお兄さん(12〜13歳くらい?私は当時9歳くらい。)がいた、、気がする。

さらに進むと開けた芝生の広場がある。
中央に池があり、目の赤い亀がいた。白鷺も時々見かけた。
でかくて黒い、灰色のような鯉がウヨウヨしていた。
そのあたりに時計があった。

広場の隅には彫刻があって、そこに登る遊びをよくした。
特に長方形が半円にえぐれた形の彫刻に登るのが目下私の目標であった。
そこに登れる兄がかっこよく見えたものだ。

帰り道にパン屋に寄って好きなパンを買ってもらった。父はコーヒーを飲んでいた。一口もらってまずいな、という顔をしたら父が笑うと思い、実行した。
概ね期待通りの反応が返ってきた。

パン屋の裏手はthe近郊農業といった感じの小さい畑があった。
コンクリートの低い塀に囲われていて、その上を歩いた。
母はこれを止めるが、父は止めなかった。私も今なら母の気持ちがわかる。

これらは全て東京に住んでいた頃の記憶だ。
なんだか最近になってこの頃のことをよく思い出す。
私は幼少期の記憶が薄い。
家族アルバムに子どもの頃の写真が少ないのは、写真データの入ったパソコンが壊れてしまったせいだ。
家族に自分の幼少期の話をせがんでも、大した話が出てこないくらい地味でおとなしい子どもだった。思い出せる時に思い出しておきたい。

②もあるかもしれません。

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