最近考えていたこと (この文章、書き出してから一回飽きて、2ヶ月後とかに書き足している。だから現在の自分とは少しずれている。もし先日の課題制作「世界を形作るもの、こと」での私の発表を見た人がいるならば、それを思い返しながら読んでほしい。) 自分の記憶や感情に基づいた作品制作や作品鑑賞は、果たして本当にクリエイションなのか? 最近、それについて考えている。 例えば独白のような作品が与える影響ってなんだろう。 というか作品を独白のように読むこと? 自分がいること、存在する
今日は一日中、パジャマでいた。 夕方になってざあ、という音を聞き、窓外に目をやると雨が降っていた。 夏が洗い流されてゆく。 それを見るためにベランダに小さい椅子を二つ並べた。 背後から漏れる部屋の明かりが寂しい。 向こうのほうの電線ではカラスたちが羽を濡らしながらじっとしている。 南の空から流れてくる 台風の切れ端と目が合ったような気がする。 南、というと自然に家族が住む横須賀を思い出してしまう。 うちの方では特に被害はなかったと、つい数時間前に電話で母から聞いた。
今年もあっという間でしたね。 みなさん忙しい師走をお過ごしでしょうか。 私もなんやかんやドタバタしております。 年末年始は巫女になります。今日はバイトをするにあたり諸々の説明を受け、お清めをしてもらいました。神主さんの木靴が気になって気になって静かにテンション上げでした。あとは進級展の準備と課題と制作。休日挟みつつ動ける範囲で頑張ります。 今年は8月にSARPにて開催した個展「君が見たもの」に加え、京都芸術大学と東北芸術工科大学合同企画展「ダブルアニュアル2024」に選出
今日、久しぶりに体のラインが出る服を着た。 普段くびれや胸の凹凸がわからないタイプの服を着るのは、ひとえに体を隠したいからだ。嫌だ嫌だ。胸なんて、引っ込んじまえ。 でも私の体が悪いわけじゃない。この体に、「女」と名付けてしまう人々や、私、が悪いのだ。ノンバイナリーですと名乗る必要ってそういうところにある。 乳房があっても、私は女じゃない。 陰茎があっても、私は女じゃない。 脂肪分の多い体でも、私は女じゃない。 筋肉質でも、私は女じゃない。 髪が短くても、私は女じゃない。
色々やって、わかんねぇなってなった帰り道に、どこまで行っても一人だし、友達はきっといなくなるし、高齢者になってどうしようもなくなったら自殺しよ。と呟いていた。 なんだかなぁ。甘やかされたいし温かいところにいたいけど、自分のこと許せなくなる。 背中に帯状疱疹が生まれていた夜、電話する相手が母しかいなくて、終わりが見えるなぁと思った。 終わらないために生きたくない。 分かるために生きてる? 最近?を多用している。 本当、ずっと間が悪い。 運が悪いのか自分勝手なのか。はて… タ
11月に入ってバイト先のシフトが減ってしまった。 イベント系なので寒い&雪の時期は仕事が減るのだ。 それはまあいいとして、最近仕事が早めに終わるものだから1、2時間早上がりさせられることが多くて困っている。これ、労働者の権利でなんとかならないの? 冬に向けて新しいバイトを見つけたけど、そっちも冬季はオフシーズンらしく、、 収入が減った分を賄うために久しぶりにドローイングの販売をすることにした。 夏に描いたものを中心に6点選ぶ。 以前は、描いたらすぐにショップに!みたいな
今回は作品の内容について書こう。 正直、2年間の作品をまとめるのは大変だ。私は結構思考が飛び飛びだから余計に、、それでもまとめてみたので読んでいただければ嬉しい。 街シリーズ 街シリーズに関する文章はこちら https://note.com/toma_ri/n/nd2c589479bd2 私は街が好きだ。色々なものを含んでヒタヒタになったスポンジみたいだ。 隙間が多くて、居場所を見つけやすい。 「海辺の街」は神奈川県の地元の街を描いた。 人 人が複数の視点を持つ様
・展示内容 個人の視点を共有するというコンセプト。 「君」という個人が、終点の街〔人生、あるいは一つの旅〕のその先で見た景色を展示した。 この展示は2021年に制作した「終点の街」から始まる。これを制作した頃、私はとにかく外に出なければと思っていた。今いる場所から距離を取って、人のいない場所に行かなければと感じていた。 東京にはコロナ禍で居場所を失った人が溢れていた。そんな街を歩きながら、自分の為の場所を見つけようと思った。 ・期間 2023年8月29日〜9月3日 ・場
屋外で目にしたものをよく描く。 私にとって屋内、とりわけ学校は悪夢でしか観ないイメージだ。 (私の見る悪夢には建物の中で追いかけられるという共通点がある。大体過去に私をいじめた人間や怒り狂った奴ら、兵士、なんか怖いものに置き換えられた父、母、親しかった人たちなどが出てくる。) いまだに自分のアパートが嫌で帰りたくない気分になる。 理想としては寝る部屋は寝具だけにしたいが単身者向け1Kでは叶えられず、、 屏風でも作ろうかと考えている。 小学生の頃夏休みになると家族で一番に起
例えば、人間ぽいものが人間の街にいたら、 もの珍しいものに囲まれてそれはそれは楽しいだろう。 人間ぽいものは人間として生きるために人間を学び人間になってゆく。 人間ぽいものからしたら人間は増殖する微生物や他の動植物と変わらないし、 人間の街は雨上がりにニョキニョキ生えるキノコみたいな生き物に見える。 人間ぽいものからしたら、人間の行動は謎だらけだ。 その理由を知るのは楽しいが、そこに加わり擬態せよと言われるとなかなかしんどいものがある。生きるのはどんな生物だって大変なのだ。
初めて自分の髪を切ったときのこと 思い出せるだけ書こう。 好きな人がいた。 彼女は私の友達で、同じ部活で、ほとんど友人がいない私にとっては奇跡みたいな人だった。 彼女は「一緒にいて楽しければ友達だよ」とか言えてしまう屈託のない良い人間で、私は友達とは同意の上で成立する契約だと思わないとやってられない面倒な人間だった。 もはや異文化交流みたいなものだ。 とても遠い、綺麗な星みたいな人だと思っていた。 彼女のことを好きになって悩んだし、そこに発展性がないことも分かっていた。
「共有できる沼」とは、私の最新作の名前だ。 自分の絵と他者の関係を変えたいと一年くらい思考・行動を繰り返してきた。 自分は他者に対して何を求めているのか。 結論が「共有」だった。分離することなく互いを行き交うこと。 2年前の夏、「線を引く」で他者との交われなさを嘆き、去年の夏に「夏のバグ」で自分自身からの逃れられなさを諦念的に見つめた。 いつだって私は、逆説的に自分を肯定してきた。交れなさも、逃れられなさも、確固たる自我の証拠なのだ。 しかし最近思うのは自分自身と環境の関
物事は全て繋がっていると思う。 寄りかかったり、引っ掻いたりしながら存在し合う。 私は存在するものを思う時、同時に不在のものを思う。逆に、不在のものを思う時は存在するものを思っている。 影の方がよく見えてくるのと同じ現象だ。 私はその反転が好きだ。 特に正が負に変わる時が好き。 つながる、瞬間は、消える、と同義だと思う。 自己決定とは100%自分で決めることを指すんじゃなく、その環境下で「自分で決めた」と思える状態のこと という話を聞いた。 私達はいつも周りの影響を受けず
アルバイト4連勤目である。 早朝の幹線道路を車達がつとつと行く。 私はその横を歩いている。 夜のうちに積もった雪が凍り、その上にまた雪が積もっているので歩きにくい。 きっとみんなも働きに行くのだ。 大学進学のために山形に越してもう直ぐ一年経つ。 神奈川の沿岸部出身の私にはこちらの冬は異世界のようだ。 向こうにいた頃は白銀の世界なんて思い浮かべてニンマリしていたが、実際にその場所に立つと生活の中で雪は泥と一緒に寄せ集められ、駐車場の隅に積まれている。 その泥混じりの雪山に昇り
雪が降っている。正月過ぎてからは毎日降っていると思う。 狐の嫁入り雪バージョン 天気雪。こんな天気は初めて見た。 天気雪が好きだ。光は澄んでいて、雪は空間に模様を描いて降っている。 誰もいないので歩道橋の上で踊ったり、大口を開けて雪が入ってくる感触にはしゃぐ。おじいちゃんのお使いで、タバコを二箱買って帰る。 冬、ぼやけた太陽はタバコの火のようだ ためいき混じりに煙を吐く祖父の 疲れ切った背中。 回る換気扇、 私は吸わない。
ホットココアの上で溶けている、あの生クリーム あれと同じ速度で 自分の形を失ってゆく てかてか、てらてら 脂っぽい町! クリスマス寸前、 課題の静物画と睨めっこしている。 何が美しさかわからなくなる。 みんな押し黙っている。 硬いモチーフばかり選んだのは、私の線が柔らかいからだ。 下手くそな学生の絵を見ても、上手そうな教授の絵を見ても、よく わからない。美しさが消える。どっちも嫌い。 私も消えたい。 木にはヌードもネイキッドもござらん。 ぬるぬる喋るから、美術史の先生が