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旅立つ祖母にメイクした話



あなたのおばあちゃんはどんな方ですか?

あなたが幼い頃、おばあちゃんは
どんな服が好きで、どんなメイクをしていたか
思い出せますか?
ファッションのポイントや、
おばあちゃん自身が思うチャームポイントは
どこなのか、などなど。
聞いたことはありますか?


初めてのエンゼルケア

今年の3月9日、自宅で祖母が亡くなった。
長年自宅で介護をしていた叔母と私の母に看取られ、
春の柔らかい朝日の中で息をひきとった。
87歳だった。

そろそろ危ないかも、と主治医から言われてはいたが
やはり辛い。
身内の死は初めてではないし、覚悟はしていたが涙が止まらなかった。

そんな時、
訪問看護師さんが私と母に、「お祖母様を綺麗にしてあげましょー!」と声を掛けてくれた。
いわゆるエンゼルケアだ。

1.エンゼルケアとは

亡くなった方の身体を整える処置のこと
エンゼルケアとは、亡くなった方に対しておこなう死後の処置のことです。身体を清潔にし、化粧(エンゼルメイク)や更衣で見た目を整えます。

ジョブメドレーより


看護師さん指導のもと私と母で、
横たわる祖母の背中や腕、脇、首周りなどを温タオルで拭いた。
「髪もサッパリしましょうねー!」と看護師さんが言うので、
ベット上でどうやって???と一瞬戸惑ったが、
祖母の紙おむつを枕元に数枚敷き、
ペットボトルの水を少しづつ流しながら
シャンプーとリンスで髪も綺麗にすることができた。
ベットにも、祖母の顔や身体にも、水は全く零れなかった。
プロの技術すごすぎる。

叔母とっておきのリンスを使ったら
祖母の髪が、サロン帰りの艶さらシルバーヘアーといった感じになった。

あっという間に清拭が終わり、心なしか祖母も
気分が良さそうに見えた。


祖母のとっておきの服

パジャマから着替えましょう、と看護師さんが言い
叔母が「この服って決めてたのよー!」と
シルバーグレーのジャケット・ブラウス・ロングスカートを引っ張り出してきた。

あまり馴染みの無い服だったのでポカンとしていたら、
すでに他界した祖父の紫綬褒章の授与式に招かれた時に、呉服店であつらえた特注品の服なのだそう。

看護師さん達がテキパキと着替えさせてくれ、
親族の誰かが「昭和の歌手みたい」とボソッと言い
堪え切れずみんなで笑った。

立ち会ってくれていたケアマネさんが、
「そういえば、デイサービスのカラオケもお好きでしたよね」と思い出してくれ、誰かが
「これからディナーショーするのかな?」と冗談を言い
またみんなで笑った。

ここ数年はほぼ寝たきりで出かけることもなく、
会う時はいつもパジャマ姿だった祖母。
シャキッとした衣装に包まれると、
10歳以上、若返って見えた。

身支度最終仕上げ、メイクアップ。

小一時間もたたないうちに、
エンゼルケアの最終工程、メイクの段階となった。
看護師さんが「じゃあこの中で1番若いお孫ちゃんメイクお願い!」と、小さなメイクセットを渡された。

メイクセットには下地、コンシーラー、ファンデ、アイシャドウ、リップがついており
短期旅行にとかに役立ちそう...と内心思った。

叔母が化粧水を持ってきて、丹念に祖母の顔に浸透させた。

さあ、ヘアセットも衣装もバッチリ。
残すは顔の仕上げ
祖母の人生最後のメイク。

それを認識した途端に込み上げてくる緊張感。 
急に脳内を駆け巡る焦燥感。

えっ、私でいいの?
マスク生活で毎日眉毛しか描かずに出勤してる私で?
最近フルメイクしたのいつだっけ?
叔母、母、親戚一同、看護師さん達、百戦錬磨の女社会を生き抜いてきた猛者達が揃う中、
こんな重大な仕上げするの、私でいいの???

周りに目をやったが、皆ニコニコと笑うばかり。
なんなら早くしろよ、失敗は承知しないぞ?と言わんばかりの沈黙の圧を感じる。
(私の所感です)

ええい、ままよ。
下地を指に取り、祖母の頬にすべらせていく。

亡くなったばかりの時より更にひんやりした肌。
黙々と満遍なく下地を塗り、
諸先輩方の指示を一心に受けながら、祖母の頬にあるシミをコンシーラーで隠し、ファンデまで完了。
美肌は女の命。全員がそう認識しているので、手厳しいチェックが入りまくった。

アイシャドウは祖母の目を開けるわけにもいかないので、明るいピンクを何となくで塗った。
諸先輩方もここは正解が分からないので、指摘なし。

リップは、ふんわりと塗ったら、あまりの不器用さに痺れを切らした叔母がしっかり唇を縁取り塗り上げてくれた。

(だったら最初からやってよ!とかは言わない。女社会だからね。)


1番の難関は眉だった。
祖母は眉山が高く、その通りに描くと割と厳しい感じの顔つきになる。
私も富士山の如き眉山を遺伝しているので、その高さが与えるニュアンスをよく分かっている。

だけど元気だったころの祖母は、田舎のふんわり癒し系ばあちゃんでは無かった。
親戚の集まりや冠婚葬祭等では場を仕切り、料理や酒や宿の手配を抜かりなく行う。各テーブルを周り参加者一人一人に明るく話しかけて酒を注ぐ。
ここ10年では、軽度の認知症になった祖父を愛を持って手厳しく叱っていた。

そんな祖母だったから、いいのかも。
そう思って高い眉山に沿って、形を整えすぎずに描いた。これが私の思う、祖母らしさ。
諸先輩方も同じことを考えていたのかは分からないけど、すんなり眉が決まった。

そうしてやっと、祖母の旅立つ身支度が完了した。


いってらっしゃい、ありがとう。

エンゼルケアを終えて、止まらなかった涙がいつの間にか引いていた。
必死にメイクするうちに
悲しいだけだった心がすっと落ち着いて、
全てを終える頃には元気だった頃の祖母の姿が脳内に浮かんでいた。

ここ数年、祖母はほぼ寝たきりでスッピンの部屋着姿だった。
調子が良い時は口は達者で、叔母の作る料理にケチをつけたり、どうしても老いを感じずにはいられなかった。
エンゼルケア後の祖母は、目を開けてあれこれ喋ることは無いけれど、
バッチリ決まった服とメイクで、威厳みたいなものを感じた。すごく似合ってるよ。
おめかしして、じいちゃんに会いに行けるね、と思うとまたほろっと涙が出た。
いってらっしゃい、と最後にみんなで手を合わせた。


私のためのエンゼルケアと、正解のメイクは

エンゼルケアが終わり、看護師さん達も帰っていった。
親族一同もそれぞれ葬儀の準備に散らばっていった。
私も身支度のため一旦車で自分の住まいに戻った。
戻りの車内で何気にラジオをかけると、誰かがリクエストしたレミオロメンの3月9日が流れた。
3月9日の今日流れることは全く不思議じゃないが、
タイミングがタイミングだけにまた涙が溢れてきた。

気をつけて運転しながら、また祖母のことを考えた。

長く介護が必要だった祖母。
私は同じ市内に住んでいるが、別世帯のため
介護は同居の叔母と母が大部分を担っていた。
私は感染症流行なども理由に、数ヶ月に一度顔を見せにいく程度だった。それを後悔してももう遅いが、
最後に祖母の旅立ちの手伝いができたことが
少しは私の救いになった。
そんな意味で、エンゼルケアは私のためでもあったように思った。

一方で、まだ眉山のことを考えていた。
私はあの角度のままが祖母らしさの象徴だと思っているけど、
本人はどうだったんだろう。

ばあちゃんが思う、正解の眉はどんな形?
それだけじゃない、
ばあちゃんが思う、自分に似合うメイクは?色は?服は?強調したいチャームポイントは?

生きている時に、もっと聞いてみたらよかったなと思った。だって最後を飾るメイクだから。
最後までばあちゃんらしくいてほしい。

ばあちゃんは身なりに気を使う女性だったから、きっといっぱいこだわりがあっただろうな。
聞いとけばよかった。
でも、エンゼルケアをするまでこんなこと考えたこともなかった。
例えば祖母の誕生日に贈った衣類は、着脱しやすく窮屈しないものが最優先で、色やデザインは二の次になってしまっていたように思う。


遺影も、祖母指定のものは無かったので親族で決めた。
満場一致でこれがいいね、と
デイケアで誕生日祝をして下さった時の、笑顔でピースしている写真になった。

ピースしてる遺影は初めて見た。
祖父の遺影は穏やかに笑っているものなので、
2人の写真が並ぶと見ている私の方が励まされる気分になる。

写真も、ばあちゃんはこれで良かったかはもうわからないけど、許してね。
これが私たちの思うあなたらしさです。
いつまでも、ピースサインのばあちゃんが見守っていてくれたら、まだまだ頑張って生きていける気がします。


なかなか書くことが出来なかったけど、
エンゼルケアを通して思ったことを書けてよかった。

いつか旅立ちが来る。
大切な人のいつか来る、その日のために、
あなたが思う好きなもの、あなたらしさ。聞いてみたいなと思う。
私も私で、いまだに分かっていないけど、私の私らしさを見つけたいと思う。



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