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【TOLOPANの真髄に迫るvol.26】イタリアの伝統に絶妙な足し算を施したフォカッチャ

フォカッチャとは、
イタリアではテーブルパンの位置付け。
料理と共にテーブルに出されるパン。

それでは、僕が思うイタリアとは。

素朴な町並みを抜けると、
そこには映画の中の石畳が。

目に映る個人のアパートメントは、
入り口門、階段に至るまで洒落ている。
決して豪華ではない。でも洒落ているのだ。

家庭ではテーブルクロスを敷き、
家具にはさほどお金はかけない。
でも、ちゃんとこだわりを持っている。

「食」を行うときに、「衣」「住」もセットの衣食住で生活を楽しむのがイタリアの文化なのだとつくづく思わされる。


イタリアでのテーブルパン「フォカッチャ」は
イタリアの家庭と同じく素朴である。

オリーブオイルを塗り、
指で穴を作り、岩塩を振る。

極めてシンプルなもの作り。
しかし、そこにはこだわりと文化的背景がある。
そうしたシンプルなものであるためには?
簡単そうにみえて、実はこれが難しい。

こだわりや背景といったイタリアの伝統的な食の根源を理解するという、食育がちゃんとされていなければ、足さなければならない合わせ技(ペアリング)がわからない。
合わせ技を知っているから、合わせ技を考え、あえて引くスタイルができる。

そこに文化に対する一種の「誇り」が垣間見えるような気がする。



では、トロパンで出すフォカッチャは?

というとイタリアのテーブルパンではなく、
日本の惣菜パンの位置付けのフォカッチャだ。

僕は日本では絶妙な足し算が必要だと考える。

パン作りにおいて、「作る」という行為に対して相手を思い、誇りを持つことはとても大事。
しかし、パンの歴史の浅い日本では文化に対して誇りを持つ必要性があまりない。これから日本独自のパン文化を作っていくためにも、新しい独自性を持ち、気候や風土に合ったものを考えていくことが求められるのではないか。


では、絶妙な足し算とは?

まず生地に関して。
イタリアパンのチャバッタやフォカッチャのクラスト部分はクリスピーな状態なものが多い。

それに対して日本人は米で育ってきているため、ある程度のなめらかさやモチモチ感でというテクスチャーのものが好まれる傾向にある。
トロパンでいうとヒガシヤマのようなパン。

イタリアの要素と日本の要素を踏まえ、
うまく組み合わせて絶妙な足し算をしていく。

オリーブオイルが上に乗っかることで起こる、揚げ焼き状態での外皮のクリスピー感を2とすると、モチモチ感は全体の3になるように成形する。周りはガス抜きせず、軽めの食感になるように始まりと終わりを作り出す。
中央部は破れるくらいギリギリの薄膜にして、クリスピー感が際立つように。

トロパンではオリーブオイルをディスペンサーにいれてさしていくやり方にしている。周り一周は均等に、底にまで行かない表面だけを打ち、同じ回数と同じ力を意識し周りの上がりが均一になるように。そうして中央部との極端な食感の違いを楽しんでもらえるようにしている。

そしてフィリング。
生の玉ねぎは、水にさらさずに使用する。これは薄い生地ということと、焼く事での甘味の出方を想定して。フライドオニオンは旨味を引き出すためと、香りで食欲を引き立てるために。
グラナパダーノは水分量の多い生地のデンプン質の部分をしめる役割と甘みのあるモチ感にたいしての塩味と香りのために使用している。
最後に、フルールドセル(ゲランドの塩)。フォカッチャだからという訳ではなく、チーズと生地の塩味だけでは生の玉ねぎの甘味に負けてしまうために入れている。甘みの出やすい周りの部分には多めに、逆に中心部分はクリスピー感とチーズの旨味があるため減らしている。

この絶妙な足し算のフォカッチャは、パン単体で楽しむ日本の文化を意識して完成させた惣菜パンなのだ。




完成とは、それを生んだ瞬間のことを指す。

ただ、完成はただの点でしかない。
点と点を繋いでいくことが大切なのだ。

小さな完成の繰り返しが「文化」を創る。
そう信じて、これからも僕は日本人として新しいパンの完成を創り続けたい。

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