【TOLOPANの真髄に迫るvol.45】ルセットの基準となる五味の「苦味」について
「苦味」とは、絶妙な加減をとらなければ
「まずい」になる紙一重の味だと思う。
「苦い経験」
パン作りをする人、食に携わる人に限らず、サラリーマンでも経験することが多い苦い経験。
「苦い」という言葉は「辛かった」「しくじった」等の過去に起こったネガティブな要素が多いように思う。
だから「苦しい」という字なのでしょう。
ただ、人生において「苦」だけではやはり辛い。
僕も、「苦いだけ」は避けたいと思っていたが、「苦い」は避けずに通ってきた。
ただ、避けずに通ってきた理由として、
「苦い」思いの先に、「自分の描く未来」があると信じていました。
通過点として喜んで飛び込んで通ってきた人生です。
デュヌラルテでの日々もそうでした。
だが、僕は今、「苦い」思い出を笑って話せています。
それは未来にたどり着いているからで、更にゴールを設定しているから。
だから「苦味」は、必ずゴールを設定して、極力使用量を抑えて「絶妙」に持っていくことが大切だと考える。
そもそも「苦味」とは、人間の自己防衛機能とつながっている感覚だ。自然界に存在する多くの毒物から危険を察知し、身を守るために働く。だから苦味ははじめのうちは敬遠されやすい。しかし、苦味もまた食経験を重ねる中で「おいしい」に結びつき、その記憶が蓄積されていくことで好みになっていくのだ。
「苦味」をさらに分解すると、「渋み」や「エグみ」にも分けられる。
「苦味」で連想するのは、コーヒー、ビール、アルコール度数の高い酒類、焦げ、柑橘系、キャラメル、カカオ、茶葉など。いざ並べてみると植物が多いという印象だ。
「塩味」が「苦味」を抑制することで「絶妙」を表現しているのは、焼き鳥だと思う。
塩を多くすると少し焦げた所が抑制されて、甘味やうま味と混ざった余韻として出てくる。この炭火の香りはまさに「絶妙」。
口に残る余韻や香りこそが重要な「苦味」であるが為に、串打ちに神経を張るのは、
シェフとして「焼き」を担当している人なら理解しやすいことだと思う。
基本的に、旨いと言われているお店の焼き鳥は串が焦げていない。
動物の持っているもので美味しい味や香りに対して、間の串が焦げた香りがしてしまうと絶妙にはならないから。
本当に苦味は紙一重で難しいのだ。
炭化に近い味というのは「苦味0.5」ほど。
重要なのは、核の味となる素材とのバランスと、その味にあわせる余韻の時間。
パンでいう「苦味」は、焼成時のメイラード反応とキャラメル化からくるものが多い。これは澱粉の糖分解と発酵でどれだけ残留糖を作れるかに影響される。そこで、ウノックスのベイカーズトップ(コンベクション)で蒸気コントロールを行い、メイラード反応とキャラメル化をある程度引き伸ばし、炭化を防ぎ「甘苦い」を作り出すことで深みによる「苦味」の「絶妙」をとる。
また、クロワッサン、パンオショコラの底から特に香るブールノワゼット臭(焦しバター臭)もまた「旨苦い」による「絶妙」をとっている。
トロパンのモダンあんぱんの自家製餡も塩を使わず、マテ茶の渋みで甘味を引き締める効果にしているのも「苦味」おかげだ。
そして「苦味」は余韻が長くなるもの。
それがわかるいい例はエスプレッソだろう。コーヒー特有の香りだからこそいい余韻を引っ張れるのだが、劣化した味と香りが長ければ「まずい」となる。
「苦味」はどんな「苦さ」なのかが重要だ。
だから味の核が何であるか、そして余韻の時間を決めるための量や質を考えなければならない。これは、ファッションでいうとアクセサリーのようなものだ。格好によっては必要ないし、この格好ではこのサイズの、このアクセサリーがセンスになり「絶妙」を生む。
「甘味」というゴールの過程に「苦味」「渋み」のコントラストの道がある。
と考えと、パン作りにより「楽しさ」が見えてくると私は思っている。
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