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矢沢永吉の武道館Liveに初めて行ってわかった「Rock'n' Roll」な生き様

1977年、日本人ロックアーティストとして初めて武道館でコンサートしたその人は、2023年、前人未到となる武道館150回目のステージに立った。

御年74歳。僕の親と同い年だ。

僕が生まれる前から武道館のステージに立ち、親の年齢になってもなお武道館のステージに立ち続けている。信じられない。

そして、昨夜、矢沢永吉の武道館ライブに初めて行ってきた。コンサートツアーのタイトルはズバリこれだ。

Welome to Rock'n'Roll

かっこよすぎる。
こんなツアータイトル、この人しかつけられない。

そして僕は初めていった武道館LIVEで垣間見た。
ロックな生き様というものを。

今日は語りたい。この人のことを。


半年間、YAZAWAの毎日を送ってきた

この章はかなり僕の個人的な話になるので、武道館LIVE当日の様子を知りたい方は目次からジャンプしてほしい。

今年の4月に赤坂に引っ越した。

家から徒歩15秒以内のところに矢沢永吉のスタジオがある。ほぼ家の目の前だ。

僕の音楽プレイリストには矢沢永吉の曲は1曲もない。それくらい特に熱心なファンというわけでもなかった。

しかし好むと好まざるとに関わらず、毎朝、出かけるたびに矢沢永吉を意識し、家に帰るたびに矢沢永吉を意識する日常がはじまった。

そしてリフレッシュしたい時や何かに落ち込んで帰ってきた夜は、スタジオ併設の矢沢永吉ショップ兼BARみたいなところで、矢沢永吉のライブを大画面で観ながらジンジャエールを飲んで気分を落ち着けた。

時には週2〜3で通っていたこともある。もはやファンよりも多かったかもしれない。お店の人にさえ熱烈なファンだと思われていた可能性がある。

そのBARに設置された大画面スクリーンではいろんな年代のライブ映像が流れるのだが、通い続けて分かったことが一つある。

年取るごとにどんどんカッコよくなってる。

お世辞でもなんでもない。本当に見た目的にも歌唱力の面でもどんどんカッコよくなるのだ。

BARで永ちゃんのライブを見て、何度励まされたかわからない。僕のなかに矢沢永吉が根付いてきた。強気になりたい時に自分を支えてくれる存在になった。気がつけば5月の終わりには武道館のライブチケットをとっていた。

学生の頃、矢沢永吉の「成り上がり」という本を読み、大いに刺激を受けたことがある。本の中にはこんな一説がある。

約束する。この世界にぶら下がって、過去の名前でメシ食うことはしない。

自分が自由にやれるものを、自分で築いてきて、それをまわりが受け容れてくれるようになってる。いまはだからやれる。(中略)

ダメになったらパッとやめられる。カッコいい男になりたい。でも、やれるうちは、やる。オレのパワー、メロディー、ステージ。素晴らしい。すごくいいね、いま。(中略)

いけるとこまで、走り抜くよ。それが、オレのオレたる存在理由だよ。

矢沢永吉『成り上がり』(角川文庫)より

これが45年前、27歳の言葉だ。いつでもやめる覚悟を持ちながら、いけるとこまでといって45年も走り抜けてきた。

今なお最前線を走るその姿を見るため、僕は武道館に向かった。

開演前にみた驚くべき光景


そして待ちに待った武道館ライブ当日。

この一年を総括するような気持ちで、いろんなことを思い出しながらコンサート会場に向かった。半年前からの楽しみだった。

初心者らしく気合をいれて行こうと思い開演2時間前には到着。

ライブグッズなんて滅多に買わないのだが、
どうしても手に入れたいものがあった。

そう、これだ。

何度もライブ映像でみてきた「タオル投げ」をどうしてもやりたかった。

「死ぬまでにやりたい100のこと」のリストがあれば、間違いなくランクインしてくるものだ。

「矢沢永吉のライブはみんながタオルを投げるから、投げる分と持ち帰る分でタオルが倍売れる」という都市伝説のようなビジネスモデルを聞いたことがあった。

僕は5500円のタオルと、2000円のタオルを買った。
タオルだけで7500円だ。

金額も半端じゃないね、シビれるよ。でも買っちゃうよ。
思った以上に手触りがいい。質にもこだわりを感じる。

それにしても「E.YAZAWA」って商標登録されてるのか。

自分の名前が「E.YAZAWA」じゃなくてよかった。かといって「H.UTSUNOMIYA」を商標登録する日が来るとも思えない。ほとんどの人がそうだろう。要するに誰にも迷惑をかけてはいないのだ。

わざわざツアートラックの案内もあった。こんなコンサートは初めてみた。

なんかね、もうすごい熱気のある雰囲気。
全身白スーツに、白ハットの中年男性がすごく多い。
かなりの割合でリーゼントをしている。
日本で一番リーゼント人口が多い空間になっている気がする。

今からでも白スーツを買いに行くか一瞬悩んだが、この日以外着る自信がなかったので、秒でやめた。

コワモテのヤンチャなお兄様方とキレイな美魔女的お姉様方の間をコソコソとすり抜け、合格発表を確認しにいく浪人生みたいな面持ちで早々に写真を撮ってそそくさとその場を後にした。ロックンロールのかけらもない男であった。

しかしみんなが場所を譲り合いながら写真を撮る姿はとても優しい雰囲気すらあったし、何よりこんな素敵な中高年男性、女性たちがいることに大きな勇気をもらった。矢沢永吉へのリスペクトを前にみんなの心は1つだった。

そして武道館の中、会場に入ると驚くべき光景を見た。

開演までまだ1時間以上もあるのに、
「永ちゃん!永ちゃん!」と誰かがコールをかけはじめる。すると周囲が手拍子をするのだ。

「永ちゃん!(パチパチ)永ちゃん!(パチパチ)」

そしてそれがどんどん広がっていき、最終的には武道館全体に広がる。はじめてフラッシュモブを目撃したような気分だった。

しかも一人だけではない。いろんなところでフラッシュモブが起きる。

あとでわかったのだが、これは有名な開演前の「永ちゃんコール」と呼ばれるものらしい。参考までに雰囲気のわかる動画を貼っておきたい。

さらには「おい!東(スタンドにいる端の人たち)、ウェーブくれー!!!」と誰かが言うと、最東端にいる人たちが永ちゃんのタオルを持ってウェーブをする。

ウェーブが東から西まで辿り着くと、会場全体が拍手に包まれる。最高にきもちのいい光景だ。声をかける人もすごいし、それに応えてウェーブを始める人もすごい。開演前にも関わらず、こんな一体感と熱気が生まれるコンサートは初めてだ。

武道館LIVEで永ちゃんが語ったこと

17時になり、永ちゃんがステージに出てくると会場のボルテージはさらに上がった。

矢沢永吉の曲を聴くという以上に、矢沢永吉という存在を浴びていた。

何曲か披露したあとで、こんなエピソードをMCで語っていた。

資生堂のコマーシャルで「時間よとまれ」がヒットしてたんですが、最初、武道館をやろうというのはなくて。

もう街から街へバリバリやって、バリバリ焼肉食ってって感じで思ってた。

でも当時、武道館は外タレ専用の場所みたいな感じでシャクだなと思って。

日本の武道館が外タレ専用?冗談じゃねーよ、だったら俺やるよって。

矢沢永吉武道館コンサートMCより

会場からの大拍手。そうそう、これがYAZAWA節だ。

冗談じゃねーよ、だったら俺がやるよ。

「弱気になりそうな時に思い出したい台詞ランキング」ベスト3には入れたい名言だ。さらに中盤くらいのMCでこんなことも語っていた。

昔のライブ会場は野郎ばかりでね、ポマード臭いし、もうすぐグチャグチャになるの。物壊すわ、喧嘩始めるわ。ライブ会場からも「どんなパンクバンドに会場貸してもいいけど、矢沢永吉にだけは貸すな」って言われるのね。だから俺、ステージの上から言ったよ。

「ノるってことと、グチャグチャにすることは別だからよ。日本にロックを定着させようぜ!」って。

そして「女に飯食わしてもらうんじゃなくて、キャデラックに乗ろうぜ、ベンツに乗ろうぜ」って周りに言い続けた。たぶん「ロックでもちゃんと食えるようになろうぜ」って言いたかったんだよね。

今はもう矢沢以外をみても若手がどんどん出てきて当ててるね。

でも最初のそういう荒れたところを乗り越えて、
今の日本のロックができてきたんですよね。

みなさん、ありがとうございます!

矢沢永吉武道館コンサートMCより

会場からの大拍手。感動した。
昔のRockはかなり荒れていた。荒れたい人が集まるのがRockだった。

でも、それを時に兄貴のように煽動しながら、時に学級委員のようにとりまとめてきたのが矢沢永吉だったのだ。

そして、矢沢永吉の歩んできた歴史というのは、日本のロックの歴史そのものなのだと思った。今では武道館コンサートを目指す人がたくさんいる。

彼が自分のことだけでなく、若手のロックアーティストのことを実名挙げながら褒めていたのが印象的だった。自分に酔いしれているのではなく、ロックを愛している何よりの証拠だ。

そしてMCでは驚くほど内面を吐露しながら、ビビっている自分を語っていた。そうだ、矢沢永吉は実はすごく繊細な人なのだ。「成り上がり」にもこんな一説があった。

オレっていうのはね、メチャクチャ安心してないと気がすまない男なんだよ。でも、やってることは、常に不安だらけ。どういうことかって言えば、安心したいがために、行動する。だから、行動が早い。

矢沢永吉『成り上がり』(角川文庫)より

終演でみたRock'n'Rollの真髄

そして、アンコールに入る直前の曲の終わりで、まだ演奏が終わっていないのに、いきなり矢沢さんがステージから去ってしまった。

一瞬、何かトラブルでも起きたのかと思った。誰も動じない。

そして演奏が終わるとすぐに「永ちゃん!永ちゃん!」のコールが始まる。開演前にみたあの光景が再び蘇る。なるほど、ここにつながるのか。

するとすぐに矢沢永吉が全身真っ白なスーツ、白ハットを着て現れ、会場のテンションはマックスに。

そうか、このアンコールの待ち時間を最小化するために、直前で早々とステージから去ったのか。今年流行った「タイパ」をすでに永ちゃんは先取りしていた。さすがである。

そして「止まらないha〜ha」が流れると、みんなが一斉にタオルを持ち、「ha〜ha」のタイミングでタオルを勢いよく振り上げる。

もうその光景の見事さといったらない。無形文化遺産に申請したくなるくらい素晴らしかった。今でも目に焼きついている。

ちなみにタオルはちゃんとみんな手に持っていた。投げ捨てるわけではないのだ。やはり都市伝説だった。

そして何よりロックだと思ったのは、まさかの、あの一番の大ヒット曲である「時間よとまれ」をやらなかったことだ。

武道館150回超えという前人未到の記念コンサートでなお、一番のヒット曲を封印するというカッコ良さ。僕の中で最もRock'n'Rollだった曲は、その演奏されなかった「時間よとまれ」だ。

74歳でなお全く衰えを感じさせず、妥協しない圧倒的な歌唱力とステージパフォーマンスを披露し、2時間ぴったりで終えたら、颯爽とステージを降りて、すぐに車に乗り込み、会場を後にした。

僕ら観客がほとんどまだ会場に残っているときには、もう永ちゃんは武道館の外にいたのだ。コンサート後の余韻に浸るでもなく、スタッフと打ち上げをするでもなく、歌い終えてステージを終えたら颯爽と武道館を去っていく。カッコ良すぎる。

自分が自由にやれるものを、自分で築いてきて、それをまわりが受け容れてくれるようになってる。

矢沢永吉『成り上がり』(角川文庫)より

他人にどう思われようと意に介しない、
そのくせ内面は不安との戦いでビビりながらも
自分の美学を貫いていく。

そうだ、これこそが「Rock'n' Roll」の真髄ではないかと思った。

Welome to Rock'n'Roll

それは決して派手な衣装を着ることでもないし、リーゼントにすることでもない。

永ちゃんはその生き様を通して、ステージを通して、
Rock'n'Rollの敷居を低くしてくれているように感じた。

ありがとう永ちゃん。ありがとうファンの皆さん。
素敵な大人たちにたくさん会えて嬉しかったです。

それでは、最後に、このナンバーでお別れしましょう!
ヨロシク!

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