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【創立70周年記念企画】エッセイ「東京創元社、私の一冊」その14:「解放の呪文」松田青子

東京創元社では創立70周年を記念して、全国の書店様で2024年4月と7月、そして11月の3回「創立70周年フェア」を開催しました。そのうち7月のフェアでは『創立70周年記念小冊子』という文庫本サイズのブックレットを作成し、配布しました(2025年1月現在、小冊子の配布は終了しております)。

その中で「東京創元社、私の一冊」というテーマで小説家、編集者、声優、ライター、詩人、歌人等、各方面で活躍される総勢15名の皆様に小社で刊行している書籍を1冊お選びいただき、その本にまつわるエッセイを執筆いただきました。Web東京創元社マガジンでは、そのエッセイをおひとりずつご紹介させていただきます。


「解放の呪文」

松田青子(まつだ・あおこ/作家、翻訳家)

装画:夢島スイ/装幀:柳川貴代+Fragment

『狂える者の書』タニス・リー/市田泉訳(創元推理文庫)※現在は品切れ重版未定です。

 パラダイス、パラディス、パラディ、という別の世界、別の時間が交差していく先で、“狂える者”とされてきた人たちに訪れる巨大な癒し。この氷のように鋭利で“優しい”物語を読むたびに、私自身の世界が新しく塗り替えられるような心地にさせられる。生き返る。何度でも。

“狂女”と悪名高く、恋人を殺した罪を着せられて病院に閉じ込められた画家は、氷の国を壁に描くことで、同じく“狂女”とされ、散々陵辱りょうじょくされ死んでいった若い女性と彼女の子どもが鈴のように笑い合う楽園を、時空を超えて出現させる。“狂える者”だと診断する側と、診断される側の、どちらが狂っているのか、なんて、考えるまでもない。タニス・リーには明白なことだ。彼女は、残酷なまま、曖昧なまま、緩慢に流れていく時間を許さない。その流れを断ち切る剣の揺るぎなさに、解放の使者として現れるペンギンの崇高さに、娼婦しょうふのジュディがいただく星をちりばめた王冠に、力なき者を蹂躙じゅうりんし、利用し続けた、もしくは暴力から目を背け続けた、本当の“狂える者”たちに注がれる、〈ペンギンジン〉による完膚かんぷなきまでの報復に、作者の意志が宿っている。線だと思い込まれてきたものが点になり、分断されてきた点が線としてつながる。彼女の息がかかった一語一語、一文一文を追っていくことのできる喜びは、何ものにも代えがたい。『狂える者の書』は、すべての“狂える者”を解放する呪文である。この本を読むことができたことを、そうしてペンギンの国が私の中にも常に存在するようになったことを、私は一生喜び続ける。

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■松田青子(まつだ・あおこ)
作家、翻訳家。2010年、〈早稲田文学〉に「ウォータープルーフ嘘ばっかり!」を発表しデビュー。13年に初の単著『スタッキング可能』を刊行する。主な著書に『おばちゃんたちのいるところ』『持続可能な魂の利用』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』、訳書にラッセル『狼少女たちの聖ルーシー寮』などがある。


本記事は東京創元社編集部編『東京創元社 創立70周年記念小冊子』に掲載されたエッセイ「東京創元社、私の一冊」の一部を転載したものです。