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【創立70周年記念企画】エッセイ「わたしと東京創元社」その8:大森望、高山羽根子、田中芳樹

東京創元社では2024年の創立70周年を記念し、文芸誌『紙魚の手帖』にて豪華執筆陣による特別エッセイ「わたしと東京創元社」を1年間にわたり掲載しました。

第8回は、『紙魚の手帖』vol.18(2024年8月号、SF特集号GENESIS)に掲載されたエッセイ(その1)をご紹介いたします。



大森望 Nozomi Ohmori

 創元推理文庫で最初の単独訳書を出してもらったのは一九八六年だから、なんと三十八年前。最初は一行表示の液晶ワープロ(東芝Rupo)を使っていたが、途中から四行表示になり、やがてモノクロCRTつきの文豪mini7になった。最初の七冊の訳書はすべて創元。しかも、思春期も早々にSFにぞっこんになって高知の古本屋で(同学年の岩郷いわごう重力じゅうりょくと争うように)創元のSFを買いあさっていたので、俺はSF生まれ創元育ち――などとつい口ずさむわけですが、思えば創元時代はわが青春というか、まさにgrateful daysだった。その六十周年企画として出た『創元SF文庫総解説』に還暦過ぎて参加できたばかりか、同書がめでたく星雲賞ノンフィクション部門を受賞したのはうれしいかぎり。日下くさか三蔵さんぞう氏と共編の〈年刊日本SF傑作選〉シリーズが終了して以降、創元とはめっきり縁遠くなっているので、生きているうちにあと一冊くらい創元SF文庫から訳書を出したいものである。

1961年高知県生まれ。京都大学文学部卒。翻訳家、書評家、アンソロジスト。編著(責任編集)の書き下ろし日本SFアンソロジー《NOVA》シリーズで、第34回日本SF大賞特別賞を受賞。他の編著に《年刊日本SF傑作選》(日下三蔵との共編)。主な著書に『現代SF1500冊(乱闘編・回天編)』、『特盛!SF翻訳講座』、『狂乱西葛西日記20世紀remix』、『21世紀SF1000』、共著に『文学賞メッタ斬り!』シリーズ。主な訳書にウィリス『航路』、ベイリー『時間衝突』ほか多数。


高山羽根子 Haneko Takayama

 東京創元社からの最初の連絡は第一回創元SF短編賞の落選の連絡で、そのまま会社の仕事終わりに喫茶店に呼び出されたことを覚えている。そこには編集部の小浜こはまさんのほか、選考委員の大森望さんや日下三蔵さん、あとなぜか角川のホラー小説大賞でデビューしたばかりの伴名はんなれんさんもいた。「もうちょっと大森さんががんばって推せば正賞になったかもしれないけど」と言われ、そうか、落ちたのか、と思いながら、はて、落ちたのになぜここにいるんだっけ、と話を聞いていた。それでも正賞の松崎まつざき有理ゆうりさんや、宮内みやうち悠介ゆうすけさんら最終候補作家の作品と一緒にアンソロジーを作ってもらい、それが私の小説家デビューになった。それに短編賞の人たちとのつながりは今の仕事、今の人生に直結しているし、これはたぶんすごく昔の「○○派」とかいう作家同士のつながりに近いんじゃないかな、とも思っている。そんなこんなで、大変にお世話になっております。

1975年富山県生まれ。2010年「うどん キツネつきの」で第1回創元SF短編賞佳作入選。14年、同作を表題作とした作品集でデビュー。16年「太陽の側の島」で第2回林芙美子文学賞大賞を、20年「首里の馬」で第163回芥川龍之介賞を受賞。主な著書に『暗闇にレンズ』『パレードのシステム』がある。


田中芳樹 Yoshiki Tanaka

 地方都市で育った私が、創元推理・創元SF文庫の存在を知ったのは、第一の(心情的には唯一の)東京オリンピックの頃。書店の棚に並んだ背表紙の題名を見ただけで、心臓が踊り出し、一生かかっても、そのすべてを買いそろえよう、と、誰にも言えない夢を抱いた。
 お年玉を貯め、はじめて買った文庫は、ヴァン・ヴォークト作『宇宙船ビーグル号の冒険』と、アシモフ作『暗黒星雲のかなたに』の二冊。これが一中学生の未来を決定づけた。前者は、ひたすら夢中でよみふけるだけだったが、後者は、さまざまな小説作法を教えてくれた。異星人エイリアンも、ロボットも、超能力者も登場しない、地球人類だけで成立する未来宇宙史。善悪の対立ではない敵味方の立ち位置。こういう作品を書く人がいて、読む人がいる――かくして、身のほど知らずにもペンをとった若者は、年金を受け取る年齢としになってもまだ書き続けている。

1952年熊本県生まれ。学習院大学大学院修了。1978年「緑の草原に…」で幻影城新人賞を受賞しデビュー。1988年『銀河英雄伝説』で第19回星雲賞を受賞。代表作に『創竜伝』『マヴァール年代記』『アルスラーン戦記』《薬師寺涼子の怪奇事件簿》シリーズの他、『ラインの虜囚』など著作多数。


本記事は『紙魚の手帖』vol.18(2024年8月号)に掲載された記事「わたしと東京創元社」の一部を転載したものです。