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一穂ミチ『ツミデミック』、綿矢りさ『パッキパキ北京』、森見登美彦『シャーロック・ホームズの凱旋』…紙魚の手帖vol.15(2024年2月号)書評 瀧井朝世[文芸全般]その2

【編集部から:この記事は東京創元社の文芸誌〈紙魚の手帖〉vol.15(2024年2月号)掲載の記事を転載したものです】


 一穂いちほミチ『ツミデミック』(光文社 一七〇〇円+税)もコロナ禍を舞台に、犯罪、あるいは犯罪めいたものに触れる人々が登場する六編を収録。

 たとえば「ロマンス☆」は、幼い子供を育てる母親が近所でイケメンの配達員を見かけ、彼が来ることを期待してフードデリバリーサービスの注文を繰り返す。しかし、彼はなかなか来ない……。まるでギャンブル依存症のようで十分怖いのだが、そこからさらに怖い展開が待っている。「特別縁故者」はコロナ禍で失職し、現在は妻の収入に頼っている料理人の男が、ひょんなことから近所の資産家の老人に食事を届けるようになる。このまま親しくなれば、老人が亡くなった時に特別縁故者として遺産を分けてもらえるかも……などと妄想する彼。読者は不穏な予感を抱くわけだが、さてどうなるか。

 タイトルは「罪」と「パンデミック」を合わせた造語だ。バッドエンドもあればハッピーエンドもあるため、どの短篇もどちらに転ぶか分からずハラハラさせる。個人的に好きなのは五十歳の男が、一人で暮らす老いた母親から隣人夫婦の様子がおかしい、と聞かされる「祝福の歌」。カセットテープを聴く場面で泣けた。

 さて、綿矢わたやりさの『パッキパキ北京ペキン(集英社 一四五〇円+税)もコロナ禍の話だ。こちらの舞台はタイトルから分かる通り、北京である。著者自身も、二〇二二年の冬から半年間ほど滞在していたという。笑いながら、北京の〝今〞が体感できて楽しい一冊である。

 主人公は底抜けに楽観的で強気で自由な女性、菖蒲アヤメ。コロナ禍でもGoToトラベルなどを利用して遊びまくっていた彼女は、北京に駐在する夫から懇願こんがんされ、愛犬を連れて現地へ旅立つ。文化遺産に興味のない彼女がおもむくのは主にショッピングモール。買い物を楽しみ、見知らぬ食べ物に果敢に挑戦し、語学交流のアプリで知り合った現地の学生カップルとも遊びに出掛ける。かなり年上の夫は妻とは正反対の慎重な性格で、行動的な菖蒲にあきれ果てて𠮟ることも。だが菖蒲は自分を変えない。魯迅ろじん阿Q正伝あきゅうせいでんの内容を夫から聞かされた時も、想像の中で常に人に勝っていい気になる阿Qの「精神勝利法」を称賛するのだから、もう清々すがすがしいほど勝気である。なぜ彼女はここまで「勝ち」にこだわるのだろうと少々引きながらも、ここまで自由に、何事もひるまず、なにがなんでも人生を楽しもうとする姿はちょっとうらやましい。

 森見もりみ登美彦とみひこ『シャーロック・ホームズの凱旋がいせん(中央公論新社 一八〇〇円+税)は、ヴィクトリア朝京都が舞台である。そう、ホームズやワトソンたちが、なぜかしれっと日本の古都にいるのである。実在の地名もばんばん出てくるのだが、そこになぜか王族が暮らす宮殿もある。もうそれだけで笑える。

 本作でのホームズは「赤毛連盟」事件の解明に失敗し、スランプにおちいっている。彼の活躍を報告するワトソンの連載も休載中。それだけではない。お馴染なじみのレストレード警部も宿敵モリアーティも、みーんなスランプ状態。そんな折、アイリーン・アドラー(原作では唯一ホームズを出し抜いた女性)が探偵事務所を開き、事件を次々解決して名を馳せていく。しかも彼女の活躍を記事にするのは、ワトソンの妻、メアリだ。やはり、単に京都に舞台を移しただけのパロディではない。

 書き手がワトソンという設定なだけに、前作『熱帯』同様、創作とは何か、フィクションとは何かというモチーフが見えてくる。そして物語は壮大なファンタジーへ。森見氏の手にかかると、世界中で愛されているこの探偵シリーズがこんな世界観になるのかと、楽しくもあり、圧倒もされたのだった。


■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970年東京都出身。文藝春秋BOOKS「作家の書き出し」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。著書に『偏愛読書トライアングル』『あの人とあの本の話』『ほんのよもやま話 作家対談集』、編纂書に『運命の恋 恋愛小説傑作アンソロジー』がある。


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