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【11月9日刊行】99歳と97歳の姉妹の大冒険! 訳者あとがき全文公開 髙山祥子/C・J・レイ『ロンドンの姉妹、思い出のパリへ行く』(東京創元社)

この記事は2024年11月9日発売の『ロンドンの姉妹、思い出のパリへ行く』訳者あとがきを転載したものです。(編集部)


装画:亀井英里/装幀:岡本歌織(next door design)

『ロンドンの姉妹、思い出のパリへ行く』訳者あとがき

髙山祥子  

 ロンドンの老舗しにせデパートの最上階にある、眺めのいいカフェで、すてきな中年男性につきそわれて二人の老婦人がアフタヌーンティーを楽しんでいる。そんな光景を目にしたら、それは本書の主人公であるジョゼフィーンとペニー、そして彼女たちのおいの息子、アーチーかもしれない。ジョゼフィーンは九十九歳、その妹のペニーは九十七歳。姉妹で優雅にお茶を飲む姿はかわいらしいが、この二人、じつはただ者ではない。
 スコットランドの旧家に生まれたお嬢さまたちだが、二人とも恵まれた平穏な生活に甘んじることなく、たくましく人生の荒波を生きぬいてきた。第二次世界大戦中には、ジョゼフィーンは海軍婦人部隊、ペニーは応急看護婦部隊で活躍し、戦争後もそれぞれに波乱の日々を乗り越え、高齢になって、ようやくロンドンの古い屋敷で姉妹二人の悠々自適な暮らしを送っている。
 そんな姉妹に、すばらしいお楽しみエクサイトメンツが訪れた。フランスのレジオン・ドヌール勲章の受勲が決まり、授与式に出席するためパリへ行くことになったのだ。名誉ある出来事に周囲は浮き立つが、当のジョゼフィーンとペニーは、単純に喜んでいるだけではない様子。楽しみなパリ行きのはずなのに、それぞれに思惑があるようで……

 パリは、二人にとって浅からぬ因縁のある街だ。一九三九年、ナチス・ドイツによる侵攻直前の不穏な時期に、二人は夏の休暇でパリの知人の家を訪れた。このときパリで過ごした数週間は、ジョゼフィーンにとってもペニーにとっても、その後の人生を変える大きな意味のある日々だった。二人はそれぞれに、このときの出会いから生まれた秘密を抱えて生きてきて、もうすぐ百歳を迎えようとする今、ついに思い出の街パリで人生の答え合わせをすることになる。
 ペニーとジョゼフィーンは、姉妹とはいえ性格はちがい、姉のジョゼフィーンは内向的、妹のペニーはむこが強くて外交的だ。いちばん大切なものは胸に秘めて誰にも明かさない姉と、いざとなったら理屈よりも行動に走ってしまう妹。若いころはぶつかることも多かったようだが、遠く離れていても常にお互いの消息を気にかけ、強い絆で結ばれている。
 二人とも自由を愛し、世間体や一般常識に囚われない独自の価値観を持っている。そして二人とも、自分の信念を守ることに関しては頑固なので、楽しい人生を送りながらも、苦労することも人一倍多かったにちがいない。
 イギリスの女性映画監督、サリー・ポッターの作品に、〈耳に残るは君の歌声〉という映画がある(原題 The Man Who Cried、二〇〇〇年)。世界大戦に揺れる激動の時代に、生き別れになった父親を探すユダヤ人女性の数奇な運命を描いた感動作だが、この作品について語りながら、サリー・ポッターは、“二十世紀には泣きたいことがたくさんあった”と言っている。日本では四半世紀近く前に封切られた映画だが、本書の仕事をしているあいだに何度か、ふと、当時のチラシで読んだこの言葉が頭をよぎることがあった。
 サリー・ポッターの言う二十世紀の“泣きたいこと”というのは、どんなものだっただろう。もちろん、すぐに二つの世界大戦が思い浮かぶが、そのような社会的に大きな出来事ばかりではなく、もっと個人的なレベルの、戦禍せんかをこうむって平凡な日常生活を奪われた人々の不幸をもさしていたのではないだろうか。 ジョゼフィーンとペニーにも、まさにそんな“泣きたいこと”がたくさんあった。運命を嘆き、じっさいに泣くこともあっただろう。だが、悲しみに負けてうずくまったままでいるのは、姉妹のプライドと美意識が許さない。無理にでも笑顔を作って、“いつも機嫌よくトゥージュール・ゲ”と言って立ち上がる。
いつも機嫌よくトゥージュール・ゲ”というのは、アメリカの作家ドン・マーキスの風刺作品に登場するキャラクター、ネコのメヒタベルのモットーだ。姉妹はこれを座右のめいとして、親しいひとたちを励ますのにも使った。他者からは、姉妹はどんな苦難をも軽々と乗り越えて、思いどおりに愉快に生きてきたように見えるかもしれない。だがじつは誰よりも傷つき、誰よりも自分自身に向かって、頻繁ひんぱんに“いつも機嫌よくトゥージュール・ゲ”と言い聞かせていたのかもしれない。
 そんな苦悩をよそには見せず、楽し気に人生を謳歌おうかしようとする二人の老婦人たちは、なんとも魅力的で格好いい。
 著者のC・J・レイはイングランドの西部、グロスター出身の女性作家。オックスフォード大学で実験心理学を学んだのち、ロンドンに移り住んでさまざまな仕事を経験し、現在はフルタイムで作家活動をしている。
 C・J・レイというのはクリッシー・マンビーという作家の別名で、この著者は、これまでにクリッシー・マンビー名義でイタリアを舞台にした心暖まる恋愛小説Three Days in Florence女性小説チック・リット〈Proper Family〉シリーズなど、多数の作品を発表している。二〇二四年一月に、C・J・レイ名義での初めての作品、本書『ロンドンの姉妹、思い出のパリへ行く』(原題 The Excitements)を発表。コメディとミステリの要素を併せ持つ上質なフィクションとして、好評を得ている。
 著者のレイは作家活動と並行して、脚本を書いたり創作クラスで教えたり、ゴーストライターの仕事をしている時期もあった。そのゴーストライターの仕事に関連して第二次世界大戦や“グレーテスト・ジェネレーション(最も偉大な世代)”について調べることがあり、それが本書の執筆に繋がったという。“グレーテスト・ジェネレーション”とは、一九〇一年から一九二〇年代半ばに生まれた人々のことで、第二次世界大戦を経験したのちに現代社会の基礎を築いたとされる世代だ。イギリスでは今もヨーロッパ戦勝記念日VEデーなどで、この世代への敬意が表されている。
 本書のジョゼフィーンとペニーも、この“グレーテスト・ジェネレーション”の一員だと言える。二人とも第二次世界大戦中は従軍し、戦後もそれぞれにいろいろな意味で・・・・・・・・社会に貢献する日々を送ってきた。それゆえにVEデーの祝賀会に出席し、ついにはフランスでレジオン・ドヌール勲章を授与されることになった。
 そんな姉妹を優しく見守るのが、姉妹の甥の息子にあたるアーチーだ。幼いころから大伯母であるジョゼフィーンとペニーにかわいがられ、その生き方に大いに影響を受けて育った彼は、大人になってからも年老いた大伯母たちの暮らしに気を配っている。本書でジョゼフィーンとペニーの大冒険を暖かい気持ちで楽しむことができるのは、全編を通して、アーチーの二人の老婦人に対する揺るぎない愛情が感じられるからではないだろうか。
 ロンドンの老舗デパートの最上階にある、眺めのいいカフェで、すてきな中年男性につきそわれて二人の老婦人がアフタヌーンティーを楽しんでいる。そんな光景を目にして、それが本当にジョゼフィーンとペニーであったなら、思い切って声をかけて同席してみたいと思う。お茶、いいえ、シャンパンを飲みながら談笑し、姉妹から直接スコットランドでの幼少期の話や、世界をまたにかけた冒険たんなどを聞けたら、さぞかし楽しい午後を過ごせるだろう。
 でも要注意! シャンパンに酔った勢いでつまらない質問をして、ジョゼフィーンとペニーの不興を買ったら大変だ。姉妹が指先を微妙に動かして、秘かにモールス信号で“お馬鹿さん”と打ち合っているなんてことにはならないように、くれぐれも気をつけよう。

 最後になったが、本書の訳出にあたっては、多くの方々の協力をいただいた。力を貸してくださった皆さま、そして東京創元社の皆さまに、この場を借りてお礼を申し上げたい。ありがとうございました。

  二〇二四年九月


■髙山祥子(たかやま・しょうこ)
1960年東京都生まれ。成城大学文芸学部卒業。訳書にサラ・グラン『探偵は壊れた街で』、ジェームズ・バロン『世界一高価な切手の物語』、ケイト・ウィンクラー・ドーソン『アメリカのシャーロック・ホームズ』、レスリー・M・M・ブルーム『ヒロシマを暴いた男』、ジャネット・スケスリン・チャールズ『あの図書館の彼女たち』などがある。


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