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分かり合えない人がいると知ることに海外留学の意味がある。

あなたの周りには分かり合えない人はいますか?

  • 趣味を理解してくれない?

  • 地元を出たいことを理解してくれない?

  • 子供が欲しくないことを...略

あなたも生きていれば、多かれ少なかれ会ったことがあるはずです。

あなたと人生が交わらない人と。

そして、長年何の意味があるのだと悩んできた末に、「海外留学」って結局「分かり合えない人がいることを知る」ことに意味があるんじゃないかと思ったのです。

わかりあうことのむしろ逆。そんな話を今日はしたいと思います。

「話せば分かる」なんてチープな言葉だ

「話せばわかる」なんて言葉はチープだ。

かつて暗殺された犬飼首相は拳銃をその額に向けた青年将校に対して、

「話せばわかる」

と言ったらしいが、結果は「問答無用」と言われて撃ち殺された。

現実はこうだ。

ところがこと留学になるとみんなが使う大義名分は真逆である。

「相互理解のために海外の文化を知る」

甘美な響きだか、相手と自分がお互いのことを知れば、仲良くなれるという思想は現実を知らない夢物語だ。

よ〜く相手の事を理解した上で、
「こいつは何が何でも排除しなければならない」

なんて思うことは実際にあるからである。

ここからは3名の登場人物を紹介しよう。
私が南米人と絡んで一切交流できないだろうと思った人々だ。

彼らがあなたたちに
「理解し合ったって無駄。だってお互いがお互いを許せないもん」

というどす黒い事実を気がつかせてくれるだろう。

教会に行くために支援プログラムを延期するメキシコ人

彼はかつて参加した外国人支援プログラムで出会った人だ。

簡単にいうと、支援プログラムを何回も欠席したのだが、その理由が毎回「教会に行かないといけないから」だった。

まぁ気持ちは分かる。信仰心を持つことはいいことだと彼を理解したい気持ちもある。

だが、彼に今必要なのは支援プログラムに見えていた。明らかに神に祈ることではない。

彼は問題を抱えていた。

外国での生活が全くわからない。役所での手続き、夢を叶えるために何の努力が必要か知識がない。

それを与えてくれるのが支援プログラムのはずだった。

だが、彼は毎度なぜか教会を優先して、土壇場で支援プログラムの週次セッションをすっぽかすのだった。

こちらのメリットを伝えると、相手

「分かった。その通りだ」

と朗らかに答える。そうか、分かってくれたかと安心する。そしてまた翌週も来ない。

連絡をすれば教会にいると言うのだ。

どうしろと言うのか?
彼は相互理解のための能力がないようだった。
土壇場で気持ちが変わるとどっかに消えてしまう。

過去と未来の行動に繋がりがなく、いつも今だけを生きている。今、教会の方に行きたいなぁと思ったら行ってしまう。

そんな人は支援したくても支援できないし、理解してもらおうと丁寧に説明しても理解できないのだ。

わかりますか?
こんな人がいるんですよ。

ゴミ漁りしかしたことがないアルゼンチン人

能力的に無理な人もいれば、立場的に分かりあうなんて出来ない人もいる。

ゴミ漁りを生業にするアルゼンチンのある家族の話がそうだった。

友人はある日、ゴミを捨てに行った。
彼はアルゼンチン人である街に住んでいる。

するとどこからかゴミ漁りがやって来てゴミを漁ろうとするではないか。

彼は思った。

「今日のゴミの中には漁られたくない古い下着とかを入れてるんだよなぁ」

そこでゴミ漁りに丁寧に伝えた。こうだ。

「すいません、申し訳ないんですが他は良くてもこれだけは漁らないでもらえませんか?」

ゴミ漁りはまるで聞こえないようにその言葉を無視した。まずは他のゴミ袋を乱雑に破り、遂には彼のゴミ袋にも手を伸ばした。

「頼むって!その中に感染症だった時に入れた膿の付いたガーゼが入ってるんだよ!」

ピタッと止まるゴミ漁り...そしてゴミ漁りは彼に怒気を込めて伝えてきた。

「ふざけんなよ?さっさとそれを言えよ。バカ金持ちが。」

まさに話が通じない。この2人の間にお互いを理解しようなんて気持ちは存在しない。そもそも理解し合って何になる?

ゴミ漁りは境遇を憐れまれて彼から所持金の半分でも分けてもらえるのか?

そんなわけない。

なら相手の事を理解する価値もないのだ。

こうして今日もアルゼンチンの大都市では格差を理由に他人と理解し合えない毎日が続く。

日本人は相互理解ができると思ってる

なんて殺伐としてるんだろう、と日本人なら思うかもしれない。

理解し合えないなんて悲しいわ。もっと深く話し合えば分かり合えるかも!

そう思う人もいるかもしれない。

そう思えるのはあなたが幸運な人だからだ。

みんな、教育を受けて、ある程度同じ道徳観を共有しているから話せば分かると思っているのだ。

だが、実際のところ世界はそんなものではない。

わかり合おうなんて思ってもいない人が沢山いて、彼らはあなたを利用するか攻撃するだけなんてこともある。

あなたが相手を理解しようとしないから攻撃するのではなく、ただ貴方が獲物だから攻撃するのだ。

スーパーで鶏肉が突然話し出して、愛を語ってもとりあえずステーキにするのと同じ理屈なのだ。

日本人は世界平均から見ればあまりにも豊かで平和な世界にいるので、人間のそういう醜さ忘れてしまう。

分かり合えない人とわかり合おうとするな...

ここで本題に戻る。
海外留学で「相互理解の大事さ」を学んだとすればそれは道半ばだ。

本当に学ぶべきなのは
「分かり合えない人がこの世にはいる」
という現実だ。

貴方がもし外国語を学んだから相手と仲良くなれたと思うなら、それはその社会への理解が甘い。

相手は貴方と同じ大学生ではなかったか?
日本に興味がある人ではなかったか?
特別オープンな思想の人ではなかったか?

結局、留学では勝手にスクリーニングがかかっていて、あなたと最も理解し合えないような、やばいレイシストみたいな人とは関わらないようにプログラムされている。

ところがどっこい、海外で仕事を始めると否応がなく、そういう連中と付き合うことになるのだ。ここまで経験できたらきっと留学で学べる事を学んだと言えるだろう。

こんな連中とは付き合えない。そんな連中がいないところを探して暮らす以外、平和な人生はない。

それか、そんな連中を実力行使で排除してしまうかだ。

アメリカで起きてきた物騒な民族対立なんて結局のところこんなシンプルな理由で起きている。

あいつらはヤバい。理解できない。ならやっちまおう

これだけ。

どす黒い話しだし、こんなこと言ってるやつの言葉なんて信じたくないと思うかもしれない。

だけど現実逃避して、わかり合った気持ちになって利用されて捨てられた元理想家の方が闇堕ちしたらもっと酷い性格になるのをこれまで見てきたので、先にお伝えしておこうと思った。

理解をしようとした結果理解しては行けないという事を学んだには大変皮肉な話だ。

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