利他学X
「利他学」(小田亮、新潮社、2011年)P119ー123より
利他行動と感情
私たちが互恵的利他行動(あとで見返りがあると期待されるために、ある個体が他の個体の利益になる行為を即座の見返り無しでとる利他的行動の一種)への適応としてもっている仕組みは、相手の利他性を検知したり、非利他的な人を特に記憶していたりというだけではない。実は、人間がもつ豊かな感情もまた、互恵的利他行動への適応ではないかという説があるのだ。
人間の感情には、怒りや驚きなど、他の動物と共通したものがいくつかある。その一方で、友情や同情、嫉妬、罪悪感といった、おそらく他の種にはみられない、比較的複雑な感情の働きもまたあるのだ。互恵的利他行動の理論を提唱したトリヴァースは、このような人間の感情のなかでも、道徳に関連するような感情は、互恵的利他行動への適応として進化してきたのではないかと考えている。
例えば、一般に人間は好きになった人に対して利他的に振る舞おうとするし、また利他的な人を好きになる。逆に、嫌いな人を利するようなことをする人はあまりいないだろうし、利己的な人はたいてい嫌われる。ということは、他人に対する好き嫌いの感情は、互恵的利他行動を通して進化してきたのではないかと考えられるのである。また、好きな相手とある程度のやり取りをするようになると、今度はその相手に友情を感じるようになる。友情には、相手との関係を維持し、互恵的なやり取りを持続させていくことを促進する機能があると考えられる。友達を裏切ろうとする人はあまりいないだろうし、互いに裏切らないような関係のことを友達というのだろう。
義憤という感情もまた、互恵的利他行動への適応だと考えられている。義憤とは、「道義を外れたことに対して感じる憤り」である。本書本章の最初に「四枚カード問題」による裏切り者検知の話をしたが、利益を得たにも関らず代償を払わない人を見たとき、人間が感じる感情がこの義憤だといえる。義憤というネガティブな感情があることで、人間はそのような裏切り者と見なしたものとの関わりを避ける。あるいは積極的に罰するようになり、さらなる搾取を防ぐ機能を果たしてきたと考えられる。
罪悪感もまた、人間が持つ複雑な感情の一つだ。人間は、他人から受けた恩や親切に対して充分なお返しができなかったときに罪悪感を感じる。他者から利他行動を受けてもお返しいなければ、短期的には損をすることになる。しかし、実はそれは長期的に見ても得なことだとはいえない。なぜなら、目先の利益に目がくらんでお返しをしなければ、せっかく時間と手間をかけて築き上げてきた互恵的な関係が崩れてしまい、長期的に見ても損をすることになってしまうからだ。逆にいうと、罪悪感という感情があるおかげで、人間は目先の利益に誘惑されることなく、他者との互恵的な関係を維持していくことができるのだ。
もう一つ、トリヴァースが適応の結果として挙げているのが同情である。同情が働くことにより、人間は苦境にある他者を可哀想だと思い、その人を助けるための利他行動を起こそうとする。つまり、同情には他者への利他行動を動機づけ、その相手と新たな互恵的な関係を構築するきっかけをつくる機能があるのではないかというのだ。
ここで、リバース・エンジニアリングの考えを使ってみよう。人間の同情という感情が他者との互恵的な関係を築くためにあるのなら、利他行動へのお返しをより確実にするような相手に対して同情を抱くようになっているはずである。進化倫理学者の内藤淳は、人間は自分のせいで苦況に陥っている人よりも、運が悪かったり、災害や事故に遭ったりしてそうなってしまった人の方により同情を感じ、助けたいと思うのではないだろうか、と主張している。株の取引で大損をした人と、災害などで財産を失った人のどちらに同情を感じるか、ということを考えてもらえばわかりやすいだろう。
なぜそうなっているのかというと、後者の方がお返しが期待できるからである。自分のせいで失敗した人は、その人自身の能力の問題が原因にあると判断されやすいだろう。そのような人に利他行動をしても、返してもらえない可能性が高いだろう。一方、たまたま運が悪く失敗してしまった人は、原因がその人自身の能力の問題ではないと判断されるだろう。ということは、そういう人を助ければ、後でお返しがある可能性が高くなる。
お返しの可能性についてもう一つの判断材料として考えられるのが、相手の性格である。なかでも、誠実さや真面目さが大きく影響するだろう。苦境に立たされた原因の如何によらず、日頃から真面目な人は積極的にお返しをしようとするだろうし、不真面目な人はそうではないだろう。実際、人間は真面目な人が失敗したときの方が、不真面目な人が失敗したときよりも同情する。日本語には「同情の余地」という言葉があるが、要するに人間は、偶然の原因で困っている人や、日頃から真面目な人には同情の余地があると判断するということなのだろう。人間の、相手やその行動について同情の余地があるかどうかの判断にも、進化的な背景があるのではないかと考えられるのである。
ここで重要なのは、お返しが期待できる、ということが必ずしも意識されていなくてよい、ということだ。自分はそんなに打算的なかたちで同情を感じているわけではない、と思う方も多いだろう。しかし、動機はどうであれ結果としてお返しがあればいいのである。たとえ無自覚でも、よりお返しが期待できる相手に同情を感じる「(心の)仕組み」さえあれば、そうではない仕組みよりも自然淘汰によって生き残りやすいだろう。しかし、特定の相手を助けたいと思うかどうかについては、他にもさまざまな判断材料がある。その人との過去のやり取りや、どういう関係にあるかということなどが影響するに違いない。そこで、同情の要因を失敗の原因と真面目さに絞って調査が行われた。
次節「人は誰に対して同情するのか?」へ続く