マティス『ロザリオ礼拝堂』〜一人の女性との絆が築き上げた彼の集大成
ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂は、シンプルで控えめな外観を持っています。屋根は白と青のタイルでできており、礼拝堂の中には錬鉄の十字架も見られます。この礼拝堂は、画家、アンリ・マティスが、「自らの仕事の集大成」と考え、装飾を手掛け、建築家オーギュスト・ペレとともに完成させます。ロザリオ礼拝堂は「マティス礼拝堂」とも呼ばれ、その装飾とデザインは、フランスの芸術と宗教の融合を象徴するものとして、今も人々に親しまれています。
マティスは十二指腸癌を患い、手術は成功しましたが、その後遺症でベッドと椅子での生活を余儀なくされます。そこで、看護師を探していたところ、ニースで看護師の学生として学んでいたモニーク・ブルジョワがそのことを知り、マティスと出会いました。その時、モニークは21歳、マティスは73歳でした。
モニークはマティスのモデルとして彼の作品に大きな影響を与えました。彼女は「モニーク」や「リドール」などの絵画のモデルを務め、またマティスの著作「ジャズ」の原稿作成にも協力しました。これを通して、マティスとモニークの友情は深まっていきます
1943年、マティスはニースでの戦火を逃れるため、フランスのヴァンスのル・レーヴに引っ越しました。この頃、モニークは修道院に入るために看護師の職を辞めましたが、マティスはその後も彼女に連絡を取り続けました。モニークはヴァンスのドミニコ会で、「シスター・ジャック・マリー」という名前で修道生活を始めましたが、マティスは彼女にモデルとして引き続き協力を求め、彼らの関係は続きました。
当時、ドミニカ会の修道女たちは、礼拝所として古いガレージしか持っていませんでした。そこで1947年、礼拝堂の建設を計画します。マリーはアサンプションのシンボルを表現したステンドグラスのプロジェクトをデザインし、アンリ・マティスに見せました。マティスは彼女の意見を取り入れ、礼拝堂プロジェクトに協力することにします。マリーは、礼拝堂の合板モデルを制作し、マティスとともにプロジェクトに取り組みました。
ロザリオ礼拝堂のステンドグラスの窓は、その全体的なデザインにおいて重要な役割を果たしています。これらの窓は、対面するセラミック作品と直接対応し、マティスの言葉を借りると「右側のステンドグラスの窓の色と左側の白と黒のバランスを取る」役割を果たしています。さらに、緑、黄、青といった窓の支配的な色は、植物のモチーフからインスピレーションを受けていて、自然を感じさせます。
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