Duolinguoでフランス語を学んでみた
最近、仕事でZoomがとても役に立っているいるということを書こうかなと思ったけど、何か、一気に認知度が上がっているようなので、まあ専門家でもない僕が書くまでもと思い返し、少し、仕事から離れて、どんなデジタルテクノロジーから恩恵を受けているかを考えてみることにした。
外国語を勉強するのが趣味である。英語の本を読むというのが中心だったが、最近は、少し別の外国語にも手を伸ばしはじめた。その理由はデジタル技術の発達である。
デジタルテクノロジーによって、圧倒的に変わったのが、外国語を学習する環境だ。
まず、英語力の強化という意味では、大量なポッドキャストプログラムがiPhoneで聴ける。どんな番組が利用可能かを調べるのでさえ大変なぐらい、質的にも量的にも凄いことが起こっている。
世の中的にはポッドキャスト黄金時代と言うらしい。
到底聞きつくせないほどの生の英語に触れられるのだ。暇な時に聞き流していけば、スーパーラーニングじゃないけど、たしかに耳は慣れてくる。しかしListening Comprehensionが飛躍的に上がるわけでもないというのはつらいところではある。
Kindleで買った英語の本をiPhoneで眺めながら、Audibleで買ったその本の音声版を聞くというような学習も可能になった。
単語にしたところで、スマホ上のKindleのスクリーンを長押しすれば、その意味がわかるのだから、学習者にとってはパラダイスである。
今、僕は、大学の頃に案外真剣に学んだフランス語を勉強しなおしている。フランス語は、文法はそれなりに勉強したこともあり、出発点としてはそんなに苦しくはなかった。
今回のフランス語学習の決定的な柱は、DuolinguoというスマホやPCで使える外国語学習アプリだ。
なにがいいかというと、スマホでとにかく、繰り返し繰り返し問題を解けることと、発音が学べることだ。ある意味で、語学の勉強、特に、文法や会話はなんども繰り返して間違えることができるかによって覚えられるというところがある。
デジタル技術のない世界では、単語を覚える場合でも、ノートを作ったり、書き取りの練習をするためにも、机が必要だったり、辞書が必要だったり、ノートと鉛筆が必要だったりと手間がかかったのである。
結局、その手間が嫌になってどこかでやめてしまうのが関の山だった。
僕がずっと続けられたのは、結局、デジタル前の世界でも、英語の本を、ペンシル片手に読み続けるという、持続可能な自分のスタイルを見つけられたからだった。それは、他に比べれば、作業工程がシンプルで、継続がしやすかったのである。
Kindleの登場後は、PC上に英文テキストとワードファイルをマルチスクリーンで並べて、片っ端から訳していくというスタイルで翻訳力のようなものがついた。Kindleができる前は、PCの左側の本立てに英語の本を措いて、それを横目にPC上のワードに翻訳をしたものだ。これも、場所に囚われる方法だった。
Kindleになってから、少なくとも本立てはいらなくなったし、PC一台で、とにかく、翻訳しまくることも可能になったのだ。
そのおかげで英文解釈の方は随分続けることが簡単になった。
ただし、英語力を上げるのにDuolinguoが良かったといいたいのではない。
英語に関して言えば、それなりに年季が入っているので、Duolinguoで日本語をベースに英語を学ぶ必要はなかった。
それなりの英語の基礎力がついていれば、それ以外の言語を学ぶために役立つDuolinguoのパワーはすさまじかった。
今、僕は、フランス語のDuolinguoを2年近く毎日続けている。残念ながら日本語をベースに学べる外国語は英語だけなのである。しかし英語をベースにすれば、フランス語でもスワヒリ語でもスペイン語でも中国語でも何でも、公文式的執拗さで学ぶことができるのである。
それに加えて、最近は、スマホでフランス語の辞書を買い、新聞のFigaroのウェブ版、アプリ版の会員になった。
アプリで使うフランス語の辞書がまた優れモノなのだ。一つの単語を調べると、例文が出てくる。そして例文の中の単語を長押しすると、その単語のページに飛んでくれる。しかも発音が音声で聴けるのである。昔の外国語の先生は、辞書をボロボロになるまで使えと言ったものだが、おそらく紙の辞書ならばらばらになるぐらいの頻度で使っても、ストレスはあまりないのだ。
そんなこんなで、趣味のフランス語漬け生活が、デジタルテクノロジーによって可能になっている。
2年続けているものの、いまだに、ポッドキャストでNHKのフランス語ニュースを聞いたりしても、単語が分離して聞こえるようになったぐらいではあるが、確実に、性数一致とか動詞の時制変化とか、文法書で読んでいても一切頭に入らなかったことが、くりかえし、くりかえし、同じような文章を何度も間違える中で、身体に沁み込んでくるのが感じられる。
1年前ぐらいにパリにいった時には、ルーブル美術館でも、エッフェル塔あたりでも、少なくとも、自分の言いたいことは言えた。残念ながら、向こうが本気でフランス語で答えてくるのには往生した。
今度は、Figaroの新聞をアプリやPCで読みながら、一気に難しそうな単語を身に付けていこうと思っている。
英語でフランス語を学ぶことの良さは、ある意味、欧米の言語はどこかで繋がっているので、その比較感の中で、英語というものがどんな言葉かということがよくわかってくるし、なんとなく、英語を基礎の基礎のところで身につけられるような感じがする。
名詞の男性形、女性形もなく、時制の変化も単純な英語という言語のシンプルさがわかると同時に、学生の頃は、動詞の語形変化の複雑さは厄介なだけだったが、変化することによって、意味がはっきりとしてくること、一定の型がある方が覚えやすいということがわかってくるのである。
別にフランス文学の専門家にもフランスワインのソムリエになるつもりもないのだが、このあたりの、微妙な複雑さと、継続が必要であるところが、むしろ、あきのこないゲームで味わうことのできるような奥深い楽しさがあるのだ。
英語がまあまあ読めるかなと思う人には、是非、Duolinguoでフランス語、スペイン語、中国語などを学習してみることをおススメしたい。