中国針灸がユネスコ入りした話
2010年、針灸は無形文化遺産として、ユネスコにリスト入りした。と言っても、保護対象になったのは中国針灸だけの話であって、日本鍼灸はほぼ無関係だ。これに対し韓国は猛反発しているそうだが、日本ではこの話題自体に触れる鍼灸師が皆無に等しい。
そんな状況を鑑みると、中国針灸に対する情報収集能力に関しては、日本よりも韓国の方が優れていると言えるかもしれない。さすがは年間50億本と言われる針の世界製造市場を、中国と二分している御国である。
日本の市場で流通している針灸針の多くは、他の工業製品と同様、中国製だ。現在、日本には鍼を作っている工場が数えるほどしか存在せず、純日本製は中国製に比べて1本当たりの単価が割高であるため、懐具合のお寒い大方の鍼灸師の間では歓迎されていないのが実情のようだ。そもそも品質が同等で仕入れ値が半額以下であれば、安い中国針を買うのが、個人事業主の鍼灸師としては一般的な反応だろう。経営的な観点から考えても、品質に特段勝った点がなければ、コストは可能な限り低く抑えられた方が良い。コストが上がれば施術価格を上げざるを得ないから、仕入れ値を抑えることは患者のメリットにもなり得る。まぁ、我利我利亡者のような経営者であれば、仕入れ品を極限まで買い叩いた上で高額な施術料金を設定するであろうが、マトモな鍼灸師であればそんなことはしないはずだ。ちなみに日本以外では、ドイツやベトナムでも針が製造されているそうだが、世界的にみるとそのシェアは僅からしい。
某国の鍼灸界では、「針灸の伝統は中国よりもウチの方が上じゃ!」などと騒いでいる御仁もおられるそうだが、中医経典の豊富さを比べてみるだけでも、中国の方が格上であることは明白だ。一方、国宝にできるほどの純国産の鍼灸書を持たぬ、針灸発祥の地でない日本の鍼灸業界では、未だに鍼灸重宝記や難経のみに論拠を求め、少数精穴だとか騒いで、施術を行っているケースが少なくない。ちなみに、中国では難経のことを黄帝八十一难经とか、八十一难と呼んだりする。
鍼灸重宝記は、学生の頃に当時のモノを入手して既に読了済みであるが、個人的には全く役に立っておらず、本棚の片隅に埋もれている。希少本であるから読まずとも流石に捨てる気にはならないが、緊急時には燃料にでもしようかと思っている。難経はアヤシイ日本語の注釈本を学生時代に学校で読まされたが、教科書も教員も信用していなかったから、卒業後に中国語で読みなおした。
そもそも、難経は経絡、臓腑、陰陽、病因、病機、営衛(気血)、腧穴、刺鍼、病証脈などについての問答集で、針について書かれているのは六十九難から八十一難だけである。つまり、実質13個の短いQ&Aだけにしか、針の情報が記載されていない。これだけを論拠にして効果的かつ再現性があり、現代中医的な針治療が行えるかと考えてみると、ほぼ不可能に近いだろうと思われる。確かに、中医は基本的な内容を暗唱するほど中医経典を臨床において重要視しており、新しい処方も刺鍼法も古典を論拠にして生まれることが多い。しかし日本より遥かに広大な中国においても、難経だけを論拠に針をしている中医などは見たことも聞いたこともない。
だいたい、黄帝内経や針灸大成、針灸甲乙経、針灸聚英、針灸问对などの著名かつスタンダードな中医経典があるのに、なぜ、日本の鍼灸師はそれらを読み、治療の論拠としないのだろうか。本質的な要因としては、日本で権威とされている鍼灸師も含め、日本の鍼灸師の多くが、中国語を解せぬことが挙げられる。さらに、日本の鍼灸学校のカリキュラムに医古文の授業がなく、国内で適切な注釈書が入手できないことも問題だ。例えば刺鍼する際に最も重要な「得気」についてでさえ、未だ日本ではほとんど知られていない。今のところ、日本で素問、霊枢、針灸大成、針灸甲乙経を完訳した鍼灸師は、私が知る限り、北京堂創始者で私の師匠である浅野周先生だけだ。今後は、日本も中国のように良質な注釈書を数多流通させなければ、延々と中国人に見下されているばかりかもしれない。とにかく、現在、日本で流通している鍼灸書は惨憺たる内容ばかりで、読むに堪えぬものが多すぎる。
中国では、1976年に朱汉章が発明した小针刀を発端に、1992年には「小针刀疗法」が出版、2003年には针刀医学が確立された。2004年には、古代九针からヒントを得た黄帝针と呼ばれる刺鍼法が中华中医药学会理事の黄枢教授によって開発され、メスを使わず低侵襲で頸椎疾患を完治させる刺鍼法が実用化されている。さらに、2009年の中医药健康大会では、穴位埋线を進化させた浮针疗法が発表され、1回の施術で即時に可動範囲を拡げたり、瞬時に痛みを無くすことに成功している。ここ30年で、中国はにわかには信じ難い速度で経済発展を遂げているが、中医の分野においても中西結合的な目覚ましい進歩を遂げている。
日本の鍼灸師が古代九針の模型を眺めながら、中国古代の針灸治療を夢想したり、極一部の古典に囚われている間に、中医はさらなる高みを目指し、進んでゆくだろう。日本には、「中国人はまだ人民服を着て生活してるんでしょ」なんて言う人もいるが、すでにデジタルアプリケーションで日本を凌いでいるように、針灸業界も日本の鍼灸師が知らぬ間に遥か彼方へ到達してしまっているのが現実だ。
日本の鍼灸界には、医師と鍼灸師が分業されていることや、医師であれば鍼灸学校を卒業していなくても鍼灸施術ができるということ、鍼灸師に法的な制約が多いことなど、様々な問題がある。しかし、とりあえずは、鍼灸学校で使われている教科書やカリキュラムを見直すこと、中医薬大学などから教員を招聘して日本人教員のレベルを底上げすること、国内で活躍している鍼灸師の下でのインターンを課すことなどが可能となれば、日本鍼灸もやがては変化を見せるだろうと思う。しかし、一番大事なのは、鍼灸師各々が中国針灸および日本鍼灸の現状を客観的かつ冷静に分析し、現実をしっかりと見据えておくことだ。
ちなみに、日本では国内最古の医学書として医心方が国宝扱いになっている。しかし医心方の内容は主に中医経典の抜粋であるから、鍼灸師としては現存する中医経典を中国で買い集めた方がメリットが多い。中国に行けば沢山の原書があるのに、わざわざ一介(いっかい)の写本にこだわる必要はない。中国語を勉強して、原本を読めば良いだけの話だ。
もし、かつての日本に優れた鍼灸書や、神医と呼べるような鍼灸師が存在していたら、こんなにも鍼灸が受け入れられ難い世の中にはなっていなかっただろう。日本には未だに、慢性頭痛や腰痛の類でさえ、3回程度の施術で完治させることができる鍼灸師は極めて少なく、実際に一部の学会などでは、「どうやって刺せばいいんじゃ!」などと大層な議論を続けているような状況だ。ありふれた病態さえマトモに治せぬのに、「難病は鍼灸で治せるけん!」などと、会員商法で無知な鍼灸師を集め、憑りつかれたように喧伝している御仁もいるようだ。実力のない鍼灸師が難病専門を謳い、藁にもすがる思いの患者を集め、悪評を立てられているケースもよくある。一般的には、まずは簡単な病態を確実に治せるように技術の基礎を固め、徐々にステップアップして、難治の患者を受け入れられるようになってくるはずだ。
最近は日本鍼灸を海外へ広めようという動きもあるそうだが、日本人にさえマトモに受け入れられていないのに、果たして世界に受け入れられることなどあり得るのだろうか。本業がままならず、他でアルバイトしないと食って行けぬと嘆く鍼灸師が多数派を占めるこの日本で、大衆からはエセ科学であると揶揄され鍼灸師としての社会的地位が危ういこの日本で、国際基準さえ持たぬ鍼灸師たちが、どのようにして日本鍼灸を国際化することが可能になるのであろうか。私はそういう客観的事実に気が付かない時点で、非常に胡散臭いと感じてしまうわけだが、とにかく海外へ進出したがる鍼灸師が実在するのは確かなようだ。ある人は、日本で稼働している鍼灸師約8万人のうち、5%程度が開業して成功していると言うけれど、私は3%にも満たないのではないかと推察している。
すでに中国では、国策として中医の世界進出が推し進められている。2013年11月には北京の同仁堂がポーランドで営業を開始し、欧州市場に参入した。同仁堂は中国で最も有名な薬屋の老舗で、欧州では中医を常駐させ、中医薬医院として機能させている。現在まで、オランダのハーグ、スウェーデンのストックホルム、チェコのプラハなど、26か国に130店舗以上出店し、5年足らずで欧州に中医薬、針灸を広めたと言われている。
2014年、一帯一路政策により、ドイツ・デュースブルク-中国・重慶間、約11,000キロを結ぶ、中欧班列と呼ばれる国際鉄道が開通した。それ以来、中国の欧州進出は勢いを増している。同仁堂が短期間で支店を増やすことができた背景には、中国針灸がユネスコ入りしたことや、屠呦呦が中国人初のノーベル生理学・医学賞を受賞したことなども、少なからず影響しているだろう。
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