アメリカで鍼灸が動き出した日(H.R.6 into law!)
2018年10月24日、トランプ大統領がH.R.6という法案に署名した。
これまでアメリカでは、オピオイド薬による死亡者が年間数万人以上に上り、鎮痛薬の過剰摂取が社会問題になっていた。『Dr.HOUSE』で、Hugh Laurie扮するDr.HOUSEが、バイコディン(コデイン)中毒に陥ったのと同じような状況が、多くのアメリカ人においても現実になっていたわけだ。アメリカでは、2017年に約7.2万人の患者が薬害で死亡し、その内2/3はオピオイド薬が原因とされている。
しかし、現在はH.R.6が認可され、鍼灸師がヘルスケアシステムの一員となり、疼痛と薬害で板挟みになって苦しんでいた患者たちは疼痛緩和の一手段として、病院で鍼灸施術を受けることが可能となった。健康保険を使えば無料で治療を受けられるそうだ。ちなみに、リアルトランプのツイッターによれば、トランプ大統領は中医医院での腰痛治療が習慣化しているらしい。
中国ではすでに、H.R.6関連ニュースで微博や微信が騒がしくなっている。一方、日本では、H.R.6法案通過から4か月余り経過した今も、報道はほぼゼロに等しい。日本には鍼灸師が十数万人いるにも関わらず、今のところ、ブログやSNSなどでもH.R.6に関して触れている日本の鍼灸師はほとんど見当たらない。全く、恐ろしい状況だ。
近年、日本のメディアは中国を叩くことが仕事の1つのような風潮があるから、今後も日本ではH.R.6について報道されない可能性もある。密かにこのウェブサイトを見ている、自称日本鍼灸界の権威やゴッドハンドらが、あとになって騒ぎ出す可能性はあるが、おそらく現時点では、日本の鍼灸師でH.R.6について知っている人は極僅かであろうと推測される。
もちろん、アメリカや中国に何らかのコネクションがあるとか、常に海外からの情報を独自に入手する体制が整っているようなグローバルな鍼灸師なら、H.R.6については当然知っているだろう。
私は大してグローバルではないけれど、北京の某鍼灸メーカーの社長やその社員たちと微信でお友達になっているから、幸いにも朋友圈で常に最新の針灸・中医関係の情報を得ることができるし、微博でも随時様々な情報が入ってくるようになっている。それと最近は、N.Y.で針灸師ライセンスを取得した某女史が治療見学に来て、お知り合いになったから、色々とアメリカの医療情報などを教えてもらえて助かっている。
日本では、中国語で中医文献が読めずとも、世界の鍼灸事情を知らずとも、容易に権威を装えるという、旧態依然とした感じが未だ根強い。それゆえ、そういう鍼灸師に師事しているような鍼灸師は、世情を知らぬまま、根拠なく日本の鍼灸が最高であると盲信しているようなケースが少なくない。呆れたことに日本メディアの影響か、中国人は未だに人民服を着て生活しているとか、中国は日本より科学技術が30年遅れているなどと信じ込んでいる人も少なくない。
アメリカの鍼灸師も日本と同様、中国語を解せる人は少ないようだ。しかし実際には、日本の鍼灸師に比べ、正統な中医学に基づいた治療をしている人が少なからず存在するらしい。おそらくアメリカは英語圏ゆえ、日本には流通しない英訳の中医文献が沢山存在するから、アメリカの鍼灸師は本物の中医文献に触れる機会が多く、日本の鍼灸師に比べ、再現性のある治療効果を出せる人がそれなりにいるのだろう。そうでなければ、鍼灸がオピオイド薬の代替として、病院で採用されることはなかったかもしれない。
日本では、10年以上も前からエビデンス、エビデンスなどと日本語を覚えたてのオカメインコのように騒いでいる鍼灸師がいるけれど、毎日多くの患者に接し、1~3回の施術で効果が出るような、再現性のある鍼灸治療を実践できている鍼灸師はどれくらい存在するのだろう。もし、そういった腕の良い鍼灸師が数多存在しているのであれば、すでに日本でも、アメリカのように鎮痛薬に変わる手段として、病院で鍼灸が選ばれるような状況になっていたかもしれない。とにかく、鍼灸に明らかな効果が見られるならば、多くの医師が患者に鍼灸を勧めるだろう。
科学では再現性が最も重要だ。人体の構造は基本的にみな同じなのだから、同じように刺鍼して同じように治らなければ、エビデンスと高らかに叫んでいようが、どんな高尚な治療理論であろうが、科学的とは言えない。
アメリカでも薬品メーカーの力が大きいから、針灸が今後どのように扱われていくのか予測がつかないが、トランプ大統領が“the opioid crisis”に対処すると高らかに宣言し、鎮痛薬の氾濫を抑え込むため、鍼灸を医学の一部として取り入れた意義は非常に大きい。
しかし、acupunctureとは言っても、主には正統な中国医学に基づく中国針灸のことであると推察され、中国針灸がユネスコ入りしたり、屠呦呦が中国人初のノーベル生理学・医学賞を受賞した流れでのH.R.6承認とみるべきで、日本鍼灸が影響していると考えるのは早計だろう。ちなみに、中国人は巨大なビジネスチャンスとばかりに、すでに動き出しているようだ。
N.Y.で鍼灸師をしている知り合いの某女史は、「この流れが日本に行く日も近い」と言う。確かに、アメリカの影響が大きい日本国であるから、何れは日本の鍼灸業界にも何らかの影響が出るかもしれない。
しかし、日本でも再現性のある治療ができる優秀な鍼灸師が増えなければ、アメリカからの影響が出たとしても、結局は多くの医師や患者に針治療を選ばれぬまま、何ら現状と変わらない可能性もある。いやむしろ、美容鍼や明確な効果がみられない慰安鍼しかやってこなかったような、疼痛専門の実践的技術を持たぬ鍼灸師が無鉄砲な施術に走れば、刺鍼事故が増加したり、鍼灸界の醜態が露呈する可能性もある。
現在、鍼灸業界においても、中国やアメリカの勢力は増すばかりだ。日本の鍼灸師もウカウカしていたら、近い将来、路頭に迷うようになるかもしれない。