終着駅としての役割とは?(PARCO_yaの配信を終えて)
ハコマチ編集後記「PARCO_ya」〜#007/008〜
ターミナルとは終着点のことである。
しかし、日本におけるターミナルとはハブを意味し、集約と拡散をする地点を指すことが多い。
今回取り上げた上野は“東京”以後、ターミナル駅として東京を支えてきた。
明暦の大火以後、下谷地域が江戸として編入されてから上野の終着点としてのは内から外への行き止まりと外から内への行き止まりを繰り返す。
江戸期は、内から外へ江戸の終着点として鬼門を守った。
明治期以降は、東北本線、市電などが整備され、外から内への玄関口となった。
戦後、その傾向が集団就職などにより強化されていく。
しかし、1972年の日中国交正常化あたりからまた、西に発展した郊外からの目的地としてのシンボルとなる。
平成以降は、直通列車などの波に押され、乗り換えとしての機能が薄れ、通過地点としての役割も強くなっていく。
そのような中で、江戸期から庶民生活を支えてきた松坂屋。
1957年には南館をオープンさせる。
集団就職から高度経済成長、所得倍増と、日本経済が成長し、
庶民生活が整っていく過程で、ターミナル駅における消費場として、中流意識の醸成に貢献した。
しかし、一億総中流となり、モノは満たされた。
その後、バブルは終わり、ハイブランドは陳腐化した。
さらに、インターネットによる流通革命が起き、買い物が民主化した。
そのため、消費の場の提供者は、「モノ→コト」と強迫観念にさらされ、“普通に良いモノ”を普通に売ってはいけないのではないかという錯覚に襲われた。
常に変化球を求められ、一つのモノを買っていただくために、"修飾語"を複数つけなければならなかったのだ。
「PARCO_ya」はそれらに対するアンチテーゼとも言える。
シタマチのフロントでもあり、ターミナルでもある当館において、シタマチとして地元のクラフトマンを紹介する役割を有する。また、ターミナルとしては、マスに向けて、多様なシーンでの利用を想定するため、利便性が高くベーシックで上質なモノが求められる。
そこをいわゆる1970年代以降の渋谷セゾン文化を担い、現在においても"サブカル"や”ニッチ”を表現するPARCOが表現するというのもアンチテーゼという理由である。
それも、上野台地は官製文化地区、下谷広小路は庶民生活を支える民間商業地区という棲み分けを現代的に解釈したということでもあるのではないだろうか。
都心まで行かなくなるこのwithコロナ時代において、ターミナルがハブではなく、真の終着(=ターミナル)性を復活させる絶好の機会なのだ。(K.T)