
人間の傲慢が生む過去と現在の二重の不幸:『遠い山なみの光』読書感想文
ノーベル賞受賞作家としても知られるカズオ・イシグロ氏のデビュー作である『遠い山なみの光(A Pale View of Hills)』は、イングランドに住む長崎出身のEtsukoが、娘の一人が自殺した悲しみを引きずりながら、過去に長崎で出会ったSachikoとその娘Marikoの話を思い返す物語だ。
話が進むにつれて、SachikoとEtsukoの物語が大きく重なっていること、何ならSachikoの物語はEtsukoが作り出した幻想なのではないか、ということに気が付く。
してしまった選択に対する後悔と、その選択をせざるを得なかったことに対する苦々しさの間で、私たちは常に悩まされている。そのことを、この物語は実によく描いている。
満足せぬ現状が続くことで心が侵食されていく一方で、そこから足を踏み出して新たな場所に行くことによって生じる不幸もある。Etsukoの回想によれば、Sachikoは上流階級に生まれたものの、夫を亡くしたことによって、日々を生きていくのにやっとだった。加えて、子どものMarikoはわがままばかりを言い、自分を悩ませてくる。アメリカ人のボーイフレンドに何度も裏切られるも、それでも彼を信頼し続けようとするSachikoの姿勢は、すべてが自分の思い通りに行ってほしいという傲慢が人の目を曇らせてしまうことを切実に物語る。同時に、そのプライドは、物事が思い通りにいかないと、恐れに転じる。そして、恐れを隠そうとすることが、またそのサイクルを加速させていく。
もう一つの問題は、たとえ思い通りに物事が運んでも、幸せが訪れるとは限らないことだ。むしろ、不幸になる可能性だってある。娘の一人を自殺で亡くしたEtsukoの境遇は、Sachikoとその子どもMarikoの行く末を実に不吉に予言しているようである。人の回想がいかに信用できないかというのはカズオ・イシグロの得意とするテーマだが、その背後にはそもそもの人の選択とそれの背後にある理性の頼りなさがある。こうすればうまく行くだろう、こういう選択をすれば自分の子は幸せになるだろう、そういった思いが不確かなものにすぎないことを、EtsukoとSachikoの物語は切なくも恐ろしく示してくれる。しかし、それ以上に確かなのは、不満足な現状が続いても、幸せになれないということである。こうして、選択しなかったら続いていたであろう不幸な過去と、選択した結果起きてしまった不幸な現在との間で、行き場のない思い(無念と呼ぶにせよ、怨念と呼ぶにせよ)が歪んだ形で肥大化していくのだ。信用できない語り手の回想が私たちに示してくれるのは、その一側面にしかすぎない。
いずれにせよ、『遠い山なみの光』は、人が心の底に封じ込めようとする無念と悲哀を、言葉の行間で語ることができるカズオ・イシグロだから書ける切なくも恐ろしい物語でした。