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「建国記念の日」奉祝祭講演会【天皇と日本国憲法】~日本の青い鳥~(講演文字起こし)

【1 「幸せの青い鳥」】戦争を知らない子どもたちの天皇との出会い/敗戦ショックとWGIP/戦後の理想(進歩主義と普遍主義)に対する幻滅

只今ご紹介に預かりました、弁護士の徳永です。先ほどのお話の中に、東京オリンピックの体育の日、それが今、Happy Mondayと呼ばれているという話がありまして、その話を聞くと、アメリカのことを思うんですね。同じような状況はアメリカにもあって、今、クリスマスのことをHappy Holidayって言うんですよね。トランプ大統領が就任して、これは今年のクリスマスに「Merry Christmas!」って言って、それで喝采を浴びたと。アメリカで「Merry Christmas!」が言えないってのが今の状況かと思って。なるほど、トランプさんに期待されているところがあるって言うのは理解できたような気がします。

で、今日私は、天皇制と日本国憲法っていうことに題をしました。この「天皇制」っていう言葉に対しては随分活発な議論があるのは承知しています。しかし、まあ、憲法の問題を議論する以上、「天皇のあり方に関する制度」というくらいの意味で、その言葉遣いを許して頂きたいなというふうに思います。

まず先ほどのお話の中にもありました、今、天皇制、あるいは天皇と子供たちがどのように向き合っているのか。私、大阪の公立学校だったんですけれども、いわゆるニュータウンというところで育ちまして、そこには先進的な進歩派の若い先生達が大挙してやって来ていまして。まさしく進歩的な、戦後民主主義の教育を受けたわけなんですけども、その時の学校の先生の中には、当時成田闘争で従軍していたんですね。で、女の先生だったんですけども成田闘争の帰りに、自分が持っていた火炎瓶を電車の中で落として割ってしまって、自分が燃えて死んでしまったっていう事件があって。学校で「黙祷!」と言われて、なんで死んだかわからないままに黙祷していたことがありました。そういうところで教育を受けましたんで、およそその、憲法の話は何度も聞くんだけども、天皇が憲法に定められているということは知らないんですよ。それから、君が代を歌ったことがない。それから、日の丸の掲揚というのもどうも見た覚えがない。で、その時に「戦争を知らない子供たち」っていう、フォークソングが当時流行ってましてね、自分たちはそうなんだなと。戦争のことは何にも知らない、でも、「お前らは何にも知らないんだ」って言われても、「それがどうしたの、知らなくて良かったよね」という、そういう気持ちでいたわけですけども、そういう僕たちがどうやって天皇と出会っていったのかと、いうようなことを通じてですね、今日の話を続けていきたいと思っているんですけども、題として「幸せの青い鳥」というのを出しました。

これはご承知のように、ベルギーの劇作家であるメーテルリンクの戯曲です。で、チルチルとミチルという2人の子供が、魔法使いのおばあさんから、娘を助けるために青い鳥を探して持ってきてくれというふうに頼まれた。それで、その魔法でまずは、最初は「思い出の国」というところに行った。そこに飛んでいる青い鳥を捕まえるんだけれども、途端に真っ黒になってしまった。で、続いて行ったのが夜の御殿。そこで青い鳥を捕まえるんだけれどもそれも籠の中に入れたら死んでしまった。あと、「墓場の国」っていうところに行ったりあるいは「幸福の国」って言う所に行ったりするんですけども、そこでは死者が邪魔したり、あるいは不幸な人が邪魔して青い鳥を捕れない。で、最後に行ったのは「未来の国」って言う所で、そこで青い鳥を捕まえるんですけども、持って帰ったら赤色になっていた…と言うことで、どうやら青い鳥っていうのは捕まえることはできないんだと思って帰ってきた所、目が覚めて。夢だったんですね。そして、見ると部屋の中にいた鳥が青い鳥だったって言う話ですよ。まあもともとこの話は、最後もうひとつオチがついてて、その青い鳥を持って隣のお婆さんのところに連れて行くと、お婆さんの娘さんの病気が治るんですけども、で、その青い鳥に餌をやろうとしたら、青い鳥は飛んで逃げていってしまった。って言う話。とりあえず、今日の話はその「青い鳥」すなわち「理想」ですね。幸せ、あるいは私達が追い求めている理想というもの、で、それに今まで気が付かないで外の国を探し回っていたけれども、何だ、気が付いたら、日本の中に居たじゃないかと。そういう意味を込めて、「青い鳥」という題で講演させていただくことにしたいと思います。

で、その、何故こんなことになってしまったかということをまず、僕なりにどういうふうに考えているかというのをまず申しあげますと、やはり何よりも敗戦のショック。非常に大きな精神的ショックを受けたって言うことがやっぱり一番大きいんじゃないかなと。GHQによる、日本は悪い国だったっていう洗脳のせいなんだという考え方ももちろんあります。War Guilt Information Programというふうに言いますけどもしかし、アメリカの野郎の洗脳なんてものに易々と引っかかるっていうのは、そもそも大きな精神的ショックを受けて、精神がガタガタになっていたからなんだろうなっていう、そちらの方を先に見るべきなのかなと。

そんなふうに思うのは、すごく印象的なものを昔読んだことがありまして。こう見えても若い頃は文学青年だったんで、随分小説とかも読んでたんですけれども、志賀直哉ってご存知ですよね。「暗夜行路」とか色々著名な作品ありますけども、この人は文章の神様って言われているんですよね。で、文章の神様って言われていた人が戦後に、雑誌の座談会に出てきて、言ってるんですよ。「これからの日本をどうしようか」って。で、志賀直哉が言ってるのは、「国語を変えなきゃいけない」っていう。今回の戦争で負けたのは、国語が劣っているからだと。で、じゃあどうするんですかと言ったら、「僕は、フランス語がいいと思う」って。まあ英語よりフランス語のほうがね、インテリぽいってのもあったんでしょう。だけどもね、それを志賀直哉が言ってるんですよ。その辺のおっさんが言ってるんじゃない、政治家が言ってんじゃない。文章の神様、卑しくも、日本語遣いの達人と言われた人がやね、国語変えて日本語をフランス語にしましょうって、マジで言っているわけですよ。まああの、そのことはね、よっぽどショックが大きかったんだなと言うしかないなと。随分前にお亡くなりになってるわけですけども、今生きてたら穴の中に入りたいと間違い無く言われるでしょうし。ただ、やっぱり我々日本人が、当時の日本人の気持ちを偲ぶ時に、それぐらいの衝撃があったと言うふうに見る必要がある。というふうに思ってるんです。

で、これはもう憲法見たらその前文に書いてあることなんですけども、戦後の理想、戦後の青い鳥ってのは日本には無くて、それは世界史の中にあると。西洋あるいはアメリカの文化、白人の文化の中にそれはあって、憲法の中に書いてあるのは、どう言うことかって言ったら、その前文ですよ、要するに「人類は多年の努力によってここまで進歩してきた」と。そして「民主主義を獲得して、理想の社会に向かって歩いてきた」と。その人類の歩みの中に、日本も寄せてもらいますって言う話ですよ。それまでの日本の歩みのことについては何にも書いてない。ただただ、戦争に負けて、そういう大きな犠牲を払って、日本もそういう世界の歩みの中に入れてもらいましたと。これからはそういう一員として、世界と協力しながら、頑張っていきますって言って、優等生になりますって言ってるわけですけども、ところが今になって、振り返って世界を見てみると、そこに書いてあったその、崇高なる理想とかいったものは一体、何だったのかなと言うふうに首を傾げざるを得ません。僕は「進歩主義」と「普遍主義」と言うふうに書きましたけれども、要はそこの、憲法の前文に書いてあることは、この「進歩主義」「社会」「人類の社会」ていうのは進歩して行くんだと。そして一つのその進歩の道筋、進歩の階段を皆で上がって行くと。先に上がったのはイギリスであったり、フランスであったり、アメリカであったと。そこに遅れて日本もその階段を上がるようになってきた。負けないように早く上がってねって言う、そう言う話なんですよね。

で、日本にあった特殊性。日本の特殊性っていうことの最たることは何かっていうと、天皇制ですよ。そういう天皇制のことを無くすとは言わないから、そういう特殊性では無くて、世界の普遍に向かって日本は歩むべきだってふうになって。そういう物語なんだ。それが、戦後我々が教え込まれた理想、青い鳥だったということです。

【2「ダンス・ウイズ・ウルブス」】1990年アカデミー賞/社会進化論(西暦)vs 文化多元主義(元号)/サルトルの退場と構造主義/ラスト・サムライ(2003年)/普遍主義とアイデンティティ

そういうような状況が、1980年の後半ぐらいから変わってきました。それで、ここに書きました「ダンス・ウィズ・ウルブス」という映画。ご存知の方多いと思いますけれども、一昔前の俳優になりましたけれどもケビン・コスナーが主演して、西部劇なんですけども、西部劇だったら主人公になるはずの、ヒーローになるはずの、騎兵隊。兵隊になるはずだった者が怪我をして、戦場にそのまま放置されて、そこをネイティブアメリカンに救われて、手当てを受けて彼らと一緒に暮らすようになって、その中の女性と恋仲になって生活して行く。その中で、その彼らが持っている文化と価値に目覚めるわけです。で、いままで一方的に騎兵隊の側、欧米西洋の側から見ていた野蛮と見る価値観から、いやここにはここの、独自の文化と価値があるんだということを感じて、そのことを白人社会に訴え、彼らと一緒に故郷を追われて、そして逃げて行くっていうようなそういう映画だったと思うんですけども、これがそのアカデミー賞を取ったんですよね。1990年のことです。

まあそれまでも同じような筋立ての映画っていうのはあったんですが、ここで問題なのはそれがアカデミー賞を取ったっていうことなんです。すなわち、そういう「様々な文化があって、様々な独自の文化の価値を持ってるんだ」っていうことを強く言えるようになったのがその頃だっていう話です。で、1990年の前年、1989年ていうのはベルリンの壁が崩壊した時です。それまでは簡単にいうと、社会進化論的みたいな考え方、いわば「生物の進化に重ねるような形で社会も強い者が生き残っていく」と。そういう形でどんどん進化して行くんだと。で「野蛮な社会、遅れた社会ていうのはそういう中でどんどん淘汰されて行くんだ」っていうような考え方のもとで、社会進化論の考え方に立ってましたし、それがこの時点で「文化多元主義」今はもう常識になっちゃいましたけれども、文化多元主義ということが言われるようになった。「それぞれの文化にはそれぞれの価値があるんだ」「どっちが一番かということを競ってもしょうがないや」ということを言うような考え方の方ですよ。

で、まあ考えれば「日本の文化多元主義」っていうのは何かなということに当然なってくるわけで、今まで追っかけてきた西欧じゃなくて、日本独自のものってのは何かあるのかと。って言ったら、あるわあるわ。まずは、ここに書いたように年号ですよね。ヨーロッパも、アメリカも、世界中が西暦を使う。これはご承知のようにキリストの暦ですよね、イエス・キリストのグレゴリオ暦です。それと、じゃあ「我々キリスト教徒でもないのに何でそれを使わなあかんのや」と言っても、「いやいや、それは向こうが進歩してるからです」っていう話しかなくて、それをそのまま、別に疑問もなく受け止めていたわけですけども、いや違うぞ、一つ繋がりの未来があるわけじゃないぞっていう話になってくる。じゃあ我々の文化を象徴するものはあるのか。っていうとやっぱり元号があるじゃないかという話ですよね。

先ほども令和のことについてお話がありましたが、詳しく話すことはしませんけども、要はその、我々には我々の生きてる時間があるんだということですから、これ非常に大事なことで、悲しいことに、今はもうこれ中国にも韓国にも無いわけですよね。で、イスラム暦ってのはありますけどもまあそういうことを見ていると、日本はそういう尊いものをよくぞのこしてたなあっていう気がするわけなんです。このことはどうしても共産主義のことに触れざるを得ないんですけども、まあ我々学生の時にはやはりその京大で、俺はインテリだと思っているプライドの高い連中は皆ね、やっぱりマルクス読んでましたよ。で、「資本論」読むのは大変だけれども、でも読んだフリくらいはしとかなあかんかった。だから、人と話すときね、「あれはあそこに書いてあるんだぞ」みたいなことを、読んでなくてもそういうフリをするそういう文化があった訳です。それはやはりそのマルクス主義ってのが「人類が進歩して行くんだ」というそういう、西洋的な思想の頂点にあったっていうことなんだなあということです。

サルトルって言っても誰も知らないかもしれないけども、僕らの頃はまだサルトルが頑張ってた時期で、哲学者なんですけども彼は「20世紀、21世紀はマルクス主義は越えられない思想なんだ」と言ってた訳ですよ、ところがまあサルトル自体が1980年代以降、そこに登場してきた「構造主義」っていう哲学によってもうボロボロにされちゃったわけよ。で、ボロボロにされて「ああ、そういうような西洋中心主義的な進歩主義っていうのはもうダメなんだ」というふうに思うような時期に「ダンス・ウィズ・ウルブス」だとか、ベルリンの壁の崩壊だとか、そう言ったことが続いた。

この時に何というか、時代の転換があったんだっていうふうに思ってるんですけれども、その「ダンス・ウィズ・ウルブス」を書いた著者。セドウィックっていう人が作者なんですけども、彼が次に書いた作品が「ラスト・サムライ」なんだよね。日本の伝統というのは何か。日本の価値、固有の価値。アメリカだとかヨーロッパとは違う独自の価値があるんじゃないかというふうに、日本人がやっぱりその思い始めた状況の中で「ラスト・サムライ」ていうのがあった。そこで、見た方はおられると思いますけども、トム・クルーズがアメリカの将軍か何かの役で、西郷らしい登場人物と出会ってそこで彼らの文化に馴染んでいくと。そして西南戦争だと思われるけれども、官軍と戦って死んでいく、というような現場の中で、「自分たちの文化と誇りを忘れなかった彼らのことを忘れないでくれ」と天皇に直接会って話をする、というシーンで確か終わるんだと思うんだけれども、その時に出てきたのが若き明治天皇。日本人がやはり、自分たちの文化と向き合って価値を確認する時には、それが何だかわからないけどもとにかく「天皇陛下が出てこられる」というのは私たちが大切にしているパターンなんだなっていうことに、改めてここで気付かされたわけなんです。

その時点で今までの普遍主義ってものを、日本人がどうやって克服して行くのか。世界にどうやってこの、世界の田舎である日本が、都会に居てるヨーロッパやアメリカなんかのフリをして生きていけるのかってことを今まで大事にしていたのに、いやそうじゃない、それからはもうアイデンティティの時代なんだと。自分たちは何者なのかと。これからどうするかってこと以上に、自分たちは何者なのかということを確認しながら生きていかないと生きていけない時代なん。それはなぜかというと、未来に希望がなくなったからなんですよね。というか、わかりやすい未来の希望がなくなった。未来への一つの希望ってのが「進歩主義」だったし「マルクス主義」だったし、そういういわばインテリが掲げていた理想だったんだけれども、そういうものが一気にこの頃なくなってしまった。かと言って、アメリカがいう資本主義、金儲けりゃいいんだっていうそれもなあ…っていう風に思う、そういうとき振り返るものとして、私達には「天皇を中心とした日本という文化、国体」があったということ。そこからこれを探して行くっていうことになるわけですけれども、そんな中で、靖国訴訟というものに関わることがありました。

【3「靖国訴訟(死者との約束)」】中曽根総靖国公式参拝(1992年)/小泉総理靖国参拝(2001年)/安倍総理靖国参拝(2013年)

靖国問題。これが憲法違反になるんじゃないかということで、裁判になったのは中曽根総理が公式参拝した1992年、この時からのことです。この時にも全国数カ所で裁判が起こされました。それについては一つおかしな判決があったんですけども、しかしながらいずれも国が勝った。

で、小泉総理が、8年ぶりか9年ぶりで靖国神社に参拝した。当時、橋本龍太郎と直接対決を自民党の中でして「自分が総理大臣になったら靖国神社に終戦の日に必ず行くんだ」って言って公約して「お、やっとこんなこと言ってくれるやつが出てきたな」ってことで、それで圧倒的な人気を得て総理大臣になったんですけども、しかしその年の終戦の日の2日前に、前倒しして靖国神社参拝した。僕も、「何でそんなもん、中国に遠慮せなあかんねん」っていう、たった2日なのにと思って見てたのを覚えてるんですけど、それで済まないで、全国各地で裁判が起こされた。全国7カ所。大阪なんて1000人超えてましたからね。そういう裁判を起こされて、そこで僕がたまたま裁判所にいて、そういう原告達がゾロゾロと法廷に入っていく姿と出くわしたわけです。何だあれは?っていうふうに聞いたら、「知らなかったんですか、靖国神社が訴えられてんですよ」っていう話。その後、大阪に天満宮あるんですけども、天満宮で報告会あるのを見てたら、皆さんもう、しゅんとしてるわけですよ。神社の方からもですね、「靖国神社が裁判で被告になってるから、守るために応援しにきてください」って言われてきてるお年寄りが沢山いたわけですよね。この裁判からは、中曽根さんの時はそんなことなかったんだけれども小泉さんの時は、靖国神社が被告にされたんですよ。何で靖国神社が被告になるのか。わかんないなっていうふうに思うんですけども、「小泉総理の参拝を受け入れた、それがけしからん」と。神社がどうやってその、お前来るなって言って拒むのかってわかんないんだけれども、それでもそれはけしからんと。自分たちの気持ちはそのことによって傷ついたなんて言って、それで一人一万ずつ慰謝料請求しているわけですよ。大阪でも千何人かいたわけですよね。で、僕はその裁判に行くようになって、聞いたらですね「戦死っていうのは犬死だ、天皇の命令で犬死を強いられた人たちの死を美化する装置なんだ」っていう。で、在韓韓国人っていう人が原告の中にいて。在韓韓国人ですよ、韓国にいてる韓国人ですよ。うちの国のことはほっといてくれって言いたくなるけども、彼らは朝鮮語で言うわけですよ。わーって。通訳がわざわざ、「靖国神社は魂を強制連行するのか」って。どうも彼らは、靖国神社に骨があると言うふうに思ってたようで、大きな誤解に基づくことだったんですけれども、「日本は植民地支配の時に徴用工で強制連行しただけじゃなくて死んでからも魂を強制連行するのか」っていう、まあそれはすごくインパクトがあるわけですよ。裁判官それ聞いてて、どう思ったのかはわかんないんですけども、当時は国はこう言う裁判で一切反論しなかったですから、それに対して、いやそれは違うじゃないかとか言わないしやね、それはまた後ほど書面にしますとか言ってね。当時国が言ったのは、「これは訴訟にはなりません」とか「時効です」とか。中身の話についてはほとんど言わなかった。

まあその、国の代理人っていう国側の弁護士って言うんかな、弁護士の役割をする人たちは、お役人なんですよね、基本的に。で、検察庁とかあるいは裁判官が法務省に出向して、そこで法務局ってところに入って、それで「あなた順番ですからこれやってください」って割り当てられる。別に愛国者がやってるわけでも、この裁判はけしからんと思ってやってるわけでも何でもない。サラリーマンがやってるだけなんです。だからね、頑張る気持ちもそんなに見えないし、怒りも感じないし。ただおかしなこと言って叱られたらいかんなーというだけなんよ。この種の裁判いっぱいあったんですけども、やって来る方は、どの道、国は反応しないからとやり放題好き放題やって、歴史認識も何もめちゃくちゃ言うわけですよ。でもそれ反応しないから、裁判官によってはそれそのまま判決に書いたりもするわけだよね。そんなことしてたんではね…とてもじゃないけどもそこに応援にきた人たちは納得できない。言われたことの中には「魂の強制連行だ」と。「靖国神社ってのは血まみれの天皇の祭壇だ」「靖国神社は血の錬金術をするところだ」とか、「戦争責任をそのままにしといて、要するに従軍慰安婦や徴用工の問題をそのままにして靖国神社に首相が参拝するなんて言うのは、とんでもないことだ」とかさ、だからそういう、靖国神社に行って頭を下げるなんていうのはとにかく、近代的自我を持った人間のすることじゃないとか、天皇制イデオロギーによる支配であってこれはもう意識を支配していると。だから本人たちは気づかないでやってるんだとかさ…まあそういうことを言いたい放題言ってて、これでこちら側も「言うべきことは言わなきゃいかんで」っていうことで、遺族たちを代理して、そして靖国神社がもし、首相の参拝も受けいれられないという差し止めをうけることになったら、自分たちの遺族としての気持ちが痛むと言って、補助参加したということなんです。

それでこの時に、一緒にその補助参加の代理人弁護士として務めてくれたのが、稲田朋美元防衛大臣だったわけです。彼女ともうひとりの弁護士と3人でやりました。この時に、どういう理屈で我々が戦ってたかって言ったら、基本的には「死者、英霊と国との約束だろ」と、「もし戦死するようなことがあれば、国はその家族とそして戦死した方を厚く扱うと、遇する」と。靖国神社では英霊として、顕彰と感謝を奉ると約束してたじゃないかと、だからその遺族たちは、その事を国に対して求める権利があるんだと。っていうようなことを言いました。こういう主張は裁判所からは、具体的な証拠がないということで蹴られたわけですけども、常識っていうのは具体的でないんですよ。だけども皆が知ってたし「皆がそういうふうに信じた、そのことが大事なんだ」ってことの訴えです。で、ただその主張を自分たちがしていて、ふとその考えこんだのは、約束。はたして、英霊の方々が約束した国は今の国と同じものなのかっていう問題が、実は法律の世界の中であるんだということに、直面させられたわけです。このことはこの後に続きますけれども、とりあえず靖国の裁判については平成18年に最高裁が、今後の訴えをシャットアウトするかたちで判決を出してます。政教分離に反するということはいわなかったんだけれども「そもそも内閣総理大臣の地位にあるものが、靖国神社に参拝した行為によって、個人の心情ないし宗教上の感情が害されたとしても、それで嫌な思いをする人がおったとしても、損害賠償の対象となりえるような法的利益の侵害があったとは言えないんだ」と、要するに裁判にならないんだっていう話です。自分の信仰のままに、自分の気持ちの、思いのままにどこかの神社に行って頭を下げる、お寺に行って手を合わせる、そのことは、仮にそれが忌々しく思う奴がおったとしても損害賠償の対象にはならないんだと。たとえ内閣の総理大臣であろうが、靖国神社であろうが、一緒だっていう話ですよ。

当たり前のことなんですけどね、こういわれてみたら。少なくとも人々が共存するっていうのはそういうことでしょう?嫌なこといっぱいあるじゃないですか。今日朝起きてから今までの間に、だいたい皆さん、おそらく幸せな人生を送っておられるからそんな沢山嫌なことがあるとは思わないけども、あの野郎、前を歩いてる奴もう少し速く歩けよとか、車に乗ってたらさ、おかしな運転しやがってとかさ、色んなつまらないこと思う。だけれども、だからといっていちいち裁判してたら一緒に暮らせないじゃないですか。共同体において人と一緒に暮らす、共存しているっていうのは何らかの嫌な思いにも耐えます、で、その範囲の中でどうしてもこれはちょっと行きすぎやなということについては、そういう法律で裁いてもいいけれども「神社に参拝して『お前はそんなことやってどうすんねん』とか言うようなのは、裁判にするようなことじゃない」という当たり前のことなんだけれども、まあそれが判決になって示されないと、なかなかマスコミはわかってくれなかったっていう話ですよ。

それでじゃあ終わったのかって言うと、そのあと安倍さんが平成23年かな、12月に靖国神社に参拝した。第2次安倍内閣のときに。1次のときには行かなかったからね。そのことが自らの後悔だっていうふうに言ってたことを聞いたことがありますけども、先ず行った。その後も、行ってほしいなあと思ってるんですけどもまあしかし、とりあえず、まずその時行った。で、また東京と大阪で裁判が起こされて、その裁判も我々が補助参加という形で行ったんですけれども、このときに原告の方は、在韓韓国人だけじゃなくて在中中国人、それから在日ドイツ人とかね、色んな人がいてね、言うわけですよ。これはもう彼らの演出なんですけどね、「世界は日本を見てるぞ、厳しい目で見てるぞ」ていうことなんだけれども、いやいや実のところ、世界に目を向けてみたら、むしろ日本に対して「もっとお前達頑張ってくれよ」と。まあ今は特に東南アジアなんてのは、中国の膨張に怯えて、日本がもうちょっと頑張ってくれたらなあと、いうふうに皆思ってます。

それ言ったらまた中国からやられるもんやから、表立ってはなかなか言えないんだけけども、でね、その頃に台湾の人たちだけは言ってくれました。で、その台湾の人達は「日本は私達の故郷なんだ」と。で、「靖国神社には、日本人だった自分たちの同僚の英霊たちがいっぱい祀られてる。そこをこういうふうに汚すようなことはほっとけない」と台湾の方から言ってきた。で、遺族とともに台湾の人たちも補助参加に入ってもらって」この裁判の中にどんどん突撃してもらったわけです。で、この人数が1000人超えました。原告の数より増えてた。後で靖国神社の代理人から「原告の数よりも沢山で、大変心強い思いをしました」というふうに言っていただいて。勝ち負けとは関係なしに、そういう裁判をやってマスコミに取り上げさせて、それで靖国神社けしからんという印象操作をするだけですから。逆に、靖国神社に対しては、世界から、台湾から、思いを寄せる人たちが駆けつけてくれたんだというふうな情勢の場にこちらはしたんで、彼らは非常に面白くなかったと思いますけども、我々としてはそれで作戦としては成功した。で、台湾人で補助参加していただいた人たちの名前については、靖国神社の境内の中に保管していただいています。で、その台湾の問題について。自分たちは本当は日本人なんだと、実は去年の9月くらいに台湾人の裁判を起こしました。その台湾人の方は日本人の両親のもとで、日本人として生まれてるわけです。台湾で生まれた、現地の人なんですけども、台湾の人は当時日本人です。その間で日本人として生まれ、日本語で育った。日本の学校で教育を受けた。そして志願して日本の兵隊になって日本のために戦った。戦争で負けて戻ってきたら、日本の国籍は奪われていた。で、まあその彼らの国籍が、日本の国籍がなくなったってのは実は法的には非常にあやふやな根拠しかない。ポツダム宣言であるサンフランシスコ平和条約で日本は主権を放棄しているけれども、その放棄した主権の先がどこに行くかってことはこれは各国で違うところなんですけど、日本の場合は、台湾の場合放棄したものが中華民国に行くのか、中華人民共和国にいくのかわからない状態で宙ぶらりんになり、どこに行くって書いてない、放棄したと書いてあるだけ。サンフランシスコ平和条約のときにはもう蒋介石は中国本土から追われて、台湾に来てましたから、台湾をおそらくは中華民国として支配してたんだけれども、国連の中でどっちが正当性があるか、ああいうことをずっとやってる中で平和条約は結べないわけですよ。講和条約結べないわけです。で、そんな中途半端でしかも条約で競い合ってたから、国籍どっちにするのかを決めてない。法律も日本にはないわけですよ。で、そんな中で一つの政令だけで、国籍を奪われる形になってる。入管法か何かの扱い、規則なんですよね。で、彼らはその、国籍奪われて、帰ってくると蒋介石の中華民国が支配している。戒厳令になる、そこで、元日本軍の兵士やということがわかったらすぐ、拘束されて牢屋に入れられて、行きますと言った人間は中国本土に送られ、兵隊になるわけですよ。で、人民解放軍と戦うわけです。で、前線に送られますからそういうのは。そこで戦って、またそこで捕虜になるわけです。捕虜になった人間はどうなるかと言ったら、朝鮮戦争で中国軍の前線で、雲霞のごとく米軍に襲いかかったという人民解放軍の先立ちになるわけですよ。で、まあ多くは脚繋がれたりね、後ろから狙われたりなんかしてそれで走っていくわけですけどもまあその中でも生き残ったまた戻ってきた人がいます。まあそういう人は原告じゃないんだけれども、そういう人がいるんだよと聞かされた。僕の原告は楊さんという方を始めとした3人なんですけども、とにかくその「お前たちは中華人民共和国の国民だ」と言われても、「いや俺は中国人じゃない、支那人じゃないんだ」という気持ちの中でずっと生きてきた。しかしそのことはあまり大きな声では言えない。彼は今はもう96歳です。矍鑠としてるけれども、96歳。「死ぬときには、日本人として死にたい」というふうに言われて、「じゃあそのために、『法的に日本がやり残してきたものをそれはおかしいじゃないか』っていったら日本人はきっとわかってくれる」というふうに言って、今裁判をやってます。第2回が3月東京地裁で開かれますんで、そういう裁判があるってことを覚えといてください。

日本がやってないことについてけしからんって言われるのはもう聞き慣れてるんですけども、韓国や朝鮮の人たちの方から、「あれもよこせこれもよこせ」って言われるのとは違って、彼らはその「死ぬときには日本人として死にたい」というその望みですよ。国籍が日本であるということを確認してあげたい。この理屈としては、国連憲章の第一条に「国籍は人権の基本だから、本人の了解なしに奪うことはできない」って書いてあるんよね。「彼らの国籍が勝手に、一方的にとられたのはその国連憲章ができてから後のことだから、おかしいじゃないか」っていうのが基本的な理屈なんですけどね。台湾の関係では補助参加に手上げてくれた人達が沢山いたってことで、台北や高雄にいきましたけども、そこで当時、旭日旗を挙げながらデモ行進をする人たちがいたわけですよ。何かな?と思ったら元日本兵の台湾人。そういう人たちはね、怒ってるわけです。やっぱり台湾について放ったらかしにするわけにいかんぞと。韓国については請求権協定で、日本としてやるだけのことはやったというのは、もう皆さんご承知のことだと思います。それが、ちゃんと直接向こうに渡ってないっていうのがあって、日本のために戦ってくれた人たちの事を思うと、日本人としてはちょっと、もうちょっとなんとかしてやれよっていうふうに思うときがあるんですけどもそれは、韓国の政府がやることで、俺達としてはやることはやってるというのがなんとなく、心の慰めですよ。ところが台湾人に対してはそれやってないんですよね。そういう請求権協定みたいなかたちで結ぼうとしても、中国が「俺の領域の所に手を出すな」っていうわけですよ。「中華人民共和国の人民に金をやったりするな」って言うわけですよ。

このこともご承知かな…小野田さんがルバング島で見つかったときのことを覚えておられますかね。あの時は「こういう人がいたんだ、大変だったな」っていうふうに日本人皆思ったし、戻ってこられてよかったっていう風に思った。その半年くらい経ってから、もう一人日本兵が現れた。フィリピンで。で、「ああこれ最後の日本兵だ」ってことでマスコミは飛びついた。で、名前も中村なんとかいう人。でもその後報道はピタッと止んだ。その人は、台湾出身の日本兵だってことがわかったからなんです。で、中村さんは「日本に帰って、天皇陛下にお会いしたいということで今まで頑張ってきたんだ」ということで。だけれども日本に来ることは叶わず、そのまま台湾に戻されて、日本語しかしゃべれないのね、周りは皆中国語しかしゃべれない人たちの中に置かれ、どうもその後の消息についてはわかってないんですけども、孤独な人生を終えられたんだっていうふうに聞いてます。そういうのを聞くとね、台湾の方々に対して、やっぱり我々何かすべきじゃないかなってふうに思うし、それ以上に台湾の人たちの方から「自分たちは日本人なんだ、日本のために頑張ってきたしこれからも日本人として頑張りたいんだ」っていう声を聞くとね、日本人であることにこれまでそんなに誇りに思わないで生きてきた自分たちの生き方に、非常に反省を強いられるわけです。

そこでも突き当たるのは、彼らが「自分たちが日本人だ」って言ってた時代の日本と、今の日本とは同じ国なのかなっていう、国の連続性の問題について思いが至るわけなんですけれども、平成が終わって令和を迎えました。平成を思い返す特集番組がいっぱい色んな所で作られましたし、それを見た方も多いと思います。で、私に言わせれば平成という時代は日本がこの戦後教育の毒をデトックスする、吐き出すための30年だったんだな、っていうふうに思うんですよね。

従軍慰安婦の登場したのは平成元年だったっていうのはご存知ですかね。従軍慰安婦の問題が発生して日本はこんな悪い事をしたんだっていうふうに言われて、そしてまた「やりました」っていう人も出てくるしね、だから、ほんとかなっていうふうに当時思っていたこともあったんだけれども、どうもその平成の終わり頃になって、これは間違ってた、嘘だったということがはっきりして、ついに最後に朝日新聞が謝罪しましたよね。なんの根拠もありませんでしたっていう話で。村に押し入って何十人も何百人も、まあ彼ら20万人って言ってたからね、そんなに女性引っ張ってきて、目撃者が一人もいないんだからね、いまだに。で、朝日新聞は総力をかけて韓国の済州島と、本土のほうに記者行かせて、そういう目撃談とか証言を探したけれども「あったのは事実だ、でも俺は見たことない」って。…そんなもんねえ、自分の娘や恋人、あるいはお母さんがね、「乳飲み子も引き離された」って言ってるんだからさ、そうやって連れて行かれてね、トラックに押し込められてそして戦場に連れて行かれて、兵隊さんの売春婦にさせられて、しかもお金も一切もらえない性奴隷をずっとさせられて、最後には死んだんだって、そんな話になってるわけですけども、そんなことがあったら誰も見てないはずがないのに。「私は慰安婦でした、ひどい目に遭いました」って人はいてるよ、でもそれを目撃したとか、私はそれをなんとかやめさせようと思って戦いましたっていう人は一人もいないんだからね。で結局、朝日新聞はそれは根拠がないって間違いでしたってことを認めて、終わったのが平成ですよ。

【4「平成・国体連続・三大訴訟」】1.靖国訴訟(中曽根・小泉・安倍)/2.日の丸君が代訴訟/3.大嘗祭違憲訴訟

その間に何があったかっていったら、国の連続についての3つの裁判があった。その1つは先程言った、靖国訴訟。国の連続っていうのはね、日本が続いてるんだってことを私達に知らせることっていうのは、僕は3つあるっていうふうに思ってます。

ひとつは靖国神社。ひとつは日の丸・君が代。戦前からあった、日の丸・君が代が自分たちの国の象徴だと。そしてみっつめが天皇陛下です。で、日の丸君が代訴訟ってのは平成23年、24年に最高裁判決、3つだされましてね、いずれも合憲だと。ここで言う合憲っていうのは、国旗国歌の儀式っていうのは国家の重要な儀式なんだ、そのことについていう必要はないってことなんだけれども、彼らが言ってたのは、「日の丸君が代、そんなのは国歌でも国旗でもないんだ、その事を強制するのはけしからん」というような裁判だったわけです。「いやそれはちょっと成り立たないよ、日本人は皆それが国旗国歌なんだというふうに思ってるんだから、そのことは大事にしなさい」っていう話ですよ。

それからもう一つ。天皇陛下が、戦前の天皇陛下と今の天皇陛下と同一かっていう問題が憲法上ありまして、憲法では、憲法の多数説はこれは別なんだっていうね、「今の天皇は日本国憲法によって創設された機関なんだ、それまでの天皇とは名前が一緒なだけで違うものなんだ」っていうふうに言ってる。で、大嘗祭が平成の御代替わりのときにありました。平成の御代替わりのときに、大嘗祭があったときにそれが違憲だと、政教分離に違反して違憲だという裁判があちこちに起こされたわけです。で、それについて平成14年、平成16年、まあだからこれ10年がかりの裁判ですよね。平成の御代替わりの時に起こされた裁判なんだから。で、最高裁が出て、「いやいや大嘗祭っていうのは天皇の伝統的な、歴史的な皇位継承の儀式なんで、国家行事としてなされてきたんで、そういう意味においてこれは政教分離に違反するような宗教的な行事じゃないんだよ」という判断を出したんだけれども、それを出すにはこれだけ時間かかったわけですよね。しかしまあその時にはもう全国各地で裁判起こされたわけですよ。即位の礼も違憲だ、あれも違憲だという感じでね、でも去年、令和の代替わりの時にはそんな状況まったくなかった。当時は大学の周辺でも反対デモやらそういうのがいっぱいあった。中核派も街頭デモをやってましたよ。

だけども令和は、元号も含めてですね、それに反対する人たちってほんとにいなくなった。…とはいえ、裁判起こされたんです。たしか今年になってからですね、240名くらいが東京地裁に「大嘗祭を公費から出すのはこれは違憲だ」とか言って。でも、新聞も大して取り上げない。これはもう終わった事件として、それからもう平成の時代にそういう、戦後に教えられたような色んな歴史的嘘話みたいなものについては、平成の時代に一応全部毒を流したんだなと。そうした上で令和の時代を迎えたんだなということを、改めて感じるわけなんですけども、そこで今言ったような「国家の断絶」ということをね、何を学者やインテリはね、偉そうにそんな事言ってんのかっていう話をします。なんでそんな事を言うのかと。

【5「八月革命という病理」】八月革命説とその根拠

彼らの理屈をちょっと紹介します。僕は憲法が専攻なんで、まあこの辺は一生懸命やってたところなんですけれども、「八月革命」っていう言葉は聞いたことある人が多いんじゃないかな、わかんないかな。どういうことかっていうと、「日本がポツダム宣言を受諾して、天皇陛下が終戦の詔勅をだして、この時に革命が起こったんだ」っていう考えです。「この時に法的な革命が起こった。天皇主権から国民主権に変わったんだ」と。これは憲法改正したから変わったんじゃないですよ、ポツダム宣言受諾したから変わったんだっていう考え方なんですよ。

でその前提は「ポツダム宣言っていうのは、無条件降伏を求めるというものであって、日本がそれを受諾したと。それによって天皇主権が国民主権に変わったんだ」っていうふうに言うわけです。「そのあとに憲法改正やってるけども、その時にはもう既に革命が起きて国民主権になってて、国民主権になってる国が、国民主権の憲法を制定したんだから、法的にはそれで辻褄が合うんだ」ってそういう話なんです。でこの考え方によると、日本の建国記念日は、日本が建国された日は、昭和20年8月14日ってことになるんですよね。こういう人達がいるから今日(=2月11日)じゃだめだっていうことになるわけですよ。でね、まあその根拠を言いますと、ポツダム宣言っていうのは全部で13項あるんですけれどもそのうちの12項、13項が問題なんです。で、12項というのは、「日本国民が自由に表明した意思による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める」っていうわけですよ。

これなにが問題なのかって思うんだけども、学者がどういうふうに言ったかって言うと「日本国民が」って書いてるでしょ、この「日本国民」が誰かっていうところに、今も学会の大論争があるんですよ。それは何か。「この日本国民に天皇が含まれるかどうか」って話。「天皇以外の日本人のことを日本国民っていうんだ」っていうのが東大の宮沢学説です。フランス革命のときの、王とフランス人民との対比っていうのと、その縮図をここに持ってくるんですよね。だから、マルクス主義にもあったそういう歴史の発展段階を通して、「革命が起こって、そして闘争史観によって国民主権ができたんだ」っていう考え方ですよ。「階級闘争が天皇と国民のあいだにあった」っていう前提。それで、階級闘争はなかったけれども「アメリカの力を借りてポツダム宣言の受諾によって、革命が成し遂げられたんだ」って考えるわけですよ。で、もうひとつがここ。「我々は日本政府が、全日本軍の即時無条件降伏を宣言しその行動について十分に保証することを求める」ここなんですけれども、見たらわかるように、ポツダム宣言が求めてるのは、「日本軍の無条件降伏」なんですよ。で、政府はそのままあって、ちゃんとそれを保証してるっていう。だから無条件降伏ではないんですよ。京大の憲法では、東大とは違ってね、「ポツダム宣言の受諾は無条件降伏だというふうにいう人たちがいるけどもそれは大いに間違いだ」と。「これは軍隊の無条件降伏と言ってるだけだと、まあそれでその後、陛下の終戦の詔勅を聞いたらわかるよ」っていう話なんですけれども、ところがこれを受諾する前に、日本の政府と軍の間で、これを呑むべきかどうかってことの喧々諤々の議論があって、で御前会議が開かれる前でこれはもう呑むしかないなってなったんだけれども、陸軍としては「その前に少し確認させてくれ。それで日本の国体が守られるのかどうなのか、陛下の地位が、保証されるのかどうなのか確認して、それが確認されたんだったら降伏してもいい」と言う話になってそれで、照会するわけですよ。でその照会に対して返ってきたのが、バーンズ国務長官の回答だったんです。

でここにね、こういうことが書いてあった。「天皇及び日本国統治の国家的権限は連合国軍最高司令官の制限の下に置かれる」これね、be subject toって書いてあるのね、これはもうオタクの議論かもわかんないけれども、まあそんなことを聞いたなあというふうに覚えてるんです。これ「制限の下」っていうふうに訳してるけれども、外務省の訳。陸軍の方の訳は、「隷属する」と書いてある。be subjectが何かの下に、隷属するっていう訳し方なんです。文脈で訳すしかないんだけれども、「これは天皇の主権を認めないってことだ」っていうふうに陸軍は反発して、ポツダム宣言の受諾に反対した。で、延々とこう御前会議をやる。最後に天皇陛下が、「陸軍の言うこともよくわかった。だけど自分には確信がある。米国の善意を期待しよう、私を信じて、これを受諾してくれ」って昭和天皇は、決裁を下して受諾に踏み切るわけなんです。でもうひとつ問題になったのはここにもあるのね、この日本国民っていうのは、天皇以外のことだっていう説があって。陸軍で言ってたのはこのときですよ。東大の憲法学がそのように言い始めたことなんですけれども、それを根拠にして、「このときにこれを受諾したってことによって、革命が生じたんだ」っていう。で、外務省それから京大の佐々木惣一先生は、「日本国民であるのは、Japanese peopleなんですよ。日本人だろと。日本のことは日本人が決めたらどうだ」って言う、そういう話ですよ。そこでだから、何をその憲法で議論するかといったら、「日本国民の中に天皇が含まれるかどうか」っていう話です。馬鹿なことやってるでしょ、こういうことを延々とやって、おかしな解釈、それがね、東大の憲法学でそれが通説になってるからまずい。というのはやっぱりそのあと役人になって大蔵省や厚生省や文部省に入っていった連中が、皆そんな教育を受けて、それが正しいと思って入っていくわけで、そういう人たちが戦後を作ったし、戦後の日本の教育を作ってきたんだということ。だからやっぱりこれね、オタクのような馬鹿な議論に思うかもしれないけども、「八月革命説」っていう、「日本が断絶した別の日、建国記念日は8月14日です」という考え方に対し「それは間違っている」っていうためにこれはやっぱり覚えておいてほしいんですよね。

【6「茲ニ國體ヲ護持シ得テ」】終戦の詔

まあちなみに日本の政府は、「憲法は正式な手続きを経て大日本帝国憲法から日本国憲法に改正されたんだ」という立場です。これは京大憲法の立場だったんですけども、それを証拠として言うにはこれを言われるわけです。終戦の詔勅。「ここに国体を護持し得て」と。この終戦の詔勅は皆さんご承知だと思います。普通は夏に聞くものなんですけども、冬ですけど聞いてください。「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なる汝臣民に告ぐ。」と始まるんです。でその後日本は、アジアを解放するためにこの戦争に乗り出していって、あれだけのことをやって、国民の勇敢な戦いによって頑張ったんだけども、思うように戦局が好転しない。そのうちにアメリカから原爆を落とされ、無辜の民が死んでいった。で、いまここで、降伏するっていうことは、そのことについて国民の、悔しさや憤りはわかるけれども、自分もそのことについては五内為に裂くっていうんだよね、内臓が張り裂けるくらい悔しい思いをするけれども、そのあとに「しかれども朕は時運の趨く所堪え難きを堪え忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す」と。だから、受諾するんだと言うんですけども受諾する理由としてもう一個付け加えます。
「朕はここに国体を護持し得て」と。「国体も護持し得た」と。「負け戦になっちゃったけれども、しかしそれでも皆必死の戦いをやってくれたおかげで、なんとか国体を護持することができた」ってことを言うわけですよ。「忠良なる汝臣民の赤誠に信倚し、常に汝臣民と共に在り」ということを宣言して、そして「神州の不滅を信じて祖国の建設に努めよ」といったあとで「道義を篤くし、志操を鞏くし、誓って国体の精華を発揚し」ここにも国体が出てくる。「世界の進運に後れざらんことを期すべし。汝臣民それ克く朕が意を体せよ」と。これで終わってるわけですよ。何度読んでも名文だなっていうふうに思うんだけれども、やっぱり必死さが伝わるよね、で「ここに国体を護持し得て」という言葉はやっぱり大きくて、それが条件なんですよ。だからこれは、外すことはできない。東大のその宮沢教授とかはどう言ったか。「いやそれは国民を騙すための戯言だ」っていうんだよね。

【7「国民主権」と「国体ノ護持」】国体変更論争とは

そのあと、憲法改正ということになります。で、さっき言ったように東大の憲法学説っていうのは、「革命が終わった後、それを成文化するための作業だった」という位置づけですけども、まあ政府は、それまでも明治憲法は実効的だし、その中でも当時貴族院があるんだからね、日本国憲法でも国民主権に変わってるっていうのは貴族院ってのは一体何だったんだとかね、色んな問題が出てくるわけですけども、国民主権により、まあそれでも憲法改正された、それで国民主権になった。セットで象徴天皇制になった。そのことによって国体は変更したのか変更してないのか。政府は、国体は変更していないんだっていうのを前提にして、憲法制定議会を開いて、そこで憲法改正を行った。その時、政府側の答弁に立ったのが金森徳次郎国務大臣。で、衆議院において、衆議院でも参議院でもこの憲法制定議会において、まあ100条から成る日本国憲法について、全部質疑応答があるわけなんですけれども、実はその85%くらいはこの「国体の変更」のことについての質問なんよ。もうずーっと、大丈夫なのか、これはおかしいんじゃないかという話を。

9条についても、質問があって確か、野坂参三が軍隊を保持するには、これはだめなんじゃないんかと言って共産党の方から質疑があったということがあって、吉田首相がその時、いやいやそもそも正しい戦争なんかないんだとかっていう話で、この9条の議論もあるんだけれども、そこばかりクローズアップされてるけど、ほとんどはこの、「この憲法で大丈夫なのか」っていうそういう議論よ。国体は守られてるのかっていうね。それに対して金森徳次郎は、ずっと言い続けた。「国体は、微動だにしてないんだ」ってもう言い続けるわけです。もう何があろうと、国体は変わっていないんだって。「天皇陛下がこうやって象徴としておられて、それでいられる以上はこれは国体は守られたんだ」って言って頑張り抜くんだけれども、貴族院に行った時に京大の憲法学の教授だった佐々木惣一が、貴族院にその時議員になって質問に出る。佐々木惣一は、その反対質問をするってことを前々から言ってて、そのことについては命狙われるぞお前っていうふうに言われて警告されたそうです。当時の右翼は、とにかくあの、進駐軍による憲法改正に協力することで天皇陛下をお護りするんだっていうふうに固まってたんで、それに反対するっていうかたちで答弁するなんていうのは、命は保証できないぞって言われるそういう時代だったってことがあるんですけども、しかし佐々木惣一はそこで、国会にあえて立って、言った。「国体ってのは、天皇陛下が国家の統治権を総覧するかたちを言うんだ」と。「ここでいう国民主権と象徴天皇制という、新しい憲法にはそれがないじゃないか。これは国体変更したというほかないじゃないか」っていうふうに言って、詰めるわけです。佐々木惣一はその、国体とはこうだってことを言うんだけどそれは、当時の治安維持法に国体を便覧するという要件があって、その便覧の国体とは何かっていうところで、その統治権の、総覧する体制ってのは規定されているんですよね。それは憲法にだって当てはまるだろうということで、あなたの言ってることはそれは詐欺みたいなもんだよ、口からでまかせだって言って、攻撃をするわけなんだけれども、そこまで詰められると金森徳次郎も、こらえきれずに「先生の言うことはよくわかりました。では法的意味の国体は確かにありました。だけれども文化的意味の国体は変わっておりません」って言ったんだよね。じゃあ当然、まあ金森徳次郎が、「国体の真の芯は残った」とも言ってるんですけども、「じゃあその、あなたの言う文化的意味の国体ってなんだ」っていう話。で、また金森徳次郎は答弁に出てきて、「天皇を憧れの中心とする国のあり方でございます」というわけですよ。よくわからないっていえばよくわからないし、なるほどそうかっていうふうに思えれば思える。まあ文化的意味っていうんだから、まあ法的な問題じゃないんだから、そういう考え方もありかなと。いうふうに思えるようになるんですけども、とにかくその答弁を国会が承諾して、そして憲法が改正されたんだって事を覚えておいてほしい。

この国体変更論争ってのは続きがありまして、憲法改正された後、佐々木惣一はそのあとも憲法国体変更論を唱えるんだけれども、それに対して学会の方から、和辻哲郎っていうのが。東大を出た哲学者なんだけれども、いわゆるその、西田幾多郎の弟子として京都学派に所属していた哲学者で、まあ倫理学が中心なんですけども、彼は、「いやいや佐々木先生の御説はよくわかったけれども、しかしそう頑張る必要はないんじゃないか」と。和辻哲郎によれば、「天皇の本来のあり方に、日本国憲法をもって戻ったというふうに解釈したらいいんじゃないか」っていうのよ。

どういうことかっていうと、天皇はずっと歴史的に権力を持ってたわけじゃないんだよと。平安時代だって、摂関政治があって実際の実権は藤原氏が持ってたし、その後院政が敷かれて、実は天皇じゃなくて上皇陛下が権力を握っている。そしてその後は鎌倉幕府ができて、承久の乱で朝廷側が負けた後、幕府権力、要するに世俗の権力は幕府が握って、朝廷はその権威の担保者になった。もちろんその幕府が勝手なことを出来るわけじゃなくて、それは天皇から征夷大将軍、将軍の称号をもらって、お任せしますと言われ、はい頑張りますって言って国を治めるわけでね。大権は天皇にあるってことだけども実権を持ってない。これは間違いない。で、長い歴史の中で見たらそれが江戸時代も続くし明治維新になるまでそれが続く、でその間に一度、建武の新政、建武の中興というのがあって、その短い時期に、一旦天皇親政ってのが実際に行われることがあったけれども、それはあまりうまく行かなかったっていう反省やっぱりあるんですよね。でそのあと南北朝という非常に不安定な時代が続くことになる。

【8「国民主権」と「象徴天皇制」】国民主義とは/象徴天皇制(象徴君主制)とは

そこから見るとね、「天皇の本来のあり方ってのは、まさに権力を持たない権威として、象徴としてずっと歴史上日本の中心としてあったんだろう。そう思ったら、日本国憲法のあり方はおかしくないんじゃないか。国体だと言って良いんじゃないか」と。ただ明治維新の時は、列強が世界を支配して日本はまさに植民地にされるかもしれないという、未曾有の国の危機だった。そういう時に「日本が一致団結して権力を集中させて、欧米列強の侵略に立ち向かうために、その天皇に権力を集めたんだ」っていうふうに解釈すればいいんじゃない。要するに、「あれは、長い長い天皇の歴史にとって、日本の歴史にとって緊急事態だったんだ」っていうんだよね。で、今その必要はなくなったから本来の姿に戻りましょうと。日本は歴史的な役割はそれなりに果たしてきたし、その後結局第二次世界大戦のあとアジアは解放されるなり、アフリカが解放されるなりしてるわけで、欧米列強の植民地支配というそういう世界はなくなっていくわけなんで、「日本は日本なりの世界史的な役割を一応果たしたんで、本来の天皇のあり方に戻られていいんじゃないか」っていう問題提起をされたのが和辻哲郎。

僕なんかはなるほどなと、このとき初めてね、なんか歴史とこう、自分と向き合えるようになったという気がするんですけども、じゃあそこに、「国民主権ってのは何か」っていう話になりますよね。「国民主権はほんとに天皇制と相容れるのか」ってね。当時はこれ随分言われました。で、我々学生の時にここを専門でやってたんですけども「主権とは何か」っていうのが先ず問題なんです、それで「国民とは何か」という問題が出てきて、国民主権。で、主権とは何かっていったときにこれは「権力の契機」と「権威の契機」ってのがありますと先ず習うわけですよ。主権者が権力を持ってるとは言えないんだよ、国民主権は。我々権力持ってないでしょう?だから、権力を預けることはできるけれども、自分たちは持ってない。源泉だという意味で権威だというわけよ。だから、国民主権だってフィクションなんですよ。

でもう一つ。「国民とは何か」って言うと、国民主権のフィクション性が露わになるんだけれども、これは長い間憲法の中では、プープル主権対ナシオン主権ていう、フランス語ですけども対立があった。で、プープル主権ていうのはどういうことかって言ったら、主権者はそこに生きてる、ほんとにそこにいる人々、国民、俺は国民だっていうそういう人たちのことをピープルあるいはプープルって言ってたわけです。で、今でもね、新聞なんかはこの意味使っているところが多いんだけれども、「実際に生きてる人」のことを、人民、国民っていう。

でもう一つは、「いや国民っていうのはね、抽象的統合体だ」っていう。どういうことかっていうと「現在生きてる人だけじゃなくて、過去に生きてた人、死者、それから未来の国民。今生まれてない、これから生まれてくる子供たち、これも国民なんだ」と。そうしたものを一切合切合わせた抽象的な統合体だと。それがナシオンなんだというわけよ。だからこれ観念の産物だよね、国民ていうのはね。で、これが今日本の通説ですよ。で、そうなってきた時に、国民主権ていうのは非常にそのまさにこの一つの、権力の正当性を確保するためのフィクションなんだってことはよくわかると思う。そしてそうであれば、国民ていうのは誰なんだ、それでもやっぱり誰なんだっていう話になる。なんなんだそれはって言うことになる。「ひとりひとりの国民や、もう死んでしまったお墓の中にいる人、それから生まれてくるまだ見えない国民も含めて、国民の統合の象徴と。そういう国民を一つのものとして統合する象徴として、天皇があるんだ」っていう、憲法に書いてある言葉ですよねこれ。

で、「象徴天皇制っていうのがそういうもんであれば、まさしくそれでいいじゃないか」っていう、それに相応しい地位とそれに相応しいあり方してね、で、権力を本当に天皇がお持ちになりたいかと。今のややこしい、国会で追及されるようなあの、訳のわからんようなそういう権力をね、そういう世俗の権力を持つというのはどういうことかって言うと、恨まれるってことなんですよ。恨まれる。そりゃ権力の行使っていうのは選択ですから、プラスに選択してもらったほうがいいけど、必ず反面があるわけで。その都度恨みを買う。でも、しょうがないでしょこういう理由があるから、と説得するしかないわけですよ。ね、汚れ役。そうでしょ、議員の方々もね、大臣もそうです。国民に対して、これはこのように選択しましたと。あなたには悪いけれども、これはこういう、全体を見たら返ってくるのもありますし、今度はいいようにしますからって言って、色んな事を言って納得してもらいながらコンセンサスを作るわけだけれども。そんなことを天皇陛下にお任せするわけにいかんだろうという話で。

で、日本がなんで世界最古の国家なのかって言うと天皇が続いてるからでしょ、で、そんなのは日本だけだ、そういうことが、そういう奇跡があり得たのはなぜかって言ったら、それは歴史の秘密として、やはり天皇陛下が直接世俗的権力を行使するのはなかったからでしょうと。答えは知らないですよ、答えはね。だけれども我々が習う歴史の中では、常に公平な立場であろうとしたというふうに見ることができる、そういう権威として振る舞って「良きに計らえ」と言って、権力を持つ人にそれを委ねるそういう立場であったと。だから今度それが失敗したらもっと良い人に次はお任せしようねとなるわけ。でも天皇は交替しない。で、そのことがね、大事かどうかっていう問題が今度出てくるわけですよ。

【9「祭りの国体」】政教分離とは/祭りの国体

で、その問題最後行くんですけどその前に、日本の国体とは何かってことを考えたときに、政教分離ってことを考えざるを得ない。天皇陛下は神道の司祭でもあるわけだからですよね、で、政教分離っていうのは、これ理解してほしいのは、少なくとも西欧では、なんで政教分離ってことが言われていて大事なこととして、憲法の原則になっていたか。これはね、カソリックとの分離なんですよ。特にこれはフランス、ドイツ。で、プロテスタントはどうだったかというとプロテスタントの国々はイギリス、スゥエーデン、フィンランド、ノルウェー、デンマーク、そういうプロテスタントの国々。北欧そのあたりがプロテスタントの国ですよね。そういったところはすべて聖殿教会あるいはイギリス国教会、デンマーク教会とかそういうかたちで全部国単位で、教会持ってて、国教にしてるんですよ。それでその国教の教主というか司祭が、国王なんです。国王がそれを兼ねてるそういう体制ですよ。

だからそんなところで政教分離ってのは何なのか、いや政教分離のその要諦は、大事なところは、宗教的寛容なんだと。だから国教があっても同時に他の宗教を容認していたら政教分離の要請は満たしてるんだっていうのがヨーロッパの理屈なんですよ。日本はどうなのか。で、日本はどう特殊なのかていったら、神道は全然排他的じゃないでしょ。仏教の中には排他的なところも若干あるけれども、それでも、信教の自由は保たれててそこに寛容性があるでしょ?こんな寛容な国はないんですよ。で、そこで政教分離ってのは達成された。で、もっというと宗教的権威と世俗的権力の分離のことを言います。バチカンが権力握ってるってことにはならないようにしようという話になったわけですけども、日本の場合は「鎌倉時代に幕府が成立して、そこで世俗的権力と宗教的権力に分かれた時点で日本の政教分離は達成されているんだ」っていうのが僕の考えです。

【10「元首としての天皇」】天皇は元首か/象徴君主制(国民主権に基づく君主)/象徴元首制(共和体制における象徴元首)/大統領制/天皇国家元首の明文化

で、日本の国体にあって他の国にないものっていうと、尋ねられたら僕が言うのは、それはお祭りだと。ご承知のように、日本には古くから続く千年以上の歴史のある大きなお祭りもありますよ。だけども逆に、どんな山奥に行ってもどんな田舎に行っても、小さなところでも、200年、500年続いてますっていうようなお祭りがいくらでもあるわけですよ。こういうものが他の国になかったという話なんです。

僕は、「日本は既に西洋化して、本来のアジア的なそういうオリジナルってものを失ってしまっている」というふうに思い込んでた時期があって、そうであれば西洋化が進む前のアジアのあり方っていうものを、韓国あるいは中国で探さなきゃいけないと思って、探したことがあるんですよ。それで中国は広すぎて何が何だか分からないんだけど、韓国についてはそんなに広くもないし調べられるだろうと思って調べたんですけれども、びっくりしたのは、「韓国にお祭りがない」ってことなんです。

そりゃあね、無いってことの証明が難しいんよね。お前の探し方が悪いんだろうって言われる、必ずね。だけどどんなに探してもね、大使館に行っても、領事館にも行ったしね、そして在日のいわゆる文化人にあったり色々聞きましたよ、でもねやっぱりないんだよね。で、ないけれども学問的根拠がないなと思って言えなかったんだけれどもある時に、やっぱり無いんだってことを確信した。それは何かというと今インターネットが発達してますから、そこである時に、韓国で村の祭りが重要文化財に登録されたっていうニュースが出て。あ、あるんじゃないかと。で、どんなお祭りか見てやろうと思って調べたら、「発足したのは戦後、村の特産品を宣伝するためのお祭り」。それなあ、日本人が思うお祭りと違うだろ、そこに神様はいないだろうと。そこにアジアの源流を見ようと思ってもおそらく見えないだろなあと思ってね。

こう調べていくと、なんで日本にあって向こうにないのかなって。お祭りが成立するための要件、3つの要件っていうのが思い当たる。ひとつは平和だっていうこと。祇園祭なんて言うのは、祇園祭が終わったら次の日から次の祇園祭のために色んな式次第が始まってやね、沢山の人達がそれぞれの役割を持ってやり始めるわけですよ、そんなね、細かい式次第が山のようにあってね、それ絶えたらいけない。神事だからね。そういうものを10年20年中断したらもう、できませんよ。ということは、そういう長い中断がなかったってことなのよ。で、それは、平和だったってことなのよ。韓国の歴史とか中国の歴史とか見てもそうだけど、皆殺しの歴史だ。だからその農民や村人達も巻き込みになるような、そういう乱がしばしばあったんだと。

それからもうひとつは、経済が豊かだったっていうこと。やっぱりその、日本は貧しいのかなっていうふうに思ったけども、しかし村々は皆すごく、祭りのため貯え持ってますよね。隣の村や隣町と競うために、金箔を余分目に買ったりというのを必死にやったりしてますが、そういうことができるわけで、その間、人にも振る舞うわけです。それなりに経済的に豊かだったってことですよ。

それからもうひとつ。みっつめになりそうなのが、自治があったっていうことなんです。村の自治があったと。でこれは、自治があったってのはどういうことかというと地縁社会が形成されたっていうことですよ。お祭りには皆それぞれの役があるんですよね。でその役に応じてそれぞれ皆さん、その役に応じた形で平等に使われると。同じ村人として扱われるわけでね。そこに参加できる者できない者ありますよ、僕は学生の時に、京都大学におったらその、祇園祭なんかにアルバイトで来て一日ぞろぞろ歩いたら5000円もらえるとかで行くんだけれども、なんか旗みたいなもの持たされて後ろついていくだけで、実際の祭りには参加させてもらえないんだけれども、まあそういう差別はあるけれども、しかしその中で、役目を担ってる人たちはみな一生懸命やってるわけで。平等にね。

韓国や中国については実は、教えてくれる人がいた。「韓国にもね、お祭りありますよ」って言うんよね。「あ、そうなんですか。じゃあそれ教えてください。僕はどんなに探してもみつけることはできませんでした」と。だがねそれはね、一族のお祭りなんですよ。血縁社会なんですよ。日本の中にももちろんそれは、相続っていう男系の一族の祭りってものは無いわけじゃない。沖縄行ったら門中という形で大きな祭り、大体300人とか400人とか集まるようなお祭りがあるんですけども、韓国の場合で皆が集まって飲んだり食ったりするってのはそれは、一族の祭りなんですよ。血縁の祭りですよ。それで先祖をお祭りする。一族の中に長がいて、そのボスの下で行う。でもそれってのはいわゆるその日本で見られるような地域社会、地縁社会のお祭りとは違うと。そういうところで日本はやっぱりどこかで、その地域社会が、すごく発展したと。教科書によればそれは鎌倉時代なんだけれども、鎌倉時代に突如そういった物ができてきたわけじゃなかろうし、そういったものが天皇制とともに非常に早くからそういう基盤ができてたんだなあと。そのお祭りの中心には必ず神様がいます。そういう神様ってのは明治維新の後で初めて作られたんだっていう人達もいますけれども、いやいやそうじゃない、平安時代にまとめられた書物とか見ると、その頃から全国各地にたくさんの神様がいたってことは記録に残ってるわけでね。そういった人たちを、そういった神々を祀るためにこう、できてきたそういう共同体が、祭りという形でそれを維持されてる。それがひとつの、日本の国体の文化的な表れなんだなと思いました。

そして最後に、元首としての天皇のことについて簡単にお話しますと、今申し上げたようなことで日本の天皇のあり方っていうのは戦前と大きく変わったっていう風に言われてますけど、もしかしながら本来の役割である象徴というところは今も持ってると。で、政府の見解としては、天皇陛下が日本の元首だということなんです。で、これは国際社会もそのように見ているからという理屈なんですけれども、今度、今、習近平が4月に来るのか来ないのかっていう話で、いまこんな、コロナがどうのこうの言ってる時に習近平がきたらこりゃあなかなか混乱も起きるだろうなと。しかしながら日本としては中国に恩を売りたいだろうからそれを呼んで、恩を売るっていうのも一つの手かなと。しかし、そんなふうに中国に恩を売ったつもりでおっても、中国はどうせまた裏切るだろうし…というふうに思うと複雑なんだけれども、とにかくそんなときに天皇陛下がおられる。そのときには首相ではなくやっぱり天皇陛下が接遇するわけですよ。ところが宮沢説っていうのは、その象徴っていう天皇陛下の役割について書いてます。「この象徴てのはこういうことなんだよと。内閣の指示通りに言われたとおりに盲判を押すロボットになるという、そういうことなんだ」って、これ教科書に書いてるんですよ、教科書に。まあそういう教科書で東大生は勉強するわけなんですけれども、一方でそういう考え方があるわけだけれども、実はその日本の中でのそういう象徴天皇、象徴君主という在り方を、世界は真似ています。

まず1975年に、フランコ政権の後に、スペインでは共和制からまた君主制に戻りました。憲法で、それまで昔いたハプスブルグ家の王家じゃなくてブルボン家の王家を迎え入れて、王にして、憲法に書いたんですよ。「王は、国家の永続性の象徴であり国民統合の象徴である。」これどこかで見ませんでしたか?これ日本国憲法に書いてあることをそのまま書いてるんですよ。もう明らかにこの、国民主権と一致する象徴としての、王様、王様として遇している、ということで日本を真似て作りましたと。で、今度スウェーデン。天皇大嫌いな左翼の人たちが持ち上げてる国ですけども、ここも象徴天皇制、国民主権です。日本はねその、憲法9条が憲法の中心だっていう人達いるんだけれども、憲法9条はどこの国も真似しませんでした。当たり前だわな、よっぽど平和なとこじゃないとそんなことできない。だけれども、象徴君主制は多くの国が見習ってる。で、もう一つ。「でもそんなもの要らんやろ」ていう人たちがいるわけですよ。そんなややこしいもんは要らんやろと。象徴なんかそんなもんなくてもやっていけるよと。というふうに言うんだけどどうか。

象徴元首てのがあるの知ってるか?っていうふうに思うんです。象徴元首って何か知ってます?ドイツやイタリア、実は大統領いるんですよ。メルケルってのは首相でしょ、で、イタリアの首相の名前は忘れちゃったけども、まあ首相はいるんですけども、大統領もいるんですよ。その大統領はどうやって決めるかというと、選挙で選ぶ。選挙で選んだ大統領はじゃあ何をしてるか?って言うと、象徴しているわけです。何をしてるかって言うと、オーケストラの前で指揮をする、音楽会をやる。これは日本の天皇が歌会始に歌を詠むのと一緒ですよ。であとはその、国家でよく頑張った人に勲章を授けるとかね。あるいは国会が始まる時に国会を宣言するとかね、そうやってね、わざわざね、君主をなくしてしまって、選挙で選んでなってもらっていると言う国があるわけですよ。つまり何が言いたいかって言うと、「象徴っていうのは必要なんだ」っていう話ですよ。国民統合の象徴っていうのは必要なの。

それは今、ますます必要になってるということを申し上げますと、アメリカ、フランス、韓国っていうのは、大統領が、政治的権力を握った権力者が同時に元首です。そこでどんな事が起こるか。

アメリカでは今、国家を代表し、国民統合の象徴となるのが、トランプなんだよ。それは嫌だ!って言う国民もいるわけですよ。それだけは許せんとか言って。まあこれから大統領選が始まるわけなんだけれども、お互いの悪口をずっと言い合ってるのね。そこで新聞に書いてあるのは何か。格差が広がり、社会の分断が広がるアメリカ、て書いてある。そこに何が足りないか。国民統合の象徴がないんだわ。

フランスも一緒。マクロンがやってるけれども、マクロンはデモや何やかんやというかたちでやられる、しかもムスリムとのテロとかそういったところの最前線にいてる。マクロンが国民統合の象徴じゃ嫌だ!っていう人がいる。もうひとつ、韓国もそうでしょ?文在寅が何かやってるけれども、しょっちゅう反対デモがどうとか。そんなのがね、国民統合の象徴となったらおかしいでしょ。じゃあそんなの要らないかっていったらやっぱり政治の安定と自分たちの共同体を作っているんだと言うことの確信が欲しい、でそのことは、言葉にしたらはっきりしないけども世界はそれを求めてるのよ。それは日本にはもう千年以上の歴史的背景を持ってて誰も文句を言うことのない、天皇陛下がおられるんで、しかもそういう振る舞いってことを代々歴史的に学んできた陛下がおられるんで、この方にお任せするっていうことができる、これはね、なんて我々は幸せなことだろうかというふうに思います。

それはまさに21世紀、国民分裂の危機に各国があえいでるというような状況の中で天皇の価値というのは、あるいは役割というのはますます重要になってくると。もし、その中でもまだ、「天皇は元首じゃないんだ、天皇なんていずれなくなるんだ」っていうふうな共産党の本音が表に出てきたら、「やっぱりじゃあそういうんだったらね、天皇の国家元首を明文化しましょう」という形で憲法改正するということを目指すべきかもわからない、あるいは9条を改正したら次やるべきことはこれかもしれないなというふうに思います。

で、最後「国民の総意」ということを書いちゃったんでいいますと、これもう、共産党の連中とか左翼がよく言うんですけれども、「天皇の地位は国民の総意に基づいてあるんだ」と。で、「総意でなくなったら天皇はなくなるんだ」と、こういうのは聞いたことある人はいるでしょう。で、それ何がおかしいか。これはね憲法9条と一緒でね、「憲法に書いてあることと現実とにずれが生じた時に、どうすべきか?」って問題が出てくるわけですよ。現実と憲法に書いてあることが違うとき。その時には2つの道がある。ひとつは憲法を現実に合わせて変えると。今9条でやろうとしてるのはそういうことです。でもうひとつ、いやいや現実を憲法に合わせるようになんとかそういう方向に方向づけるというやり方。間違った現実を正しい憲法に合わせていくべき。今左翼の連中が9条で言ってることです。

「もし、天皇陛下の元首であること、あるいは国民統合の象徴であることについて意義を言う人達が沢山いるっていうんだったら、それをちゃんと教育で教えて、皆がそういうふうに思えるように務めることが憲法上の義務だ」ということを僕は言いたい。

まああの、そんなところで、大変まだそういう苦難の状況にあるけども、令和の新しい時代の門出に、こういう話ができたことを非常に光栄に思います。
今日は、ご清聴ありがとうございました。

以上


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