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子無しだったけど、義妹の妊娠により義母とギスギスし始めた話

義母とはうまくいっていて、というか程よい距離感でかなり良くしてもらっていた、夫は長男だけれど、子無し選択を伝えてもいた。

義妹から、妊娠のお知らせが入ってから雲行きがどうも怪しくなった。LINEも急にそっけない。孫という存在が俄かに現実味を帯びてきて、息子の子供が見れないことに憤りを改めて感じたのかもしれない。不妊治療中であるならともかく、タイムリミットも近づいているのに選択子無しなんて、とんだ嫁を掴まされたと思っているかもしれない。


1兆円拾ったら働きたくない

私にとって人生とは、仕事みたいなもんである。
上司に褒められて嬉しい、
Excelの新しい関数を使った資料がうまくいった、
でももし1兆円あるなら即日辞表を出す。
パワハラ上司もお局もいないけど、
労働そのものがそもそもつらいのだ。

人生も同じで、
それなりに幸せでそれなりに不幸もあって、
温泉宿でビールを飲めば最高だ!とも思うし
隅田川の花火を見上げる家族の横顔を見て
しみじみ幸せを感じたりもする。
でも何事もなかったように人生を辞めれるなら、
生まれてきたくはなかったな、と思う。


なぜ子供を産むのに躊躇いがあるんだろうね

で。

自分が出産適齢期になって、
この世に人間を生み出す権利を行使するか?
と考えたとき。 

それはなあ、なんだかなあ。

と思った。

「生まれてくる子供に精一杯の愛情をかけてさ、
幸せになるように育てて、
あとはなるようにしかならないよ〜」
と子持ちの友人たちは言う。
眩しい。キラキラの感情だ。やめてくれ。

それはそれで正論というか、
子育てってそういうモノだ。
そう心から思える親なら、
さぞかし明るい子になるだろう。
彼女たちの選択を否定する意図は全くなくて、
でも言っとくけど、私の母親も、
私を愛情持って一生懸命育ててくれたよ?
幸せになるように願って、
というか離れて暮らす今だって、
そう願ってくれているくらいには善人だ。

何がどうなってもつらい人種


ある芥川賞作家は、
『結婚しても、母になっても、海外移住しても、生きるのがつらい』というようなことをインタビューで語っていた。それを読んだとき、ああ、「この感じ」からは一生逃れることができないんだなあ、やっぱりなあ、と、ずっと探していた答えがそこにあって、笑ってしまった。

「この感じ」で生まれてしまったら、作家で食べていけるくらい頭が良くて言語化が上手くても、名声があっても、愛する子供や夫がいても、お金があっても、世界との距離の取り方くらいは克服できるかもしれないけど、つらみがなくなることはないみたい。私も確かにそうだ、結婚しても、引っ越しても、仕事を変えても、人生はつらいと思っている。


彼女たちには彼女たちなりの葛藤があったのかもしれないけれど、ただ結果的に子を持つに至った彼女たちとは根本的に人生の肯定感が違うんだと思い知った。授業だるいよね、親うざいよね、と騒いでた学生時代には決して明らかにならなかった価値観の違い。新たな命に人生を歩ませたいと思える人生であったかどうか。親の愛を一心に受けても、障害や環境に関係なく、人生がつらいと思ってしまう人間が存在してしまうことを知っているかどうか。

人生は辛かったんじゃなかったっけ?
間に受けてたのは自分だけだったのかも。
「勉強?全然してないよ〜〜」
と笑っていた友人の成績は
そういえば全く悪くなかったな、
私はずっと点数が低かったな、
高校時代と地続きの人生を
今もそれぞれ歩んでいるんだねえ、と
夏の夜にしみじみしながら
また一つ歳をとったのでした。


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