「サマータイムマシン・ブルース」- ある種、ある種のぅ、タイムトラベル最高傑作ぅ -|Webディレクターの映画鑑賞備忘録(ネタバレなし)
この記事は、むめいWebディレクターが暇つぶしに観た映画について、忘れないように感想を残しておこう、どうせなら誰かに読まれるつもりで書いておくか、というものです。なので独断と偏見に満ちた、そしてネタバレ無しの駄文です。
僕はタイムトラベルものが大好きで、少なくとも邦画は割と網羅してるかなと。
そんなワテクシがね、パッと、この映画を一言で表すのならば。
「おバカ男子たちのバック・トゥ・ザ・フューチャー」
もうね、ほんっっっとバカ。ベースはおバカ。
舞台はとある大学にあるSF研究会の男子5人と、部室を共有しているカメラクラブ女子2人のお話。そう、つまり、大学生男女7人の夏。つまりおバカ。
先ほどのものに説明文を加えるならこうかな。
「大学生おバカ男子たちのすったもんだを、"男子ってほんとバカよね"と言いながら見守る女子すら "ちょっと!それ大変じゃない?!"と巻き込まれていく、昨日と今日のタイムトラベル・バカ祭り」
たとえば、薬局の前にあるマスコットの置物を部室に持ってくる男子がいたり。「角度、こっちがいいかな?」とか本気でやってんの。アホかと。何がしたいんだと。
たとえば、ヴィダルサスーンを溺愛し、それが無くなったことで誰かに盗まれた!と騒ぎ出すおバカがいたり。
そんな愛すべきバカ男子と、それを優しく見守りそして巻き込まれる女子たちの話。
そもそも、事の発端からもう非常にバカバカしい話なのです。
−−エアコンのリモコンだから・・・
ね?ほら、バック・トゥ・ザ・フューチャーなら、ね?過去に行ったら両親の出会いを壊してしまい、自分の命が!産まれない未来が!とね。
それが、この映画ではエアコンのリモコンがぶっこわれたあああああああああ、あっちいいいいいいいいい!なのです。
いったいどれだけバカバカしいタイムトラベルか、おわかりでしょう。
しかし、だから面白くないかというと、まったくそんなことはない。
なぜなら、この「サマータイムマシン・ブルース」、元々は舞台コントなのです。
「ヨーロッパ企画」
知っている人は知っている、知らない人は全く知らないそのコメディ集団は、チケットが売り出されれば即完売という超人気集団であり、この作品はもともとその1舞台なのでありまして。
さらに。
それを映画として仕上げた監督が、何を隠そう「本広克行」。
そう、あの「踊る大捜査線」の総合演出&監督であり、その後「UDON」や「少林少女」などエンタメ作品の演出には絶大な評価を得るレジェンド。
つまり、日本が誇るコメディ集団の人気舞台作品を、これまた日本が誇るエンタメ監督が、万人理解できるような映画に仕上げたということでありまして。もはや安心しかない。
それの何がすごいって、きっとね、これはもしかすると「タイムトラベル」における“ある種の最高傑作“なのかもしれんということなのです。
んなわけあるかと。
こんな日本のB級映画もどきが、興行収入も大したことないというのに、んなわけあるかと。
ええいだまらっしゃい。
今からそれを説明してさしあげるのよ。
ワテクシが思うに、タイムトラベル作品の面白さというのは大きく3つある。
1. 伏線の散りばめと回収
2. 過去の行動による未来の変化
3. 遠い過去(未来)への来訪による、異文化との衝突
このうち3は、あくまでサブの魅力だと、ワテクシ思うとります。
たとえばそれは「JIN-仁-」であったり「テルマエロマエ」であったり。
江戸時代に飛び、そこで未来人として現代医術を駆使して戦っていくー。というのは、たしかに時間転移はしているものの、時間の仕掛けがあるわけじゃない。過去という異世界に飛び込んで「俺つえええええええ」とやってるだけで、つまり異世界転生モノに近い。
これはこれで立派なそれだとは思うものの、タイムトラベルものの本来の楽しさは1や2だと思うわけです。
たとえば「1.伏線の散りばめと回収」。
普通の作品でも「伏線の設置と回収」というのは物語を楽しむ王道でありますね。
なるほど、あのときのあれが、いまこれにつながるのか!と。
しかしタイムトラベルものは時間の流れが一方向ではない故に、その自由度が格段にあがるわけです。
本来、伏線の「設置」というのは「回収」より手前になければならない。
いつだって、「伏線」は過去で、「回収」が未来(今)。
しかしタイムトラベルものは、その逆転ができるわけです。
「今」起きているそれが、実はタイムトラベルした先の「過去」の行動によるものだったりする。
つまり伏線の「設置」が未来(今)で、「回収」が過去、という逆転。
実際、サマータイムマシン・ブルースは序盤からそれをぶっこんでいたりして。
瑛太演じる主人公が遅れて部室に行くと、なんの前触れもなく突然仲間から
仲間たち「おいいぃいそういう演出かああああ!約束の罰ゲーム、裸踊りを見せてもらおう!」
と言われて、裸踊りを強要される。
はぁ?意味がわからん。
約束もなにも、おれ、今日はいま部室に着いたばかりなんだけど?
観てるこっちももちろん「???」なわけでして、そこからガッツリ物語に没入させてくれます。
ただ、これはですね「2.過去の行動による未来の変化」も相まって、伏線のシナリオ設計が超高難度になることも意味しているわけです。考えるのも嫌なほどに。
普通の物語ならば、(ストーリー内)時間の手前に設置して、終盤で種明かし的に回収をするだけなのが、タイムトラベルものはそうはいかない。
過去に行ってやったことが、過去に行く前の「今」の時点で反映されてなければならず、たとえば薬局の前にあったマスコットの置物は、過去のあるときまでは薬局前に存在していなければならないし、ある時を境に無くなってなければならない。(部室に持っていかれるので)
もし過去に戻ったのに、まだそこにマスコット置物が存在していたら、辻褄が合わなくなる。その場合、さらに別のシーンを追加して「持って行ったマスコット置物をなんとかしてまた戻してきた」が必要になったりするわけで。
そう考えるとですね、バック・トゥ・ザ・フューチャーはその辺の構造が、実はものすごく単純なのです。
主人公が過去に行った
↓
過去を変えたら未来が変わってしまったので、元に戻るようにそこで奮闘する
↓
未来(現代)へ戻る
というたったこれだけ。実はタイムトラベルものとしてはベーシックでありながら、超絶単純なのです。(それをピンチやチャンスで奇跡を起こす演出があるからこそ、名作なんだけども)
そこへくると、このサマータイムマシン・ブルースは違う。
昨日と今日を行ったり来たり。そこには、昨日の自分もいるわけです。
昨日に行ったら、昨日の自分と仲間と、
今日の自分と今日の仲間が、“昨日に“いるわけです。
ほら、もうわけわかんないでしょw
それだけ、伏線を設置するタイミングもあり、過去が未来へ影響させるポイントもあるっちゅうことです。
さらにややこしいのが、タイムトラベルものの醍醐味の一つである
「その時代の人間じゃない者が、その時代のまま生き続けて現代に追いつく」
という事象。
これが、普通のタイムトラベルものだと大がかりになる。
たとえば30年前にタイムトラベルしたら、その人がそのままそこで生活して現代に追いつくのには30年かかるわけですよ。ジジイになっとるがな。これはこれで、物語に重みを与えてくれる大変素晴らしい演出なのだけど、この作品はなんせ「昨日と今日を行ったり来たり」なので。
そう、なんと主人公たちが過去にいっても、1日どこかで過ごしてしまえば、あら、もう現代に追いついちゃう。だがしかし、姿格好はほぼ変わらんわけです。だって今日の自分が昨日にいって、そのまま1日過ごして今日になるだけだから。
それのなにがややこしいって、つまり、もう観てる人にはそれすらよくわからなくなってくるのですよwww
「あ?これ、いまどっちのキャラクター?昨日、今日?」
だが、ご安心ください。
そこは、ヨーロッパ企画&本広克行。
ちゃーんと物語についてこれるように構成してくれている上に、ものの見事にすべての伏線を回収しきってくれています。さらに、「昨日と今日」と言ったけど、実はもーーーーーっっと未来も、もーーーーっっと過去も出てきます。
そのうえ、それらがすべて、最後には一つの(時間の流れとは別の)線となってガッチリ繋がる気持ち良さと言ったら。
そう、これが「ある種の最高傑作なのかもしれん」という話。
あの伝説のタイムトラベル映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」をはるかに超える、複雑綿密なタイムトラベルの仕掛けが、そこにはあるわけです。
題材はおバカの一言なんだけど、そこをベースに繰り広げられるそれは、タイムトラベルものの魅力をこれでもかと組み合わせた、これ以上ないほどの「タイムトラベル物語」なのです。それでもなお辻褄崩れがないという、これはひとつの奇跡と言えるかもしれない。
それが「サマータイムマシン・ブルース」という映画なのであります。
さて、主人公たちはなぜリモコンごときでタイムトラベルを始めたのか、罰ゲームの約束とはいったいなんだったのか、ヴィダルサスーンはどこにいったのか、もしかしてもとから存在していなかったのではないか?、たーーーーくさんの面白ポイント、ぜひご覧あれ。
ちなみにラストシーンで、真木よう子演じるカメラ女子がぽろっとつぶやく一言がある。
それはタイムトラベルについて、とんでもなく重大な仮説で。
僕は割と、それはタイムトラベルにおける真理なのではないか?と思っているんだけど、そう思うかは人それぞれ。
さーて、あなたはどう思う?
なんつて。