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おとな

年を重ねれば立派な大人になれると思ってた。

" あ、やっぱり違うんだ "と感じたのは
『大人』になりかけた18、19、20歳のころ

少しずついろんな大人に出会ってきて、自分も大人になりかけて、「こんな大人になりたい」と「こんな大人にはなりたくない」が混ざってきたころ。

大人だから仕方ないと思ってきたことが、大人だからの特徴じゃなくて、 "その人"の性質であって、仕方ないことなんかじゃないくて、なんなら自分の意思でそうならないことを選ぶこともできると分かってきたころ。

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どんな人も最初の最初は、はだかんぼうの赤ちゃんで、身の回りのことの一切を人に頼らずには生きていけない。

そこから、人それぞれ もちろんスピードは違うけど、栄養を採って、体力がついて、能力があがって、できることが増えてくる。

首がすわって、やっと自分の力で首を持ち上げられるようになったかと思えば、寝返りが上手になって、座れるようになって、ハイハイができて喜んでたら目が離せなくなるし、クララが立った!ってお祝いしたら、はじめての一歩を出して、よちよち歩いて、そのうち小走りでかけてくるのが可愛くて。鬼ごっこして遊んで転んで血流して帰ってくるし、リレーで抜いた抜かされたで泣いてるし、部活では"やっぱ先輩すげーわ"って言ってて。

「あーあーうーうー」って言ってたのが、「まま、ぱぱ、まんま」って言い出して、「おいしいね、あっちーね」って言ったかと思えば、どこで覚えてきたのっていうような汚い言葉覚えて帰ってきて、そんな言葉知ってるの?敬語とか使えるんだねって感心してたら、外国語も嗜なむようになってきたり、専門用語で話してくるから、日本語で話してって喧嘩してみたり。

1年生より2年生、3年生の方が体力も学力も知識量も優れていて、1、2年後にはあんな風になれるのかなあって憧れて、だいたいそんな感じになれたりなれなかったり。

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時間の経過と共に身体も頭脳も心も成長してきた。その時期を例えるなら、木の幹が根を張り、天に向かって伸びている時だとおもう。でも、それは18歳くらいまで。

それまでも、もちろん色や形や質感はそれぞれ異なる若い木だけど、さて、ここからどんな木になるのかは自分次第。

日光に照らされる日もあれば、雨風にさらされながら踏ん張って耐える日もあり、雪解け水を吸って、空気を循環させて、成長する。時には他の生き物の暮らしを支えて、倒れた後の自分の身には若木が育つかもしれない

どこまで深く遠くに根を張って、どこまで高く伸びるのか、どこまで枝を伸ばすのか、どんな形の何色の葉をつけて、どんな香りのする花を咲かすのか、どんな味のする実をつけるのか、つけないのか。

なんでもいいし、どうしてもいい

自由自在わたし次第

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ひとつ

ある人と語った「おとなとは」
それは、 “ご機嫌な人”

幼い子供が大人にワガママを言えるのは 愛を疑わない信頼からくる甘え なのかも

自分のことをよく知っていて、自分のご機嫌の取り方を知っているひと オトナ

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この短い人生の中でもいろいろあったし、これからもいろいろある。けれど、わたしは今までに、素敵な人生の先輩達に出会うことできて、やっぱり年を重ねることも楽しみだと思える。

未来のおとなたちがわたしと出会ったときに

「うん、なんか大人になるのも楽しそう」

そう思ってもらえるようになりたい

さて、わたしはどんな木になろう

今日も1日ご機嫌よく、ごきげんよう

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