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リクエスト企画?スティービーの初期アルバム未収録シングル2、リアル70年代〜洋楽女子話56

去年10月あたりから、続けて紹介した、スティービー・ワンダーのアルバム。
わざわざ体力とお金削って、デトロイトまで、ライブに行くんだし。
筋金は入ってないけど、竹ひごと、年季だけは入ってるファンだし。笑

曲は出出しに、チュ!とか音が入ってる
ハーモニカ多めの『Kiss Me Baby』。

リクエストからの特集へ

今回ニック・デカロがカバーした、スティービーの古めの曲を気に入って下さった、noteのお仲間のSky Blueさんが、他に何か良い曲があったらって、私ごときに聞いて下さり。
ちょっとバラード系を紹介してたら、いつの間かスティービーの60年代半ば、年齢が15歳以降の古いアルバムのまとめ的な、内容になってきて。笑
この際だし、しばらくまたスティービーワンダー祭りを開催します。
飽きないで下さいね。お願いします。笑

オリジナル未収録のシングル盤

前回から続く、初期のシングル盤曲。
特に初期は、オリジナルアルバムからはシングルカット無し、シングルは別で作って、ベスト盤やライブ盤にしか入らなかった曲が、まあまああって。
社長の、ライブ盤やベスト盤を売るための、商魂逞しい感じはするなぁ。笑
皆さんが、あまり耳にする機会が無い曲、私も聴いたか?ぐらいの曲と、スティービーが曲作りに参加した曲をまとめていってます。
いつまで続くか、わからないけど。笑

65年15歳の曲

9、『Kiss Me Baby』
オリジナルアルバム未収録作品。後のコンプリートに収録。チャートは圏外。
No.1を取った後、色々上手くはいかない。ポリープ手術や、変声期もあるし、悩めるティーンだったのかも?
KISSした?な音から始まる曲。笑
歌ってはいるけど、ブラックダンスミュージック系のハーモニカメインの曲。
声がまだちょっと高めだから、変声期の終わりか?ぐらいの感じ。
曲は、師匠のクラレンス・ポールとスティービーの共作に。
ハーモニカ部分は、おそらく彼が考えたフレーズだし、一部合うようなバックのアレンジとか、テンポなんかを話合って決めたのか?
詳しくはわからないけど、ハーモニカに関しては、割合早くに自分で作った曲をアルバムでも採用されてるから、任されてた感じかなぁ。
68年のインストアルバムでは、自作曲は3曲、共作も1曲。ハーモニカ吹いてない曲もあるけど。
私は好きだし、曲は悪くは無いけど、大ヒット曲な感じも薄いかなぁ。笑

10、『High Heel Sneakers』
アルバムはコンピュレーションの
『The Mototown Revue In Paris』 収録。
コンプリート版にも。
モータウンのパッケージショーの、ライブ演奏を録音。
スティービーのライブのこのバージョンは、ビルボード総合59位、R&Bチャートは30位だから、まだなかなか流れは来てないかなぁ。笑

曲は、ピアニスト、オルガンを得意にした、トミー・タッカーが自作で、64年にリリース。作曲者名は、彼の本名の
Robert Higginbotham名義。
聴いてタイトルを見て、アレ?知ってる?って方も多いかと。
オリジナルは、ブルース色が強めで、間奏のオルガンがカッコ良い曲。
彼はアルバムを1枚出したのみで、詳しいプロフィールは私には不明。この曲はシカゴで録音されて、R&Bチャートで1位。
アルバム名も同じだから、タイトル曲。
で、もう凄い人や人数がカバーした曲でもあり。一覧があったけど、コレ以外にもレコーディングした、演奏した人はいるかも?な感じ。
Jeff Beck & Jed Leiber
Chuck Berry
Sammy Davis Jr
The Everly Brothers; Wilton Felder;
Josè Feliciano
John Fred & His Playboy Band
Wynder K. Frog
The Grateful Dead
Buddy Guy & Junior Wells
Bill Haley
John Lee Hooker
Jimmy Hughes
Jackie Ivory
Tom Jones
Janis Joplin
Cleo Laine
Jerry Lee Lewis
Ramsey Lewis Trio
Paul McCartney
Carl Perkins
Johnny Rivers
The Rokes
Pharoah Sanders
The Searchers
The Support Band
George Thorogood
Tina Turner
Ralph Williams
Stevie Wonder
知らない人や、バンドもあるけど、凄い有名なメンツも。ジャンルも幅広い人がカバーしてて。
カバーしたバージョンだけで、3回分以上記事が書けそう。笑
スティービーのは、オリジナルの翌年。ハーモニカで始まり、歌ってる。声は低くはなっても、まだ変化途中の声。聴いたらすぐ彼だとわかる、あの声じゃないから、映像が無いと誰?ってなる感じで。笑
が、ファンキーな感じで、ビーチのアルバムからの3曲を除いたら、シングルのほうが、迷走してる感じは薄いかなぁ。
わりと、ファンキーなJAZZ?R&Bの曲が続いてるし。
ちょっとあのフィンガー、1位の曲を意識した感じに戻して、歌を入れたか?な雰囲気な仕上がり。
オリジナルは、こんな感じ。

一部の伴奏のリズムやコードが、テレビの「セサミストリート」のテーマ曲っぽい部分がある。笑
スティービーバージョンは、何となくわかりやすいかも?
が、セサミは69年開始だし、オリジナルのレコードは64年発売。
セサミの作家が、曲のこんな感じを真似たか?無意識に作ったのかは、わからないけど。

65年、15歳の共作曲

11、『アップタイト 』
アルバムの『アップタイト』から、初めにシングルカットされた曲。
久々に総合3位、R&Bは1位。
共作だけど、自分が関わって作った曲で、初のシングルの順位に。
プロデューサーがクラレンスから、ウィリアム・ミッキー・スティーブンソンと、ヘンリー・コスビーに変わり。
曲は共作3人。ヘンリーとは以前から共作している。曲はスティービーの即興演奏から生まれたようで。主に歌詞を書いたのは、シルヴィア・モイ。
彼女との出会いも、スティービーには重要だったかなぁ。
変声期最中あたりから、社長はスティービーとコレ以降は、契約しないつもりだった話は彼の本にもあって。
それを聴いた彼女は「ヒット曲を出したら、考え直して欲しい」と頼んでくれて、出来上がったのがこの曲で、無事にヒットした。
もう一つ、彼女はスティービーから「リトル」を外したほうが良いと、進言してくれた人で。
以降、シルヴィアとの共作も増えていき。
彼女は高校でクラッシックやJAZZを学んで、ライブの演奏を観たモータウンの人に誘われたけど、契約は作詞作曲家として。
やっぱり当時は、曲を作るほうの手が足りてなかった様子。なら、スティービーに色々作らせたら?ってなるけど。笑

66年はヒット曲が複数

12、『Nothing's Too Good For My Baby 』は作家だけの共作。
『アップタイト』からのシングル。
総合20位、R&B8位

13、『With A Child's Heart』(邦題大人は知らない)
これも、前の曲と同じ作家3人の曲。前回このアルバム紹介で、私も選んだ曲。
総合131位、R&B8位。
が、総合だと100位以下なのに、R&Bでは8位って、まだこの時期は、スティービーファンは、ブラック系が中心だったんだなぁ…って感じはする。

14、風に吹かれて
同じアルバムから、4曲目のシングル。ボブ・ディランの名曲カバー。
既にたくさんのカバーが歌われた時期で、前年には大好きなエリントンもカバー。インストで歌詞無しだけど。笑
この曲は、プロデューサーはクラレンス・ポール。一緒に歌っているのもクラレンス。
表記は無いけど、おそらくアレンジも2人で考えた?師弟が歌いたくて入れたのか?な感じ。
21歳でこの曲と歌詞を書いたボブ・ディランも凄いけど、15歳で歌うスティービーもまあまあ凄い。
後にもディランの曲は歌ってるから、好きだったのかも?
最初のベストアルバムにも収録。多分大事な曲だろうから、また貼り付けました。笑
総合9位、R&Bは1位。
ブラック系にも、ボブ・ディランを聴くキッカケを作ったか?はありそう。
で、曲が良ければ売れるを、証明した感じもあるかなぁ。

15、『A Place In The Sun』(邦題太陽の当たる場所)
同じ66年リリースのアルバム
『Down to Earth』の1枚目のシングル。
総合9位、R&Bは3位。
アルバムは、色んな作家の作品が入り、スティービーの共作曲もある。
プロデューサーも全部で何人?ぐらい、曲ごとに違う。作家が曲ごとに色々変わるのは、昔はよくあったけど、曲ごとにプロデューサーのクレジットは違う。
一応アルバムプロデューサーは、2人になってるけど、実際は曲ごとに作家チームが、プロデューサーしたりした感じのクレジット。
確かに曲は、バラエティーは豊かになるけど、まとまり感じに欠けるのは、こんな制作事情があったからか?
調べても書き切れないぐらい、色々な人が関わっていて。彼が若いからが理由だろうし、色々な人と組ませて、色々なことを教えたかったのかも知れないけど。
この頃には、自作曲でテーマを持ってたり、サウンドを統一したアーティストが多数ヒットも出してた。
筆頭はおそらくボブ,ディラン。
サウンドでは、ビーチボーイズなんかは、聴いたら彼らとわかる曲、アルバムを作った時期。
スティービーにしたら、この曲はこの人の言う通りに、次ではまた違うことを言われ…みたいに、頭は混乱したか?振り回されてると感じた時期なのかも?

曲は自分が入った共作。アルバムの紹介では入れてない、アップテンポな曲。
『Cool Be Calm (And Keep Yourself Together) 』後のスティービーを感じられる曲、スティービー、シルヴィアモイ、ヘンリー・コスビー作。

シングルになった、この『A Place In The Sun』(邦題太陽の当たる場所)。
曲は2人の共作で、この後もスティービーと組んでヒットも出すコンビ。
元海軍で退役後は、昼は別の仕事をしながら、シカゴのバーで演奏してるところを、モータウンの社長に曲を書かないか?と誘われたロン・ミラー。
ロンがバーで、代役のピアノを弾いてた学生だった、ブライアン・ウェルズをスカウト。
共作だけど、ロンは作詞も作曲もするし、プロデューサーもやり、歌詞のみを作った曲も。
ブライアンは主に曲を書くコンビで、66年に始まり、おそらく初ヒットがこの曲。
70年には、やっぱりJAZZがやりたくて、ニューヨークに行きたかったブライアンが、モータウンを去る。
それまでの間、3年ほどだけど、スティービーの曲やダイアナ・ロスの曲を2人で作って。
ちなみに、ブライアンは、モータウンでは、少数派の白人男性。小さい頃から、ブラック系のロックンロールや、R&B、JAZZの曲をピアノで弾いてたらしく。
学生だけどバンドで、パーティなどでの演奏する仕事を多数やっていて。
当時は世界的なレコード会社のモータウンに入れるなんて、僕はなんて幸運なんだろう…的な話をしてるから、誘いは嬉しかっただろうし、作った曲もヒットし。
ロン・ミラーは57年にはオーランド・マーデンと組んで、後ヒットした曲を書いている。最初に録音したのは、モータウンじゃない、デッカのジェーン・デショーンって、ブラック女性歌手。まだロンがモータウン所属になる前か?
後にはスティービーもカバーして、アルバムのタイトルにもなった
『For Once in my Life』がその曲。
詳しくは改めて。

歌詞を聴いて貰いたい曲だから、日本語訳付きの映像で。

この『太陽の当たる場所』も、長く愛されている曲。
ちょっとブラック風味が薄めだけど。
和むし。
まあ、スティービーが歌うと、何でもブラック風味になるけど。笑
が、ロンの関わった曲は、歌詞が良い曲が多いし、メロディーに歌詞をマッチングさせるのも、上手いかなぁって。私ごときがだけど。笑
ブライアンが白人だっただけでなく、ロンも他にも有名になった曲は、わりとブラックな色が薄めだから、お互いにコテコテなファンクは好きでは、無さそう。笑

67年、17歳

16、『Someday at Christmas』(邦題想い出のクリスマス)
実は、67年8月には、オリジナルアルバム、『I Was Made to Love Her』をリリース。その時はシングルの発売はなくて。また、ややこしい。笑
11月末には、次のクリスマスアルバムをリリース。そこからのシングルが
『Someday at Christmas』(邦題想い出のクリスマス)。
8月のアルバムからの、シングルカットがなかったのは、『A Place In The Sun』(邦題太陽の当たる場所)が、チャートに残ってたから?理由はわからないけど。
クリスマスアルバムから、先にシングルになった。
『Someday at Christmas』(邦題想い出のクリスマス)。
年末にリリースしたから、この年のチャートは圏外。
この年のクリスマスソングのチャートで、24位。私はそんな分類のチャートがあったのも、知らなかったけど。笑
84年にジャケットを変えて再発売。
後のベスト盤には収録。
最早スタンダードな、クリスマス曲になった感じはするかなぁ。ジャスティン・ビーバーも歌ってるし。笑
作は、『太陽の当たる場所」を作った、さっき紹介した、ロンとブライアンのコンビ。
アルバムの中は、5曲がスタンダードなクリスマス曲カバー。残り7曲がモータウンの作家の曲。
ロンとブライアンのコンビが1番多く採用されていて3曲。ブライアンの奥さんとロンのコンビも1曲。
この曲も、歌詞が良き。
単なるクリスマスおめでとう!な感じではなくて、平和を願ってたり、怯える子供がいない世界が、そんなクリスマスがいつか来るみたいな、願いをこめた、ちょっと反戦歌のような内容。
ベトナム戦争の最中で、徴兵令があった時代。若い男子には、深刻な問題だし、家族も心配をしてる時期。
男たちは自由になるってあたりは、戦争で徴兵の時代を感じはするけど。
アメリカで、女性が兵士として戦える法律は、44年に出来てるし、活動した部隊はそれ以前にあったけど。笑
法律で、女性兵士の上限は2%と決まっていたから、まあ闘うのは男!な時代だったし。

が、クリスマスの曲なのに、クリスマスアルバムには未収録の曲が、このシングルのB面に入ってて。
『The Miracles Of Christmas』

コレはロンと当時の奥さん、オーロラの共作。
後のコンプリート版には収録。
聴いた感じでは、クリスマスソングの王道な感じではないけど、アルバム曲としては、悪くないタイプの曲だと感じるけど。
ちょっと低年齢向け?おじさん、おばさん向けではなくて、ティーンや子供にはウケそう。歌詞も♪ランラララ〜ラで始まるから、覚えやすいし。
シングルになったほうは、深みのある歌詞だし、アレンジも王道のクリスマスな雰囲気だけど、こっちは楽しい雰囲気だし、良いのでは?ってなるけど。
子供っぽさから脱しようとしたイメージ戦略と、アルバムの他の曲と合わなかったからか?

実はもう1曲、アルバムにもシングルにもならなくて、お蔵入りしたクリスマスソングがあって、それが
『Everyone's A Kid At Christmas』で、さっきのと同じ、ロン夫妻の曲。
後のコンプリート版で聴けて良かった曲。
こっちもより楽しげで、賑やかにノレる感じの曲。
私はさっきのと、コレならB面にはこの曲を選ぶかも?な感じかなぁ。笑

紹介した未収録曲も、いづれも後にはベスト盤や、コンプリート版には入ったりしてるから、作った物は無駄にしない、ベスト盤もライブ盤も売れるように、シングルしかない曲を、ちゃっかりなのか、わざとなのかわからないけどリリースしてる。
コンプリート版は、モータウン売却の後だから、ゴーディは関係ないけど。笑
社長のゴーディーは、ビジネスマンとしては、それなりに有能だったのか?
本当のところは、わからないけど。

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