街並みを眺め、ひとを想う
こんばんは、心太です。
このご時世でなかなか遠出もままならない日々ですね。
携帯のアルバムを見ながら、ふと考えたことを徒然なるままに綴ろうかと思います。
建物や街並みを見るのが好きだ。
そこに住んでいたり、過ごしていたりする人の匂いや気配、記憶を感じられるから。
目的もなく街中や路地裏、住宅地を歩いて「あー素敵な家だなあ」とか「こんなところにこんなお店があったんだ」とかぼんやり考える。
学校や公園、子どもの集まる場所で、
「いつもどんな遊びが繰り広げられるんだろう」
「ここで遊んでいる子ども達は、どんな家族のもとに産まれ、どんな人に囲まれているんだろう」
「昔ここで遊んでいた人は、どんな大人になっているのかな」
と場所に関わったひとのことを想う。
思い浮かぶことはそのときどきで違うけど、場所に関わる“ひと”に興味が向く。
元からの志向でもあるけど、職業柄でもあるかもしれない。
ほとんど病気。
特に好きなのは電車から見る風景。
すごい勢いで後方に流れ飛ぶ景色の中で、ふいに目に留まるもの。
じっくり見たくても、それはとっくに通り過ぎて、振り返ってももう見えない。
後日、同じ場所を通るときによく見ようと思っても、同じように目に留まるまでは忘れていたりする。
だから、一度目に留まった景色を、記憶の中から手繰り寄せるように反芻する。
感じることができた郷愁や哀愁、わくわくも拾い集めるようにしながら、目にしたものを思い返す。
そうしているうちに、また別の景色が脳内にわり込んでくる。
一つ一つの建物にはいくつものドラマが詰まっていて
一筋一筋の路地裏にはいくつものストーリーが紡がれていて
一個一個のベンチにはいくつのもロマンスがあった
ような気がする。
どんな建物があったのかも、どんな光景だったのかも忘れ、ただただ心地よかったこと、もの悲しかったことだけを、それすらも曖昧に残しながらぼんやりと記憶する。
不確かな記憶と、曖昧な感情が残る。
だから、建物や街並みを見るのが好きだ。
また自由に、身もこころも旅に出られるようになったらいいなあと思った。
では、また。
心太
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