見出し画像

SS「月を産む島〜金平糖の沈む海〜」

この小説は1,000文字です。

 夜の海に砂嘴さしが現れ、白装束の少女は島へと渡る。

 浜で黒留袖姿の老婆が待っていた。
 傍らには、小さな祠と白磁の盃。水が満たされた盃には、異国の街が沈んでいる。
「手をお出し」
 老婆は盃を手に取り、傾けた。こぼれた水が指の隙間を流れ落ち、小さな粒がひとつ、少女の手のひらに残った。
 琥珀色の金平糖。
 空になった盃の底は真っ白で、異国の街は消えていた。
 老婆は盃を置いて、島の麓の鳥居をくぐり抜ける。少女は懐紙に包んだ金平糖を懐におさめ、老婆の後をついていく。
 坂と石段が続く葛折りの参道をのぼり、頂にある奥宮まで詣でるという。
 
 夜祭りで賑わう参道には、ホオズキでつくられた紅緋色の提灯が連なり、夜店が並ぶ。貝細工、竜宮城の絵巻、人魚の鱗などの土産物のほか、くらげの干物、舟幽霊の目玉揚げなどの食べ物がある。不知火すくい、化鯨の骨投げも繁盛しているようだ。
 店主も客もみな、思い思いの面をつけている。おかめ、ひょっとこ、きつね、さる、天狗――。
 顔をさらしているのは少女と老婆だけだった。
 島の中腹に建つ中宮より先は紅緋色の提灯があるだけで、店も人もない。しんとした石段をのぼっていく。
 頂には提灯さえなく、奥宮の前に篝火があるだけだった。
「あれをお出し」
 少女が懐紙を取り出すと金平糖は溶けていて、琥珀色の染みになっている。老婆は懐紙を丸めて飲み込むと、社に入っていく。後に続こうとした少女の鼻先で戸が閉まった。
「おまえはそこで待て。日が昇ったら戸を開けて金平糖をあの盃に戻すのだ」
 
 海の彼方が白み始めたため、少女は社の戸を開けた。そこに老婆の姿はなく、琥珀色の金平糖がひとつ落ちていた。
 少女は言われたとおりに金平糖を持って浜へ下りていく。溶けないように袂に入れた。
 提灯の灯火は落ち、店もたたまれ、人の姿もない参道をゆく。

 下っているのに上りよりも体が重い。膝が痛み、目がかすんだ。腰も曲がってきた。いつしか着物が黒く染まっている。
 浜に着くころにはすっかり朝日が昇っていた。
 空の盃にそっと金平糖を落とすと、盃の底から水が湧いてきて、縁まで満ちると溢れる寸前でとまった。
 水底に異国の街が現れた。
 老婆になった少女は、浜に佇み、夜を待つ。
 
 夜の帳が降りる。
 参道の提灯に火が灯る。
 海に砂嘴さしが現れる。
 白装束の少女が海を渡ってくる。
 老婆は少女を迎える。
 一匹のヤドカリだけが、月明かりに照らされる二人を見つめていた。



2024年5月の文学フリマ東京38で配布したフリーペーパーに掲載したお話です。

石原三日月さんとのコラボ作品。金平糖のようなアイテムが水面を境界として、それぞれの作品世界を行き来する仕掛けにしました。どちらから読んでも繋がる環のような2編です。

石原三日月さんの作品はこちら。ぜひ併せてお楽しみください。


12月1日開催の文学フリマ東京39にも出店します。


この記事が参加している募集