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20 軽井沢に来ることになったきっかけ。

アドベント企画も5日目。ちょいと喉がイガイガしはじめている。こちらが昨日の記事。飛んでもらうとその前にたどれます。

今夜は、こちらの会に参加。日中には、石川晋さんが風越学園に定点観測で。定点だから見えてくる面白い視点をいつものようにお裾分けしてもらう。今日の怒りの話は、ちょっと前によく考えていた。僕は、子どもだろうが大人だろうが自分自身に対しても正直でいたい。それが難しいんだけど。放課後は保護者会を終えてから夜の会場までドライブ。しばらくして晋さんは助手席で寝ていた。早死にはしないでほしい。

やはりドライブ中も、この時期だし「来年度はどうするの?」みたいな話になる。僕は一貫してどうしたらいいか、わからない。いろんなことがよくわからないままでいる。いや、よりわからなくなってきている。それは頭で考えようとするからなんだろうな。腹の底ではどうなんだろう。

僕が軽井沢に来ることになったきっかけ。

そもそも、今こうして地元奈良を離れて軽井沢にいるのは、紛れもなく晋さんとの出会いからはじまっている。奈良の公立小で4年目だった僕は、今や同僚である井上太智から「石川晋さんが、Facebookで伴走の募集してるよ」的な連絡が来て、何かを直観し、当時まだあまり面識のなかった晋さんにDMを送った。シンプルに、もっともっと本物の学びの機会を欲していたんだよな。結果的に年6回、定点観測してもらうことになった。

まあそれはそれは幸せな一年になったのだけど、ある日、「とっくん、教室見に行っていいですか?」と、ある人から急にDMが届く。相手は、軽井沢で新しい学校づくりをしている真っ最中の岩瀬さん。わけのわかっていない僕は、晋さんが何かしらの理由で誘ったのかな?くらいにしか思っていなかった。

それで秋頃に、軽井沢風越学園設立準備財団から校長の岩瀬直樹(ゴリさん)と副校長の甲斐崎博史(KAIさん)が来ることになる。僕にとって、ここまでの4年間、最も影響を受けて学ばせてもらってきたお二人だったもので、もう内心ドキドキ。午前中はブロックアワーを見てもらい、作家の時間も本家KAIさんに見てもらって、午後は理科プロジェクト。「なんか今日、カッコつけてない?(ニヤニヤ)」と晋さんがいじってきたことまでよく覚えている笑。

この年のこの時期は僕にとっていくつかブレイクスルーが起こっていたタイミングで、この日は、なぜか理科の時間に子どもたちが運動場のど真ん中でひたすら穴を掘り、校長を呼んできては赤コーンを置き、放課後にまた戻ってきて続きをやっているようなやつもいる、というちょっとヤバい状況だった。

運動場で穴掘りしているのを面白がって見ている人たち。

運動場に限らず、理科室やパソコン室など、子どもたちはあちこちに動くもんだから、もう僕の手から離れてしまってカオスな状況の中で、「手放す」みたいなかっこいい感じではなく、もう、勝手に「手から離れてしまった」感じ。

ブレイクスルーもなんかちょっとかっこよすぎるから何か違う気がしてきた笑。僕自身が、というよりは、あの子たちの方から多くのことを教えてもらった、与えてもらった、気づかせてもらった。そう思う。

そんなわけで、この日がきっかけで、後日、風越学園の創立メンバーに誘ってもらうことになる。たまに思い出さないと忘れてしまいがちだけど、この日があるから、今日がある。僕にとって、何度も何度も思い出したい、特別な一日だ。

数日後、出張から帰ると、掘ってできてた土たちが埴輪になっていた。

この日から地続きになって、今がある。また何かきっかけを掴んで、どこかへ行くのか。それとも、やはり、今ここに留まって使命を果たすのか。なんか、そんなことをここ最近ずうっと考えているな。結論は、まだもう少し先になりそうだ。今日はここまで。

ふぅ。今夜も遅くなってしまった。


今夜の講座後、妻から「しんさんに会わせに行こうかな。笑」と連絡が来て、ご対面。「奥さん似でよかったね」って。こら!!!


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30代になったばかりのぼく、「とっくん」こと片岡利允が、「きょういく」と「はたらく」にまつわる、日々の気づきや関心ごとについて綴っていく雑…

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