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映画『ぼくのお日さま』感想
友人に勧められ、有楽町のこじんまりとしたスクリーンでこの作品と向き合った。ここでは、映画を観たあと電車の中で浮かんだ所感を3つ残す。
なおストーリーの骨子は述べないものの、視聴後の解釈を多分に含むため、未視聴の方の閲覧は注意していただきたい。
作品概要
映像の巧みさから見えること
本作品の最大の特徴であり見どころは、アイススケート場を中心とした映像の美しさだろう。光線を最大限に活かして撮られた一つひとつのコマによって、少ない台詞でも物語に深みを与えている。
いくつかの感想をnoteで拝見している中に、「光線=お日さま」という解釈があった。なるほどなと思う。その視点で思い返してみると、映像内の効果的な光線の解釈が色々と楽しめそうである。そして、『ぼくのお日さま』の「ぼく」を3人の登場人物に重ねることによって、光線(憧れ)の三角関係が見えてくる。
さくらのひと言
ストーリーとして前半が優しく穏やかであった分、後半における「さくらの一言」のインパクトは大きかった。起から承にかけて築き上げてきた、3人の笑顔を一瞬にして無に帰す言葉だ。アイスダンスの成果だけを見ればさくら母の言うように「時間の無駄」だったかもしれない。ただ、スケートリンク上でのひと冬の時間は、3人それぞれが成長するには十分である。
ただ、「さくらのひと言」を一概に「言葉の暴力」と捉えてはいない。荒川の視線と熱意の大半はさくらよりもタクヤに向いていたのは劇中で多く表現されている。荒川の本心はともかく、少なくともさくらからすればいい気分ではないだろう。そして、その感情を適切な言葉で表出するには、時代やさくらの経験が追いついていない。その結果があのひと言になったのだと、私は解釈する。
言わないことが意味するもの
主人公タクヤが吃音であるが故の見どころと言っていい。
主題歌の歌詞に、次のフレーズがある。
だいじなことを 言おうとすると
こ こ こ ことばが の の のどにつまる
こみあげる気持ちで ぼくの胸はもうつぶれそう
きらいなときはノーと 好きなら好きと言えたら
最後のシーンで、タクヤがさくらに「だいじなことを言おう」としていて吃音が出ているのだとしたら、その「こみあげる気持ち」とは一体何なのだろう。観客である我々に解釈を求めているのだとしたら、中々に難しい問いである。
もちろん、アイススケート場での出会いから抱く「好き」の感情であるに越したことはない。ただ私は、「こみあげる気持ち」が「好き」と「ノー」の二項対立で片付けて良いものだとは思わない。気持ちとか感情は、一言で表せるほど単純じゃない。もし一言で表せたとしたら、それは感情の中から何かを選んで表出している(裏を返せば、それ以外の感情を捨てた)のだろう。そう考えると、あの場でタクヤの発言を映像に乗せなかったことは、観客に考えさせるという目的以上の価値があると思いたい。
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2024/09/20