『古事記ディサイファード』第一巻001
それ根元既に凝りて
気象未だあらわれず
名もなく技もなし
誰かその形を知らむ
太安万侶 『古事記』序文より
はじめに(1)
本書の目的は単純明解であり、即ち古事記暗号の解読である。
古事記の暗号云々というタイトルの書籍や動画などは今まで数多に存在していたようだが、具体的に何が暗号で何処がどう解かれたというのやら釈然としないものばかりだった。そもそもどの箇所が暗号だというのかすら曖昧模糊として、果たして本当に暗号が意図され仕掛けられていたものやら何やら結局よくわからない。ましてや本当にきちんと解読証明して見せてくれたものなど皆無ではなかっただろうか?
またその類いの本か……と勘違いしないでいただきたい。
本書はそういった過去の書籍とは全く趣が異なり、一線を画する。
古事記は本当に暗号であることを証明し本当に解いてしまうのでそのつもりでお読みいただきたい。明確明瞭に具体的に暗号箇所を明示し、そして更に本当に解き明かし解説していくのが本書の主眼である。
古事記の暗号を解くということは、まず古事記が暗号であること、あるいはそこに暗号が含まれていることをまず証明するのでなければならない。
そしてその解を実際に解き明かして見せなければいけない。
明確な解が出てきて初めて暗号であったことが証明される。
そしてそれは同時に〈時空も人智も超越した意識体の存在を立証する〉ことでもある。
つまり、古事記を書いた主体が人間ではない(少なくとも普通の人間ではない)ことを明確に証明することになる。
本書は実際に誰もが納得のいく形で暗号が意味するところの証明を行い、その解読プロセスを逐一公開して読者のみなさんと一緒に解き明かしていく。(ただし、筆者自身はこのようなプロセスを経たわけではない。筆者が辿った道はまた摩訶不思議な長い話になるので別な機会に譲るとしよう。)
ところで意外に思われる方も多いのかもしれないが筆者は民俗学的なことには全くと言って良いほど関心が無い。
したがってそういった話題を望まれていらっしゃる向きにとっては本書は全く期待外れであるということを最初に申し述べておこう。
本書には一切そういった内容は含まれない。
古事記の暗号を解読している旨の自己紹介をすると時々なぜかすぐに民俗学的な事を話し始める方と遭遇する。筆者としては古事記の暗号からなぜそういう話題になるのかとんと理解しかね、きょとんとしていることがよくあった。
どうやらその方々にとっては古事記の暗号というと即考古学的なこと、民俗学的な事象と直結するのが当然の思考となっているらしいと最近になってようやく理解した。
実は筆者のアプローチと思考回路は全く異なっていて、所謂メインストリームの考古学や歴史学、民俗学の類には残念ながら全くと言って良いほど興味が無い。そういう方向性でいくら研究したところで古事記の暗号は解読できないのである。題名の通り古い事を書いているのだと思ったら大間違いだ。
筆者は今現在生きている我々やリアルタイムで起きていることの方が実は古事記の暗号と関係が深いと理解している。
なぜなら、これはある程度証明できるし本書や後続の書籍で実際証明を試みる積もりだが、古事記は時空を超越した存在の手になるものだからである。そして今正にこの時代の、現代の我々に向けて書かれている事が明白だからである。
だからこそ今現代を生きている筆者に解読のお鉢が回ってきたのだと思っている。実際、古事記の暗号は今この時代でなければ解読不可能なのである。GPSや測地系やパーソナルコンピュータが発達した現代において初めて解読されるであろうことを前提に書かれている。
したがって、少なくとも筆者がいうところの古事記の暗号解読においては民俗学や歴史学の知識は全く関係が無い。
筆者が最初に古事記の暗号を本当に解いてしまう小説を書いたのはもう四半世紀以上も前のことだった。
書き始めると途端に反応、呼応するように不思議な事が起きた。明らかに書いている内容と関係があった。
その謎が解ける。それを書く。それに反応してまた不思議な事が起きる。
ハードSFを標榜していた筆者はそれに関してSF的に仮説を組み立てた。それを考証しているとその仮説が空想に止まらず現実であることが証明されていき、声を上げて驚き目を丸くして息を呑んだ。それをまた原稿に反映する。
その繰り返しだった。さながらリアル・ネバー・エンディング・ストーリーともいうべき連鎖の展開だった。
そして執筆完了と同時にまた次々と不思議な事件が起きた。
書き終えた直後、いつの間にか原稿が一人歩きして回し読みされていた。あるプロのライターから血相変えた絶叫の電話がかかってきてギョッとした。何事が起きたのかと驚かされ「どうしたんですか?」と訊けば「あなた凄いものを書きましたね!」という答え。「なんだ、そんなことですか……何か大変な事件でも起きたのかと……」とホッと胸をなで下ろした。
大変な反響だった。まだ出版されてもいないのに原稿はどんどん回し読みされ読者が増えてファン主導で講演会をという話になった。
自分の周りに目に見えない渦が巻き起こり、気がつくと人生が自分の書いた小説の続編のようになっていった。
そして2004年頃、あえて絶版とし、封印した。
まだ世の中に公表してはいけないと薄々感じていたのだが、あるサンカ族のシャーマンに「事が済むまで出版を待ってくれないか」と頼まれたのだった。
ちなみに彼はついぞ筆者の原稿を読んだことがない。
読まなくてもどういうものなのか解ってしまう人達が筆者のまわりには大勢現れた。
目を閉じて原稿の表紙に手を当てただけで「わああああ!」と叫んだ人。
喫茶店でたまたま隣の席に居合わせて推敲中の原稿を「ちょっと、これ見せて!」と血相変えて奪い取りページを捲り始めた人。
それから様々な信じられないような体験と更なる発見を毎年のように重ねてきた。
絶版にして何年も経ったとき、旧拙著がAmazonで上下巻合わせてなんと3万円以上もの価格で取引されていることを知った。
そして今、4年ほど前からそろそろ封印を解くタイミングであると察するに至ったのである。
もう、いい加減に〈事は済んだ〉……と、そう思うのだ。
有限の人生の中で個人的にもうこれ以上は待てないというのもある。
旧著を書き終えた翌年、1999年の春、不思議な事件の連続の末にあるネイティブ・カナディアンのシャーマンに引き合わされた。
彼は長老にいきなり「おまえは北海道へ行け」と言われてわけもわからず千歳空港に降り立ち、言葉もわからず戸惑っていた。
そして巡り巡ってたまたま導かれて筆者と遭うことになった。
筆者はと言えばいろいろあって彼のような人間がやってくるのを数か月前から予知していた。
気がつくとある札幌市内のホテル一階の喫茶で僕らは向かい合って座っていた。
彼はテーブルの上に置いた筆者の原稿の表紙を凝視しながら、
「オレはなぜホッカイドウに来たんだ?」と訊いた。
「あなたがここへ来た理由はわかっている。明日、一緒に二風谷へ行こう。行けば全てがわかる」と筆者。
「オレの部屋へ来い。これからオレとオマエは兄弟だ。儀式をしよう」
ホテルの彼の部屋で初めてネイティブの兄弟になるためのパイプの儀式を経験した。
翌朝、彼は開口一番、
「オマエのあの小説、アトランティスと関係がある。間違い無い!」と言った。
初対面でいきなり兄弟となる儀式を交わすことになったのも不思議だが、さらに不思議なことを言う。勿論彼に日本語の原稿が読めるはずもない。ページを捲ってすらいない。表紙を凝視していただけだ。だが、確信を持って笑みを浮かべながら彼はそう言ってのけたのだ。
当時アトランティスのことを書いている自覚など微塵もなかった筆者は「そうなの……?」と力なく答えるのが精一杯だった。
ところがどうだろう?
この原稿を書くために旧著の抜粋を作っていたら、明け方の不思議な夢の中で突然の閃きが訪れ、最後の謎が解けてしまったのだ! 眠っている間に!
高校生の時なぜだか『Atlantis』という題名の洋書ペーパーバックをろくに読めもしないくせに肌身離さず持ち歩いていた。その意味がやっと今理解出来た。当時の筆者の英語力では読解不可能だったが、それでもなんとか理解したくて常に携帯していた。自分でも訝しく思っていたものだ。今考えれば全てが繋がる……。
(つづく)
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