美の基準。コンテストの体験から思うこと。
ビューティーコンテストの経験から思うことを書いてみた。
ビューティコンテストに関しては賛否両論あるよね。差別だ的な意見もある。私も正直、興味なかった一人。そりゃ、才色兼備、美しい人は素晴らしいけど、そこを競い合うってのがどうも。人からランク付されるなんて・・・。そしたら、なぜあなたは出たの?って聞かれると思うので、先にそのことをお話しておこうかな。
私が出たキッカケは、たまたまそのチャンスがやってきたから。それに尽きるんだけど。2年前にね、ふと「あー、私、ステージを歩きたい!」って思ったの。なんか知らないけど「ステージを自信満々で歩く自分の姿」が浮かんでワクワクした。「なんだろう、これ?」「どうしたら歩ける?」「モデルになるってことかな?」いろいろと想像してみた。その数ヶ月後、元パリコレモデルという人に出会って、そこからトントン拍子にビューティコンテストに出ることが決まった。「これじゃない?ステージを歩く私」当時46歳。スカウトしてくれた人は私のことを30代だと思ったらしい。
私は海外でのビューティコンテスト出場に心躍った。だって、外国大好き。しかも、開催国は行ったことのないラトビア。ラトビアってどこにあるっけ?調べてみると、バルト三国のうちのひとつで「バルトの貴婦人」と謳われる美しい国だと。そんな国で自分を表現できるなんて、私にとってはまたとないチャンスじゃないの。
私はこれまで、色やファッションなどのツールを使って、自身の魅力を引き出すこと、表現することを伝えてきた。そのことを一番実感していたのは私自身だった。だから、それを世界のステージで表現できるんだ。してみたい!と思った。どんな風に魅せられるのか、今の私を。私にとってのビューティーコンテストは、人と競い合うものではなく、どれだけ私を表現できるか、ただそれだけだった。もちろん、世界一になれれば嬉しいけどね。でも、人から評価されなくても、私自身が私って最高だーーー!と思えればそれで満足だと思った。
急きょ決まったコンテスト出場だったので、準備期間たったの1ヶ月半ほど。これ、普通じゃありえない話だそう。だいたいみんな1年以上、トレーニングやら美容ケアなど、出るために準備してるらしいよ。外国の人はどうか知らないけど、日本の人はね。だから、準備期間の1ヶ月は超ハードスケジュールだった。だって、ステージ初体験。15cm以上のプラットシューズはいて、ロングドレスなんて着たことないんだから。ましてやステージの歩き方なんて知らない。何もかもが初めてで面食らいながらの日々だったけど、私にはそれがとても新鮮で楽しかったんだな。
準備にいろいろしたよ。
プロフィール撮影、トレーニング、自己紹介特技の練習。衣装合わせ。ジェルネイル、タンニング(日サロ)にも一度だけ行った。
タンニングに関しては、元々色黒な私だから、「要る?」って思ったけど(笑)。何もわからないから、ただ素直に経験者の言うようにした。実際、日サロ行ったら「???タンニングします?」な反応だったよ。だよねー。でも、そのときにサロンスタッフに言われた言葉が印象的だった。「コンテスト出るためにここ来る方、たくさんいらっしゃるんですけど、みなさんなんか悲壮感ただよってて、、、。お客様はものすごく、なんて言うか、お元気そうですよね?」「はつらつとしてらっしゃって。コンテスト出る方とイメージが違う。」って。それ聞いて、そんなみんな必死なんだー。ってちょっと不思議だった。
いかにスタイルを良くするか、やせるかでカロリー制限したり、エステに行ったりと大変なんだそう。私はというと、自分にないものを無理やり作るのではなく、今ある私をいかに表現できるか、表現するといいのか、さらに魅力を引き出せるか、その魅せ方をコンテスト用に落とし込んだだけだった。一位になるのはその結果くらいに思ってたし、私はコンテストに出ることそのものを楽しんでたから、悲壮感なんてなかったんだと思う。
私がこの短期間でコンテスト出場できたのは基礎ができていたからだと。これはスカウトしてくれた人が言ってたことでもあるのだけど「あなただから、1ヶ月あればステージを歩ける。一位になるのも夢じゃない。」って。自分で言うものなんやけど「基本ができていた」っていうのはほんとにそうだと思う。それは、ここ数ヶ月、数年で急きょ作ったものじゃない。過去からの積み重ねだから。これまでに私はやることやってきたと思ってる。当然でしょ。見かけを取り繕うのは簡単だけど、いつか絶対にボロが出る。だって、それは本物じゃないから。私は本物がいい。だから、私は徹底的に私を磨いてきた。外見だけじゃなく、内側を整えてきたのだ。もちろん、外見を整えることで内側も整ってくるけれど、内側から変える方が早いんだよ。
自分にないものを無理に見せようと思うから、大変だし、悲壮感ただようんだってこと。仮にないものを作り出そうと思っても、本当に自分がやりたいことなら、辛い、苦しいってより、楽しいになると思うんだ。
美の基準
美の基準って人それぞれ、国によっても違うよね。やせてるほうが美人とされる国。ふくよかなほうが美しいとされる国。人は美しいと思うもの、心魅かれるものがそのときどきで変わったりもする。その人が何を大切にしてるか。だから、本来それを競うこと自体がナンセンスだと思うのだけど。私が思う「美」の定義について語ってみたい。
日本では、今でも「美白」がもてはやされる。女性で言えば黒髪でストレート、ロングヘアとか。いつの時代だよ、って突っ込みたくなる気持ちもあるが、それはおいといて。果たしてこの条件にハマって本当に美しい人ってどれだけいるのだろう?自分らしさが発揮できている人は?
みんな、誰が言ったかわからない暗黙の「美の定義」に合わせようと努力する。人と同じじゃないと心配な日本人の心の闇。なんか違くね?コンテストに出ることになって改めて思ったのは、自然じゃないんだよね。どこか作りもんのような、計算してる感じ。健康的に見えるように日サロ行ったり、痩せるための努力や筋トレしたり。(これは美しくなりたい人の努力に対して言ってるんではないよ。)その人らしさを引き出してるなら、むしろありだと思うけど、なんか逆に痛々しい。そんな必死に自分じゃないもので勝負してどーすんの?
ずっと、その偽りの自分でいなきゃならなくなるよ。自分の思う「美しさ」を出せばいいじゃない。
私が思う「美」はありのまま。
枠に当てはめることじゃないと思う。
むしろ逆、世間一般で定義されてるものから逸脱したもの。その人にしかない輝きだと思ってる。一人一人、違う人間なんだから、当たり前。それをランキングつけたり、いい、悪いって他人が評価する方がなんか違う。本人が満足してればそれでいいんじゃないかって。
それにね、傷があるとかないとか、シミ、シワがあるとかないとかってのも関係ないかと。みんなその人の一部だもの。不自然に加工してるより、味があっていいと思う(といいつつ、自撮り写真はBeauty Pを使ってる私。いいの、これは写真見たときに自分がアガるから。自分のため。笑)。
コンテストではね、その人らしさでもある傷とかも見せないようにするんだよ。実は私、太ももに大きなアザがあって。水着にでもならない限り人に見えることもないし、後ろ側だから、普段全く気にもしてなかったんだけど。水着審査があるっていうんで、そのためのウォーキングレッスンを受けたときに言われたの。私に直接じゃなかったけど、先生二人が話してたのが聞こえた。「ものすごく大きなアザ。これ、どうするの?」「あー、あれは、メイクで消しますから、大丈夫。」みたいな感じで。それ聞いて思った。「何?大丈夫って、あっちゃいけないの?」先生たちは消したほうがいいって言ってたけど、私はありのままで水着ウォーキングしたよ。そんなことで減点されるコンテストなんてまっぴらごめんってね。
あとね、日本ではコンテスト出る人はエステ通って、お肌ツルツルピカピカにして、エクステしてジェルネイルで爪も整えてってのが一般的?みたいなんだけど、世界の人は違うんだよね。一番思ったのはジェルネイル。出場者の中にはモデルさんとかも何人かいたけど、みんな自爪。ちょっとマニュキュア塗ってる人もいる、くらいでほぼナチュラル。出た大会がたまたまだったのかもしれないけれど。みんなそんなこと大して気にしてないんだよね。だから、爪いらなかったなーって思った。私は初めてやったんだけど、ジェルネイルってやってからが大変。メンテナンスがさ。大会終わって、とっととやめたけど、爪がかなり痛んで後悔した。二度とやらねって思ったよ。指先の圧迫感がすごいから、息苦しかったしね。指先に意識がいくから、所作が女性らしくなるしというメリットはあるんだけど、私はそれより心地よいのがいい。健康でさ。
とまぁ、つらつらと思うままに、私が思う美の基準について経験、感じたことを書いてみました。要は型にはめられたくない〜!自然の美しさ。自分らしいのが一番美しいってことなんです。だから、人と比べたり、人の定義に惑わされないで、自分だけを見つめて自分だけの美しさを、自信持って表現してほしいと思います。
今日のところはこの辺で。
また綴ります。
最後まで読んでくださってありがとうございます。