児童公園のヤシ
「型抜き」が危機に瀕しているというニュースが出ている。型抜きというのは、縁日の屋台で供される射幸心を煽る遊びである。3センチ×4センチくらいのきわめて薄い板(その記事で知ったが、砂糖にでんぷんやゼラチンで作るもののようだ。僕が子どもの頃に見たものはあんなピンク色ではなくてもっと白っぽくて、食べるとちょっとハッカの香りがした)に様々な形のラインがレリーフのように刻んであり、子どもたちはそのラインに沿って釘で擦り、まわりをどんどん外していって(まわりは破片になって構わない)形がキレイに抜ければOK。この記事では「景品がもらえ」と書いてあるが、それがいろんな方面に差しさわりがないようにそう書いているだけなのか、今では実際にそうなのか知らない。僕の時はずばり、賞品は現金であった。
と言っても、知れた額である。その型をまず確か20円で買うのだが(自分は10歳前後、1970年代半ばくらいの話だ)、それがまがりなりにも食べられるものとして扱われているのは、パチンコの玉をまずライターの金に交換するがごとく、とりあえず「お菓子」として売る体裁は必要だったのだろう。もらえる賞金は、その型の難易度によって変わる。シンプルなものであれば、最初に払ったお金の元が取れるくらいであり(一番簡単な型が何を模したものだったかもう覚えていない)、もっとも難易度が高いチューリップの型をキレイに抜ければ150円が得られた。20円の投資で150円だから、子どもにとってはそれでも魅力があるわけだが、ただでさえいとも簡単に割れるように原料が配合された板である。チューリップのように複雑な形、かつ罠のように細い茎や鋭角の花びらが待ち構えた型を抜くのはそうそう簡単なことではなかったと思う。「思う」と書くのは、自分自身がそれにトライしたかどうか(どれにチャレンジするかは自分で選べる)よく覚えていないからで、そもそも自分が実際に型抜きをやった回数は本当に少ないものだったし、それは縁日の参道でもなかった。
毎日のように遊びに行く児童公園があった。小学校のクラスメートなんかとも行くし、少々年齢の違った隣近所の子どもとも行くし、同じ学校の子なのか、それとも別のところの子なのかよく分からない子どもも来ていた。とにかくそこに行けば誰かがいて、滑り台とか鉄棒とか、いかにも公園にありそうな遊具で遊んだり、誰かが持ってきたボールで遊んだり、フラットになっている公衆便所の屋根に上ったりして、放課後や休日の時間をつぶしていた。そしてそこには時折、年に一度か二度くらいだと思うが、見慣れないおじさんがいることがあった。毎回違うおじさんである。
ある時のおじさんは、針金で知恵の輪を作っていた。またある時のおじさんは、指に付けて擦ると煙が出るという謎のペーストを見せてくれた。その時には分からなかったが、多分、あちこちの縁日を寅さんのように渡り歩くテキ屋の人たちが、祭りから祭りへの道すがら、子どもの集まりそうなこうした公園に行って、小銭を稼ごうとしていたのだろう。おじさんたちはデモンストレーションをして、明日もここに来るから、欲しかったらお金を持っておいでという。夕ご飯の時にその話をすると、中学校で国語と社会と生徒指導の先生をしていた父親はあからさまに嫌な顔をした。そもそも地元の天満宮の大きなお祭りなどに行く時はこの人とではなく、母と行くことの方が多かった。祭りとかテキ屋が嫌いなのかと思ったが、これも今にして思えば単純に、そういう場所に出かけて何人もの自分の生徒たちと出会うのが億劫だっただけかもしれない。一緒に出掛ける母は格別に潔癖というわけでもなかったが、参道に出ている屋台で売っているものを買おうとはしなかった。あまり質のよくないものを高い値段で売る、というような見方があったかもしれない。自分の住んでいたその一角だけなのか、それとも山口県のあたりではみんなそうだったのか分からないが、「ズルをする」とか「インチキなもの」を指す言葉に「ヤシ」というのがあった。「あれはヤシじゃ」とか「ヤシはやめようやあ」とか、そんな使い方をする。おそらくヤシは「香具師」(これで読みは「やし」である)から来たのだろう。まさにお祭りの屋台にやってきて、何かを見せてくれたり、売ったりする人のこと。少々テキトーな芸でも、見世物でも、売りモノでも、お祭りという特別な日に供されるものであればそれもまた愛嬌と許される。ロクなものではないということは提供する方も享受する方も納得ずく。お互いの間にあるそんなユルさが母には馴染まなかったのかもしれない(それを見ていたせいか、そもそもの性質を引き継いだのか、僕も大人になって縁日の屋台で雰囲気を楽しむということはあっても、実際に何かを買うということがほとんどない)。そのくせ、前に募金箱を置いて這いつくばっている傷痍軍人(戦争が終わって四半世紀が経とうとしていたのにそういう人たちがいた。あれはよりお金を得るための演出だったのだろうか)を見ると、必ずそそくさと近づいて小銭を入れずにはいられない人だった。お兄さんの一人が戦地で行方不明になったままだったから、そういうことも思い出していたのだろう。
親の嫌な顔を気にしながら、なけなしの小遣いをもって翌日公園に行っても、昨日のおじさんはいなかった。その翌日も、さらに翌日も。煙の出る魔法の練り物も、針金細工の知恵の輪も手に入らない。ほかの公園にいるのかもしれないし、とっととよその土地に行ってしまったのかもしれない。彼らのする子どもたちとの約束には、TV屋の「今度メシでも行こうよ」という言葉ほどの信頼性もない。だって彼らはヤシなんだから。
そして、そんな公園シリーズの中に、箱いっぱいの「型抜き」を手に現れたおじさんもいたのである。型抜き作業をするための台となる大きな板も持っている。過去の「煙」や知恵の輪と違って参加型のイベントだし、最低限の参加料は20円なのだから、その日、公園に来ていた子どもたちが4~5人、自分に出来そうな形の板を選んで、一生懸命、細い釘で型を抜こうとする。たまに「アー」とか「チェッ」といった嘆息が洩れては、「もう一枚」ということになる。耳に赤鉛筆を乗せた競馬場のおじさんたちと大して違わないノリである。遠のけば遠のくほど、その幸せはより幸せらしく輝くのだ。
「できた」という声がする。自分のよく知らない子である。それがなんの形のものだったかを思い出せないのは、その後に起こった出来事の印象が強すぎて記憶からすっかり飛んでしまったのだろう。ともあれ、その子は難易度で言えば中くらいの形を見事にくり抜いていて、周りにいた僕たちの称賛のまなざしを浴びていた。だが、それを見るおじさんの顔は険しい。
「お前、釘、舐めただろ」
板を削るための釘を舐めるのは、「型抜き」においてはご法度の行為である。唾の湿気が板に衝撃を与えずに削る手伝いをしてしまうからだろう。
「舐めてないよ!」
賞金の獲得を目の前にしているのに、文字通りの「ヤシ」である大の大人からヤシ呼ばわりされたその子は大いに怒りを露わにした。だが、おじさんにしてみれば、一枚20円ぽっちの上りしかないのに安易に賞金を持っていかれたら死活問題だ。可能な限りケチをつけるのがこの商売の習慣なのだろう。押し問答が続いたあげく、「そこまで言うんだったら」とおじさんが条件を出した。
「これをもう一回やってみろ。これが抜けたら金を出す」
おじさんが差し出したのは、さっきその子がやったものよりはやさしい、難易度で言えば下から2番目か3番目の、自動車を横からとらえたシンプルな形のものだった。とは言え、そもそもそんなにしょっちゅう型抜きなどやったことのない子どもたちにとって、出来るか出来ないかは一回一回の時の運のようなものだ。この条件はかなりアンフェアに思われた。しかし、相手は自分がお前ら子どもとは違う「大人である」というだけのアドバンテージを使って、それが健全な取引であるかのようにふるまう。その少年ももはや正常な判断は出来なくなっていたのだろうし、さっきの賞金をどうにか得たいという気持ちもあっただろう。その挑戦を受けて立った。
こうなるともう、誰も自分の型抜きなんかやってる場合ではない。その場にいたみんなが、外科医のように慎重な手つきでその車の形に取り組む少年の指先を見つめるばかりである。ちょっとでも集中を切らすような雑音を出せば、その少年の命取りになりかねない。既に、なんだか嫌なムードに包まれているこの場で、誰もがこの上起こる可能性の高い不幸の責任を背負いたくはない。息さえも殺して、車の形の外の破片が一つ、また二つと増えていく様子をドキドキしながら見守る。
5分だっただろうか。10分だっただろうか。体感としてはおそろしく長い時間が過ぎたあと、そこにはキレイに抜けた車の形が残っていた。少年の勝ちだ。誰も「やったあ」なんて声は出さない。はあーっという声にならないため息を漏らすだけである。
異様な緊張感から解き放たれた当の少年は、あっという間に目からボロボロと涙をこぼし、大きな声で泣き始めた。まわりにいた子どもたち全員が、それはそうだろうといういたわりの目でその姿を見る。そしてアンフェアな条件をのんで自分の潔白を証明したこの少年に対して、おじさんはどのような態度を取るのだろうと見上げて、一様に驚いた。
おじさんも泣いていた。顔をクシャクシャにして涙を流していた。そしてポケットから、お札も、硬貨も、おそらくその時、自分が持っていたすべてのお金をつかみ出して、怒ったように少年に手渡そうとする。少年の一途さに感銘を受けただけかもしれない。わずかのお金を守ろうとした自分を恥じる気持ちがあったのかもしれない。こんな小さな子どもに責め苦を与えるような大人になってしまった自分が恐ろしくなったのかもしれない。泣いている少年は少年で、そんな大金は受け取れないと言葉にならないしぐさで懸命に断る。そこにいた僕たちは、二人の終わらないやりとりを、ただ呆然と見ているしかなかった。