Tokin×山田ルイ53世 トークイベントのご報告(後半)
8月23日、神保町ブックセンターにて開催された、山田ルイ53世さんとのイベントレポート、後半は、質問コーナーです。(前半はこちら)
メッセージは、SNSや当日のアンケートで募集していました。
フィクションの中での解離性障害
頂いた質問の中で、これまでも私がよく聞かれてきたのが「解離性障害をネタにした、フィクションの映画や漫画をどう思いますか?」というもの。
色々意見はあると思いますが、私自身は、フィクションで解離性障害(記憶喪失や多重人格)が描かれることに対して特に問題意識などは感じていません。ただ、解離性障害が誤解されやすい理由は、ああいったフィクションで描かれる、ドラマチックな症状以外の側面が認知されていないからなんじゃないかと思っています。
なので、フィクションを封じるより、実際の症状や当事者像が認知されることが肝かな〜と考えて、自分の話を漫画やフリーペーパー「ゾンビ道場」に描いています。
「ゾンビ道場」23号より。まあいろんなことがありますね!
人に嫉妬してしまう時に…
ルイさんのお話の中で、私がとりわけ笑ってしまったのが、他人と自分を比較してしまう場面に対して、かつてのルイさんが編み出したアイデアでした。
それは「ライバルが自分より頑張ってたらムカつく。それはライバルも同じだと思う。なので、ライバルを不快にするために努力する」というもの(※多分そんな意味だったのだと思います。大丈夫かな!?)
だいぶ捻くれている感がありますが、結果的に確実に努力につながっていますよね…。
私はすぐ「ムカついてしまう自分は狭量でダメなやつだ」と自己否定に入ってしまうので、内心のムカつきを否定しない、ルイさんのこの考え方は「なるほど〜!」という感じがしました。
笑い方に遠慮がないTokin
自分のハードルを下げてあげる
また「なりたかった自分と、実際の自分のギャップの折り合いは、どうつけていくか」という質問については「理想と違う自分でもとりあえずそれでいいか、と思うこと。そうして漂流してきたのが今ですね」というような話になりました。
ルイさんは「自分が理想としてたお笑い芸人像とは違うけど、人が求めてくれるものや今持っているコマで、とりあえずそれで生きていくのも悪くない」と仰っていて、私もまったく同感です。
私はずっと、水彩画で制作しているような繊細で丁寧なタッチで、ストイックに制作をするミステリアス作家キャラでいたかったので、ゾンビ道場とか「解離性障害のちぐはぐな日々」のような漫画を世に出すのは予想外だったし、その上、ギャグのつもりで描いたそれらに「感動した」という感想を頂いたのも予想外でした。
貴族の方に見ていただくのも予想外でした
「良い意味」がなくてもいい
イベント後に(いつも通り)鬼のエゴサをしていたら、ルイさんのこんな記事がツイッターでバズっていました。
「引きこもりの経験があるから今がある」とは思いません。あの6年間は、僕にとって無駄やった。でも、無意味にはさせまいという世間の風潮が強すぎる。
普通の人間がただ生きていても、責められない社会であってほしいと思います。我々にはキラキラして生きる義務などないと思うのです。
そうそう、そういうこと!
私も、自分の経験を漫画に描いたことで「でもそのつらさがあったからこういう作品が作れたんですよね」と言われることが多いですがその度に「なかったらもっと爽やかに生きてるわ」と思います。
切実な希死念慮にとらわれることは今もよくあるけど、死にたいほど嫌なこともあれば、「生きててよかった〜!」と思えるような良いこともあって、全体を平均してならして「まあまあ」だから死なずに生きています。
理想とも予想とも違う今ですが、予想とは違う部分で出会った人とこうして対談をしたり、それを読んでくれた人と意見を交わすことができたり、それがなんだか面白くって好きなのです。
まとめ
自分やルイさんの語りがメインのイベントではありましたが、お客さんからのメッセージがあり、そのあとのサイン会ではいろんな方とお話できたり…と、自分から派生した物語が先へ先へと紡がれ、広がっていったのが感慨深いイベントでした。
ヘヴィーな内容でありながら、全体的にだいぶ笑えるイベントになったのが、とても良かった!
予想通り「繊細でミステリアスな水彩画作家」だったら、こんな場面なかったよね。ラッキー!
というわけでみなさま、ありがとうございました!
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おしらせ
繊細な私が参加する、次のイベントがこちらです。
書籍「解離性障害のちぐはぐな日々」も少しだけ持って行く予定です。さあさあ!気になった時が買い時ですよ!