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19/1260 ボストンに『戻って』からのシンクロなど。

子どもの頃から偶然の一致とともに生きてきて、それをシンクロニシティとか、セレンディピティとかいう呼び名があったことを知ったのは、20歳を過ぎてから。相変わらずそれは日常の中で起きているけれども、心の中に大切な瞬間として蓄積されている。


この数日間、人生の新しい章が始まった気がするので、ここに記録しておこうと思う。

ボストンに戻ってきて数日。今回は義母の遺品の整理などを兼ねて義実家に滞在しているだけ、なのだけれども、思わず『戻ってきた』と言いたくなるほど緩んでいる。湿気が肌に優しいし、故の蒸される暑さも日本のようでほっとする。それに百年単位の建築物があったりで、歴史という名の細やかでダイナミックな、多種多様な人々の営みを肌で感じることができる場所だからかもしれない。そしてこの家が、私たちを温かく迎えてくれるのを強く感じたのは、キッチンキャビネットの扉を開けたときだった。義母の愛が、こもった古いスパイスの匂いとともに、上から私たちを満たした。

何十年と続くベーカリーで家族のためにパンを買い、夜はお気に入りの小さなレストランのイカスミのパスタ、昼間はこれまた人生の中で一番美味しいと思っている、L.A.Burdickのホットチョコレートを味わって、のんびりと道ゆく人を眺めた。

8月18日朝、フェイスブック友の投稿が目に入る。「旧友から何年ぶりかで連絡があった」という内容に、無性に羨ましく感じた。コロナ禍になって、人と会わなくなって久しいけれども、そもそも私には、私のことを思ってくれる友人なんて存在するのだろうか?という、ありがちな思考パターン(のパーツ)が声をあげて、落ち着かない。

実はその夜、HSPの人々を対象に 内的家族システム(IFS)の紹介をすることになっており、準備を続けていた。

そんな中、突然のメールが届いた。彼女と最後に連絡を取り合ったのは、私たちがオレゴンに越してきてすぐだから、もう8年になる。
ボストンに着いてから、彼女達と過ごしたケープコッドでの夏をぼんやりと思い出していた
…ボストンから2時間ほど下った有名な避暑地で、もう10年か…を思い出していたので、なグッドタイミングだ。

メールの内容は、近況報告とともに、その当時、私が彼女に紹介したらしいHSPの本についてだった。本の題名を忘れてしまったので教えて欲しい、と。


まさにその本(の最新版を)読み直していたところだった。メールを受け取ったまさにその瞬間に。


「ああ私にも心を許せる、私のことを思い出してくれる旧友がいる。嬉しい。」
私(のパーツが)ほっと安心するのが分かった。

そして神さまが、その夜のトークを応援してくれているように感じた。こんなシンクロがあるときは『そのままGO!』 のサインだから。

セミナーも無事にすみ、ほっとして眠りについたのだが、珍しくやけにリアルな夢を見た。私が人生で2番目に、この人は本当は天使じゃないかと思った人と、1日を過ごした夢だった。ちなみに1番目は夫で、出会って20年経った今も、その印象は変わっていない。

翌朝の19日。この日は私の母と夫の父の誕生日でもあったのだが、予想外のことが起きた。これまで続けてきた通訳関係仕事を、突然退職したのだ。いや、これからトラウマワークに集中するために、いずれ辞めることになっていたのだが、それは一ヶ月ほど先のはずだったのに、偶然色々なことが重なって、じゃあ今日を最終日にしましょう、と上層部との間でとんとんと話が進んでしまった。その日のうちに急いで同僚にオンラインでお別れの挨拶をして、あっけなく終わってしまったのだ。

そして雨。雷。訪れようと予定していた場所は、洪水で通れなくなった。オーブンが突然壊れた。週末には30年ぶりに、ハリケーンが直撃するらしい。義母の遺灰を埋めた日もそうだった。雷。雨。洪水。嵐。あのときは、何日も嵐が続いて飛行機が飛ばず、やっと乗った飛行機の窓から、鋭い稲光が光るのを、あまり遠くないところから何時間も窓から眺めていたんだった。眠るどころではなかった。


新しい扉が開いているようだ。きっと虹が見えるだろう。あの時もそうだったように。

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