馳星周『少年と犬』感想文
羽田椿です。
『少年と犬』の感想文を書きます。
(注意)ネタバレしてます。
この本は連作短編集で、以下の六編からなります。
・男と犬
・泥棒と犬
・夫婦と犬
・娼婦と犬
・老人と犬
・少年と犬
出てくる犬は共通していて、『多聞』という名前の、シェパードと和犬の雑種です。とても賢く、人の気持ちをよく汲み取り、どこか超然としています。
第一話の舞台は仙台で、話が進むにつれて日本を南下し、四、五年かけて、最終話で熊本にたどり着きます。
第一話から多聞はずっと南を気にしており、どこか目的地がある様子を見せています。
飼い主のところに戻りたいのかと考えたくなりますが、多聞は体にマイクロチップが埋め込まれており、飼い主は岩手の女性だとすぐにわかります。ただ連絡はつきません。南という方向的に岩手に行こうとしているとは思えません。
目次を見てしまった読者的には、『少年』のところに向かっているのだろうと推測しますが、飼い主でもない少年にそこまでして会いたがるのはなぜなのか、という謎は最終話まで引っぱられます。
多聞は、一話ごとに別の人間と出会い、飼われ、また旅立っていきます。飼う側の人間は皆事情を抱えていて、多聞に救われ、でもほとんどは死にます。
読みはじめてまず思ったのが、この文章好き!ということ。しつこさや湿度がなくてかっこいいです。小さな描写を重ねて感情の輪郭だけを示し、中身は読者に任せる。すべて言葉で説明してしまうものより、わたしはこういう方がぐっときます。
一番好きなのは第一話です。主人公は家族を養うために犯罪に手を染めている男で、最終的には、足を洗うと決めて請け負った最後の仕事で死んでしまいます。
その少し前に、男は多聞が南に向かおうとしていることに気づいて、放してやろうとするんです。でも多聞は離れない。男にまだ自分が必要だとわかってるんですね。できた子です。その場面がすごくいいんですよ。せつないけどウェットじゃなくて。ちょっと泣きそうでした。
その後の第二話でも主人公が亡くなって、心の汚れたわたしは第三話から死亡フラグが見えるようになりました。その結果、答え合わせをしているような読み方になってしまって、楽しめたかというと微妙です。
問題は解決してないけど死んだから終わりね、という終わり方はある意味現実的で、これが馳星周だと納得すべきなんだろうなと思いました。
あと、女性やセックスワーカーの描き方が古臭い感じがしました(掘り下げると読書感想文じゃなくなるのでやめます)。
で、最大の謎、多聞はなぜ『少年』に会おうとするのか、ですが、最終話で一応回収されます。ただ、「なるほど!それはさぞかし会いたかっただろう!」と膝を打つようなものではありませんでした。肩透かしという感じです。
最終話は全体的にべたべたと説明的で好きになれませんでした。多聞も他の話と微妙にキャラクターがずれているように思います。ここまでかっこいい話を連ねてきたのに、なんか締まらないなという感じです。
第一話が震災から半年後の仙台、最終話は五年後の熊本ということで、初っぱなから終わり方が予想できてしまったというのもあるかもしれません。
すでにこれが受賞作だと知っているので、フラットではないですけど、これまで三作読んだ中でだったら、たしかにこれが受賞しそうだなあ思いました。
あと二作、読むのが楽しみです。
以上です。