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原点はオムライス

料理をするようになってずいぶん経つのですが、ふとその原点はなんなのだろうと考えてみたことがあります。

🍽第一の原点はおうちごはん

子供の頃から食べることは大好きでした。
そして、料理好きで好奇心旺盛な母のおかげで、色んなメニューを食べて大きくなりました。

母の作る牛肉のしぐれ煮は子供の頃のお弁当のエースで、今でも帰省するときに楽しみにしているメニューです。

ほかにも土曜のお昼の定番のひとつだったオムライスに、大好物だったハンバーグ、コロッケにエビフライ。
和食なら実家では“ぐちゃ炊き”と呼んでいた肉じゃがにちらし寿司。
お祭りの季節にだけ食べられる筍の木の芽和えや、おせちのだし巻き玉子も楽しみにしていました。

母は独身時代、料理好きがこうじて、有名な料理研究家の先生に料理を習ったことがあったといいます。

そのおかげか、いわゆるザ・おうちごはんのラインナップのほかに、ビーフストロガノフとか、サーモンのムニエルとか、当時にしてはハイカラだったなと思うおかずもいろいろ作ってくれました。

彼女はちょっとしゃれっ気のある人で、おうちごはんの演出をするのも上手でした。

洋食のときはひとりずつスプーンにフォークとナイフを並べてくれて、コーンスープを前菜に、メインのハンバーグはあとから出してくるコーススタイルにしてくれたり、お寿司のときはキッチンからお皿を出すためのカウンターのところにいすを並べて子どもたちを座らせ、対面で握ってくれたこともあります。

美味しいだけでなく、バリエーション豊かなメニューを食べるときのシチュエーションまで調えてくれていたんです。

こんな環境で育ったら、食べることはぜったい好きになりますよね。
そして毎日キッチンに立つ姿を見ていたおかげで、作るほうにも興味は持っていたと思います。

ただ、あまりにもなんでも作ってくれる母に甘えていたのか、高校を卒業するまで、自分が作れたものといえば、インスタントラーメンと玉子焼きくらいでした。
一応ことわっておくとラーメンはカップ麺ではなく、袋麺です。

もちろんそれで料理ができると思っていたなんてことはなく、むしろ自分は料理に関しては初心者だという自覚を持っていました。

🍽第二の原点はアルバイト

そんな自分が料理をするようになったのは大学生のときでした。
カフェ的な喫茶店でアルバイトをするようになったからです。

といってもアルバイトのスタートはホール係。
たまにキッチンに洗い物に入ったりするくらいで、調理とは縁のないポジションでした。

ただ1年もすると、週に3日、4日はキッチンの仕事の様子を見ているわけで、だんだんと段取りがわかってきます。
いつの間にかキッチンスタッフの人数が少ない日に、ちょっとした仕事を手伝うようになっていました。

キッチンの中に入っていると、オーダーに合わせて料理を仕上げていく姿を目の前で見るようになります。

手早く作られていくパスタ、ハンバーグ、サラダにピラフ。
野菜を刻み、肉を焼き、フライパンをふって料理ができていく。

同期の中にひとりだけ、調理担当のアルバイト学生がいました。

完成したひと皿を運ぶとき、ああ、これを作ったのはおなじバイトの大学生なんだな。すごいな、と思ったんです。

気が付くと、黒いホール用のエプロンを真っ白なキッチン用に代えて、料理を運ぶ側から作る側に居場所の変わった自分がいました。

もちろんいきなり、お客さんに出す料理を作らせてもらえたわけではありません。でもそこでいろんなことを学びました。

そして家に帰ったらそれを思い出しながら、料理を復習していました。

そのとき最初に練習したメニューがオムライスでした。

お店の閉店は22時だったので、家につくのは23時すぎ。
そこから自分の夜食になるオムライスを週に3回は焼いていたでしょうか。

🍽母が教えてくれたこと

あらためて振り返ると、料理が美味しいだけでなく、食卓が楽しいものだと教えてくれた母は、子どもたちに料理を作るお手伝いを強要したことはありませんでした。

もちろん洗い物だったりお皿拭きは手伝っていましたが、包丁を持って素材を切ったり、鍋で何かを茹でたり煮たり、たまにみずから興味を持ってやらせてもらったとき以外、そういうお手伝いはした記憶がほとんどありません。

ただただ美味しいものを食べる係でした。

人によってそれぞれだと思いますが、自分は勉強しなさいといわれるとしなくなるタイプでした。

でも読書は大好きでした。宿題や復習は嫌いだったけれど、自分の好きな物語を読むのは大好きで、本は勝手に読んでました。
買ってもらった児童書はすべて読みつくしてしまい、小学校高学年の頃には、両親の読み終わった文庫本の小説を楽しみにしているような子どもでした。

自主的には動くけど、強制されると反発する。
そんな我が子の特性を見抜いていたのかもしれません。

でもおかげで食べることが好きに育ち、食というものには興味を持って大きくなりました。

今にして思えば、作るお手伝いを強要されていたら、料理を作るという行為に反発心を持っていたかもしれません。
そうなるときっと大人になっても、自主的に料理をしようとはならなかったんじゃないかという気がします。

🍽メニューの原点はオムライス

そして自発的に選んだアルバイトで料理することに出会い、最初に練習した料理がオムライス。

時がたち大人になり、普通に日々の料理をするようになったとき、あらためて実家のおうちごはんが美味しかったことを実感しました。
そして母の味を思い出しながら、そこに自分の経験を加えていろんな料理を作るようになっていました。

さらに時が流れ、インターネットで料理をテーマにしたブログやSNSをはじめるようになったとき、アイコンに選んだのはオムライスでした。

黄色と赤のコントラストがきれいで見栄えがよく、表示されるサイズが小さくてもなんの料理なのかひと目でわかるところが、アイコンにぴったりだと思ったからです。

でも心のどこかにきっと、自分がはじめて作った料理らしい料理はこれだという意識があったんだと思います。

今は料理が好きでよかった、食べることが好きでよかったなぁと思っています。
作ることが好きなだけでなく食べることも好きだからいろいろ作るわけで、食べることが好きなだけでなく、作ることも好きだから外食や出来合いに頼らずにいるんだと思います。

帰りが遅くなった日や、気分がのらないとき、料理をしないこともあります。
でもそんなときに買って帰るお惣菜や、外で食べるごはんは、美味しいだけでなく、新しいメニュー作りのきっかけになったりもします。

気に入ったメニューって再現したくなるんですよね。

このnoteの企画のひとつ、ご当地グルメアレンジ再現は、まさにその再現してみたい好奇心が原動力です。

そんな気持ちになれるのは、子どもの頃からいろんなメニューを食卓に並べてくれた母の影響だと思っています。そのおかげで、知らない料理にも興味が持てるように育ったんだなぁと。

自分の料理のルーツ。
語り出すとついつい長くなってしまいましたが、まだまだいろんなメニューを作っていきたいと思います。

これからも“トケイヤkitchenおもてなし”をよろしくお願いします。

(↑トケイヤkitchen流オムライスのレシピはこちらでどうぞ)


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tokeiya
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