見出し画像

家族と働くということ



1. 2021年の状況下


緊急事態宣言が長引き、経済活動が苦境に陥っているということは誰もが実感していると思う。

あらゆる業界、業態が苦しんでいるとは思うが、身近な飲食店の営業時間が短縮されているのを見ると、応援したいなという気もちが生まれてくる。

そんなわけで休日のお昼、週に一度は散歩もかねて外食をするようにしている。
対象は歩いて1時間以内の個人経営の飲食店。
チェーン店も苦しい状況だとは思うが、会社組織が運営して全国展開しているお店よりも、個人で経営しているお店の方がオンリーワンの存在であることには間違いなく、もしなくなってしまえばその味は永遠に絶えてしまう。
たいして役に立っていないといわれればそれまでで、自己満足の範疇を出ないのは判っているけれど、それでも何らかの基準がないと自分自身が動きにくいというのもある。
そんな感じで飲食店のランチ巡りが続いている。

状況を考えて、あまり混雑しない時間帯を意識していくようにしていると、割合にお店の様子が見えてくることがある。
お客の少ない時間帯だからこそのお店の空気は、普段着の姿に近いのかもしれない。


2. 家族経営のお店

そんな中でふと、お店で働く人たちの構成にいくつかのパターンがあることに気付いた。
個人経営のお店なので、もっとも多いのが家族で切り盛りしているパターンだ。

代々家族で経営している街に根付いた洋食屋さんであれば、おじいちゃんがシェフ、おばあちゃんがレジに座っていて、娘さんがホールで働いていたりする。恐らく息子さんは外で仕事についてるんだろう。冬休みにはお孫さんらしき若者がホールスタッフに加わる。
料理はなかなかオシャレな洋食でも、そういうお店にはアットホームな空気が流れ、お客さんも近所の家族連れで、長い付き合いのある顔見知りだったりすることも多そうだ。

そしておなじような家族経営のお店でも、代々続くお店ではなさそうなパターンもある。
料理の道を志した息子さんが料理人になり、実家に戻ってきてそこを改装して始めたお店を家族で切り盛りしている感じだと思う。
今回そんな感じのふたつのお店で食事をした際、それぞれのお店に大きく異なる印象を感じたので、それを残しておきたい。

どちらのお店も訪れたきっかけは、店頭の弁当販売だった。
といってもお弁当を買ったわけではない。
通りがかったときに、お店の前でお弁当を販売していたのだが、その売り子さんをしながら、「お店の中でも食べられますよ~」「今ならお席あいてますよ~」と呼び込みもしていたのが、どちらもおばあちゃんだったのだ。

なんとなくおばあちゃんがこうして家族と一緒に働いている姿というのは、心に響く。
実家を離れて長くなった自分は、そこで食事をすることで、親戚の家に招かれたような疑似家族の団欒のような感覚を得ることができるのかもしれない。
なんだかほっとする気がして、ついその言葉に吸い寄せられた。

3. ひとつめのお店

洋食屋さん。
ランチはフライものが充実していてとんかつ屋さん系の洋食屋さんぽいけれど、ハンバーグやナポリタン、オムライスなんかもしっかりとラインナップ。
平常時であれば、夜はワインを楽しみながら料理をいただく、ビストロ的な楽しみ方ができる感じ。
夜のおつまみ単品メニューには洋食屋さんよりも、フレンチ的なメニューが並んでいる。
お店は住居の一階部分という作りなので、間違いなく家族経営だと思う。

おばあちゃんの声に誘われて店内に入ると、元気な女性の声に迎えられた。
キッチンは見えないけれど、ときおりお皿を出してくるシェフの姿がのぞく。
料理を作るのは表のおばあちゃんの息子さんで、店内で迎えてくれたのはその奥さんだろう。
ホールにはもうひとり若い女性がいるが、シェフの娘にしては世代が少し上に見えるので、バイトの学生さんだろうか。
あるいはシェフの姪っ子さんだったりするのかもしれない。

メニュー選定。
ハンバーグを食べたかったのだけど、初めてのお店でメニューを見ていると、お店的なイチオシというか得意分野はフライもののようなので悩む。
ほかのお客さんのところに運ばれているのはトンカツ定食やヒレカツとエビフライの盛り合わせセット…おっ!
ハンバーグも運ばれてきた。
鉄板に載ってジュージューいってるスタイルで、こちらもフライに負けず本格的だ。

結局いろいろ考えたうえで、メニューの最後におすすめされていた洋食弁当にした。
ハンバーグもヒレカツもエビフライも小ぶりにして一気に楽しめる、ある意味で初来店のお店ではありがたい心遣いという気がする。
今回はこれでこのお店のひと通りの味を楽しみ、次に来たときにはその中で気に入ったメニューに注力するチョイスをすればいいのだ。
外食はいつもボリュームに負けてしまうので、おかずはしっかりといただくが、ごはんは少なめでお願いする。
ホールの奥さんが注文を復唱して、元気な声でキッチンのシェフに伝え、シェフがそれに答える声を聞いてここは当たりだという確信を持った。

お店の印象は人によるものが大きい。
それは味にも大いに影響する。
料理が出てくる前にふれあう相手だから、その印象がよくないと、どんなに美味しい料理も負のバイアスのもとで食べるとこになってしまうからだ。

そういう意味ではここは安心して料理を待ち、美味しく料理をいただけた。
洋食弁当を構成するハンバーグ、ヒレカツ、エビフライ、サラダに茶碗蒸しなどなど盛りだくさんでどれも美味しかった。
中でもヒレカツが素晴らしく美味しくて、なるほど、次はフライを食べに再訪したいと感じた。
ハンバーグはその次の回にしよう。
鉄板の上でジュージューいう姿はめちゃくちゃ美味しそうだったけど。

食べ終わってお店を出たときに、表でお弁当販売をしていたおばあちゃんが、椅子から立ち上がって「ありがとうございました」といってくれたのも、なんだか胸が温かくなった。


4. ふたつめのお店

おなじく洋食屋さん。
店の前には食品サンプルの飾られたショウウインドウがあり、わりと老舗な店構えだけど、代々続くお店によくある色あせたサンプルではなく、新しく作られたように鮮やかな色調をしている。
住居一体型の店舗なので、考えられるのは、もともと大衆食堂的だったお店を跡継ぎが洋食屋さんにマイナーチェンジしたか、飲食店ではなかった住居の一階に、料理の道に進んだ跡継ぎが帰ってきて改装したというところか。

表でお弁当を売るおばあちゃんの声に誘われたのはおなじ。
実は少し前にこの近隣を訪れたときに、お店の前を通っておばあちゃんのお弁当売りの声に誘われたのだが、そのときはすでにお昼を食べていたので、また今度きますと返事してその場を去ったことがあったのだ。
それもあって今回は、ここを目指していた。

中に入ると、エプロンをかけた年配の男性にいらっしゃいませと声をかけられた。
席に着くとキッチンの様子が手に取るように見える。
だがシェフが接客もするスタイルのオープンキッチンではなく、料理の皿を出す場所が開放的で客席からキッチンが見える、そんな感じのセミオープンとでもいうような作りだ。
キッチンにいるのはコックコート姿の男性で、そのかたわらにはおなじ年の頃の女性がいて電話を取っていた。
おそらく表にいたのがシェフの母親で、サービスを担当しているのがシェフの父親と奥様なんだろうと推察できた。

なんだか嫌な予感がしたのは、キッチンにオーダーを伝える瞬間だった。
客席とキッチンでは聴こえ方が画うのかもしれないが、お父さんの「ワン・ナポリタン、ワン・ハンバーグお願いします」の声が聞こえないかのようにシェフはキッチンの奥で何かをしている。
お父さんが何度かオーダーを繰り返していると、シェフはズカズカと料理を出すカウンターに近付いてきて「何?」といった。
お父さんはもう一度オーダーを繰り返した。
シェフは返事することもなく、そのままキッチンの奥に入り作業を始めた。

そんな様子を見つつ頼んだのはハンバーグのサラダ+ライスセット。
しばらくして最初にサラダが運ばれてきた。
ボウル型のお皿の片隅に寄るように盛り付けられていたのはサラダ菜一枚と大匙一杯くらいのポテトサラダ。
空間の広さになんだかアートなものを感じないでもないけれど、そういう意図があるとは思えなかった。
ポテトサラダは明らかに水っぽくて、自分で料理する人にはわかると思うが、玉ねぎを多めに入れたポテサラの2日目の味だった。

少な目でお願いしたライスが運ばれ、そしていよいよ鉄板に載った真打が運ばれてきた。
鎮座するのは表面をこんがり焼いた厚みのある主役のハンバーグと、フライドポテト、ソテーしたインゲンにケチャップを絡めたパスタと目玉焼き。

すでにシェフと父親の力関係のようなやりとりで負のバイアスがかかっていたのもあるけれど、目玉焼きが異様に目についた。
黄身が破れていて、いわゆる片目とかお日様の趣はない。
ハンバーグの熱の入るタイミングや、付け合わせの温まり具合とかいろんなこととのバランスを考えると、最後に載せた目玉焼きを焼きなおしているとすべてのバランスが崩れるのかもしれない。
そういう意味でそのあたりはそういうものなのかなという気もした。

だが、ナイフを入れた瞬間、動きは止まった。

──うーん。

これは食べていいものか。
ハンバーグの中心が明らかに焼けていなかった。
が、時にビーフ100%、レアを売り物にしているハンバーグもあるので、うかつな即断はできない。
もし、それがシェフのこだわりであれば、お父さんとのやりとりを見た限りではこちらが怒られそうだ。

でもどんなに考えてもそういう感じの、トンがったスタイルを売りにしているわけではない、いい意味で普通の洋食屋さんだと思う。

意を決して、ほかのお客さんの注目を集めないように静かに手を挙げた。
お父さんが微笑みながら近づいてきた。
ハンバーグの断面をそっと指して訊いた。

「これ、こんな感じですか?」

お父さんにはすぐ伝わったようだった。
鉄板は下げられ、お父さんは平謝りしてくれた。
すぐに頼んでいないアイスコーヒーが出てきた。

頭を下げるお父さんを見ながら、いろんなことを考えた。
厨房ではシェフが間違いなく、自分のためのハンバーグをもう一度調理してくれていた。
お父さんはシェフにも謝っているように見えた。

このお店に一歩足を踏み入れたときに感じた感覚は、緊張感だった。
そんな気がする。
シェフの強権にお父さんがその顔色をうかがいながら働いているように見える。
そして今もその緊張感は続いている。

そんなタイミングで鳴ったデリバリーサービスのアラート音にシェフは気付かないようでいて、お父さんは「鳴ってるよ」と何度も聖域の奥に声をかけていた。
でもその声も音もシェフにの耳には入らないようだった。

アイスコーヒーに手を付ける気にもなれないまま、作り直していただいたお皿が出てきた。
目玉焼きはきれいなサニーサイドアップに焼けていた。

やればできるじゃん🍳

最初にハンバーグのど真ん中、一番分厚いところをぶった切った。
店内の照明が控えめなのもあるし、先入観もあるので、なんだか微妙な火通りに見えてしまう。
救いは熱々の鉄板スタイルだったことだ。

ハンバーグにはふたとおりあると思う。
ひとつはほかの洋食同様、白い大きな丸皿に盛り付けられて、生野菜が添えられているタイプ。
もうひとつは熱々の鉄板の上でジュージュー音を立てるステーキハウススタイル。
このお店は後者だった。

これが幸いした。
さすがに二回目のおうかがいを立てる勇気はない。
熱々の鉄板に載っているのだから、あとは自分でなんとかするしかない。

ハンバーグは細かく刻んで、鉄板に広げた。
鉄板が冷める前に何とかしなくてはならない。
端っこの方は大丈夫そうだから食べてみよう。
ひとくち運ぶ。
普通のハンバーグだった。
どちらかというつなぎが多くて、ふわふわした感じだなと思った。

ひとくち、またひとくち、細切れのハンバーグの色を確認しながら口に運ぶ。
表面がカリカリに焼けていて、中はふっくらというよりはしっとりとした柔らかさだった。
だがそれ以外の味の印象は記憶にない。

正直すでに食欲は失せていた。
ただ作り直してもらったこのハンバーグだけは何がなんでも食べきるしかないというプレッシャーとの戦いだった。

結局申し訳ないが、少なめにお願いしたライスはほとんど手付かずだった。
ハンバーグの火通りをチェックすることに気を取られていたのもあるが、そもそも定食のライスはおかずと一緒に分量を調整しつつ口に運んで、口の中でまじりあう美味しさを楽しむものだと思う。
ハンバーグなら肉汁とソースが口の中で白米とまじりあう美味しさだ。

今回は見た目が大丈夫のように思っても、もしかして口の中に入れた塊の断面よりさらにその奥が生焼けだったら……という猜疑心に駆られていて、もし口から出すことになったらと思うと、余計な部品を口に入れるわけにはいかないという緊張感にすべてが支配されていた。

お勘定を済ませるとき、お父さんは申し訳なさそうだった。
店を出たとき、表でお弁当を紹介する声を止めたおばあちゃんに「ありがとうございました。またお越しくださいね」と笑顔で声をかけられた。
中で起きたことをおばあさんは知らない。

5. 家族で働くということ

おそらくどちらのお店もシェフは外で料理を学び、独立に当たって実家で洋食屋さんをはじめたのだと思う。

ただそれぞれの店で食事をしてなんとなく推測した違いは、ひとつめのお店のシェフは家族と働くことを楽しんでいて、ふたつめのお店のシェフはそうではないのではないかということだった。

実は自分にも経験がある。
家族で働くということは難しい。
特に若い時代には顕著だと思う。

自分の実家は商売をしていて、それなりの規模でそれなりに裕福だった。
だから子供の頃から、そんな環境に甘えながらも、〇代目としてのプレッシャーを感じていた。

大学を出て最初に勤めた会社でも、面接のときに「いずれは実家を継ぐつもりですか」と聞かれた。
「やめるつもりはないです。父も実家を継ぐ必要はないといってくれています」
そう答えた。

これはそのときの本心で、面接に受かりたいからの出まかせではない。
自分はたしかに新しい生活の希望に燃えていた。

そして父の言葉も嘘ではない。
父は自分が東京の大学を出て勤めた大きな会社を、祖父の病のためにわずか2年弱で退職して実家を継いだという人生を歩んでいたからだ。
父は自分のような人生を子供が歩む必要はないと思ってくれいたようだった。
子供の頃から、好きな仕事をすればいい、と口癖のようにいっていた。
まるで家業という呪縛をみずからも振り払うかのようだった。

そんな父の影響を受けた自分は大学を出て当然のように外に出た。
だがいろんなことがあって3年後には実家にいた。

実家の商売をかじりはじめた自分は苛立った。
外で多くの人と仕事をしてきた自分には、親と二人で交わす仕事のやり取りは何もかもがなぁなぁに思えた。
特に父の仕事に対する考え方は甘く思えた。
そして仕事中の父親に配達のついでに買い物を頼む母親にも憤りを感じた。
こんなものは仕事ではないと思った。

だがそのとき自分は他人と一緒に勤務先で働く外の仕事に必要なものと、24時間一緒に過ごし一生を共にする家族と働くときに必要なものの違いを理解していなかった。

今になって思えばあのときの自分の苛立ちは経験値の低さによる、若さの暴走に過ぎない。
そもそも倍以上生きてきた親に対して、自分のほうが経験を積んでいるという発想自体が思い上がり以外の何ものでもない。
わずか3年で何を知ったつもりだったのか。

さらによく考えてみれば、父は東京の大学を出て、東京で就職したのだから、父の故郷でもある地方都市で生まれ育ち、その地方で就職した自分より遥かに広い世界を見ていたのだ。

だけどそんな父の過去は自分にとってはリアルではなかった。
子供の頃から聞かされることで、そらでも歌えるなじみすぎた子守唄のようなものだった。

その後地元を離れ、東京で新たな仕事をすることになり、さらに時を経た今になり自分は思う。
あのとき、あきらかに自分は父を見下していた。
社会の常識を知らない無知な人だと思っていた。
そして父のことを外で働いていないことにより、世間の流れに取り残された時代遅れな価値観の持ち主だと決めつけていた。

父のプロフィールは知っていたのに、なぜかたった数年の外での社会経験で、父の世界を狭いものだと思っていた。
でもそれは自分の世界は父よりも広いという主観的な幻想を訴えることで自分を認めさせたいという、若くて青い狼の独りよがりな咆哮だったのだと、今は思う。

ふたつめのお店で感じた違和感、居心地の悪さ。
それはすなわち自分の過去の姿だったのではないか。

あのお店のシェフは明らかにご両親を見下していた。
目の前にある狭い世界が自分のすべてではないことを、お父さんにアピールし続けていたのだと思う。
自分より優しく受け入れてくれる親だからこそ、苛立ちが生まれて、態度に出てしまうのだ。

その気持ちはわかる。
共感できる。

だけど故郷を離れて長い自分にとって、帰省できない状況が続く一年を過ごした自分にとって、そんなふうにそばにいる家族に苛立てる環境はとても羨ましい気がする。

こんなことになるとは思わなかった2020年~2021年。
だからこそ出会ったふたつのお店。
そのシーンから感じ、学んだことはある。

若い頃にはわからなかった、感じ取れなかった何かを感じられるようになった自分がいる。
父も母もあのときの自分を見守ってくれていた。
仕事中に上から目線で文句をいっても、父はさすがお前だな、と正反対の意見を肯定してくれた。
そんな日の夜も母の温かい手料理があり、父が注いでくれるビールがグラスを満たしていた。


今は家族と働くのもいいことなんじゃないかと思っている。

いいなと思ったら応援しよう!

tokeiya
お読みいただきありがとうございます☺️いただいたサポートは新作メニュー作りに役立てさせていただきます🍴🙏

この記事が参加している募集