短編小説『シルバー』 #1
大学の課題で執筆した短編小説『シルバー』の冒頭部分を公開します。
といっても、課題は冒頭部分のみだったので続きは書いておらず今後はその続きを徐々に執筆・公開していく予定です。(がんばる)
この作品は、井上ひさしの短編小説『ナイン』のスピンオフにあたります。内容は自由ですが登場人物の一人である「正太郎」を描くことが課題の必須事項でした。
本編の舞台は1980年代の四ツ谷駅前新道通りの畳屋さん。少年野球大会で準優勝をした過去をもつナインたちのお話です。15分ほどで読める短編ですので是非お手にとって読んでみることをお勧めします。
あれから40年後の2023年。さてさて、ナインたちはどうなったのか、、、、
早朝からのロケハンが終わり、四ツ谷駅前の外堀通りで車を降ろされた。このまま最寄り駅まで帰るのも勿体無いのでしんみち通りにある喫茶店に寄ってみた。赤い絨毯の敷かれた落ち着いた雰囲気の店内は、入口に一番近い席に生命保健かもしくは化粧品の営業でもしているだろう眉毛のはっきりした中年女性、中央の四人掛けの丸テーブルに午前の時間を持て余した初老の男性二人組、奥の一人席には朝刊を大きく広げたサラリーマンがいるだけだった。初老の男性の一人はこんな季節だというのによく日に焼けた顔で長袖のニット越しにも分かる筋肉質の上半身からして職人だろう。いま書いている脚本のネタになりそうだと思って二人組の近くに腰をおろした。
だいたい物書きというのはネタに困ると、物語のヒントになるような生っぽい話を探しに喫茶店か安いバーに行くものだ。昔は煙草を一本吸っていればあとは堂々と盗み聞きができたが最近は煙草の代わりに文庫本をめくったり、スマートフォンをいじったりと“聞いていないフリ”も面倒になった。
「お兄さん、落ちていますよ」
背もたれにかけたはずのマフラーが絨毯に落ちていた。気の良さそうな声で、もう一人の初老男性が拾って手渡してくれた。鱈子みたいに膨れあがった指。このお爺さんも職人か。とすると兄弟子と弟弟子かな。
「それで正ちゃんとはどこでお知り合いになったのでしょうか」
「万博の工事が始まった頃に正太郎の親父に会ぉたんが最初や」
「大阪ですか」
1960年代後半、日本万国博覧会の工事には全国各地から仕事を求める男たちが日雇労働者として集まっていた。正太郎の親父は東京から着のみ着のままやってきて万博の仕事にありついた。中学を卒業した正太郎も親父の後を追って大阪にやってきた。親子二人でハイエースに詰め込まれて千里丘陵に運ばれ朝から晩までガラ運びの仕事をしていたそうだ。
「婿養子でクリーニング屋を継いだけど義理のおとんと合わんかったと言うてたな」
「正ちゃんのお袋さんも高慢な人で、家の中はいつも散らかっているし、ご飯も作ってくれないんですよ。それで親父さんと2人でスナックに行って夕飯を食べて、翌日の分のにぎり飯をもらって帰ってきてました」
「正太郎は足腰が強くてな、なにやってたんだって聞いたら野球だって言うて、よぉ野球の話をしてたな」
「新宿区で準優勝ですからね。小学六年生の時に。たった九人でね」
スマホの画面に映る政治家のスキャンダル記事が全く頭に入ってこない。珈琲を一口飲みながら隣席に目をやる。テーブルの上に何かを包んだ手拭いが置かれている。
「しばらく世話してあげてたんやけど、親子二人で急にいなくなってな」
「そうですか、親父さんもですか。十年くらいたった頃に正ちゃんが一人でふらっと戻ってきてね、クリーニング屋は正ちゃんが出て行ってすぐに店を閉めてマンションにしてたので、何もかも無くなっていましてね、一度はお袋さんと一緒に住んでいたけど東京は日雇の仕事も少ないですからね。もうずっとあれだったでしょうあの頃は」
わたしは先ほど一人で車を降ろされた時のことを思い出していた。道を挟んで見えた「しんみち通り」という可愛らしいアーチに誘われてやってきたものの、無愛想な居酒屋ばかりが建ち並ぶ。店先には昨晩の宴の痕が袋に詰められてひんやりと冷たい感触がした。温かさを求めて急いでこの喫茶店に入ったのだ。中学出の少年が大阪の建設現場で大人と一緒に汗水垂らして働いて、母親に会いたいと戻ってきたら家ごと無くなっている。かつてのチームメイトたちはまだこの通りに住んでいただろうか。ご飯を食べさせてくれたママさんはもう一度迎え入れてくれただろうか。正太郎はこの商店街を歩きながら何を想っただろうか。わたしは会ったこともない少年を想像していたたまれなくなっていた。
つづく、、、
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