イギリスで作業療法士"アシスタント"、はじめました。 (9) 作業療法士のやりがい
今日もお付き合いありがとうございます。イギリスでの作業療法士アシスタントとしての経験を記録しています。
今回は、就職して3ヶ月目くらいで、まだその業務に悪戦苦闘しつつも、じわじわそのやりがいを思い出してきた頃の話を載せておきたいと思います。
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新人でも容赦なく一日2件の訪問評価をこなすことを要求される日々。はぁ。ムリすぎる。
2件というと少ないように聞こえるけれど、移動時間、評価、評価記録、注文、住居改造会議/申請、この間にメールのやり取りで一杯イッパイ以上なところに利用者からの電話も入ってまた緊張が走る。日本のOTの保険請求限度件数のほうが遥かにまともやった気がする…。
ネイティブ英語スピーカーでも厳しいこのノルマに対して、私の弱小英語脳はもはや軍隊生活並みのストレス警戒レベルに引き上げられた。評価記録にはまだネイティブスピーカーの4倍は時間がかかっている。皆が走る中、一人ほふく前進!! しかも若くはない!!!
特に苦労しているのが動作分析の記録。
「左手でシンクを掴んでバランスを支え、右手で風呂の縁を掴みながら、右下肢を後方から上げて風呂の縁をまたぐ。次に…」
これを英語で表現するには体感的な英語力が必要で、うっすら英語レベルの私には、足が get over なのか、lift なのか rise なのか、ほんとトホホ状態。自分の子供たちに「これ、ナンていうん?」と言いながら動作を見せてご教授乞うたり、他のOTの記録をコピーしたりする。それでもピンとこない脳を恨みつつ、三歩進んで二歩下がる。いや、三つ学んで二つ以上忘れるけれども、もう1ミリずつ進んでいくしかない。
とは言え、
そこは作業療法の世界。
やっぱりやっぱりこの仕事の役割の素晴らしさを味わえるときがある。
私たちが毎日会う人々は、皆それぞれの身体または精神の障害を持って生活している。
コロナ禍もあってニ年近く外出していない人は珍しくない。
彼らが孤独にも一日一日を生きている家の中で、その現実と向き合う。その時間の中で、不意に彼らの想いが投げかけられる時がある。時には直球で、時にはふんわりと。
そこで私は焦る気持ちを抑え、一度ペンを置いて耳を傾ける。病気の始まり、痛み、負傷したその出来事が語られる。そして多くの人が予期しなかったその出来事に後悔し、身体と精神がそこで立ち止まっていることが見えてくる。
私達の重要な役割の一つは、そこからどうやって今、将来に振り向くことができるか、その援助だと思う。
誰かが言っていた。「過去はね、一本道なの。」私達が持っていたのは結局その道だけ。
でも未来には選択肢がある。
人は後悔しやすい生き物で、選択肢が与えられなかった事については尚更長く悔しさを引きずる。
でも私達には、いつかは分からないが、それを振り切れる時がくる。
後悔から離れて、私達が今日出来ることに目を向けたり、なにかひとつ先への好奇心を持つことができる時が来る。
するとどうだろう、
その瞬間から、過去の傷は癒やされ始めるのだ。
そしてその時、私達、作業療法士の役割は達成されるのだと思うのよ。25/11/2021
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作業療法士、やっぱりいい仕事だと思います。
つづく…
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