湯治場で、年を越す⑪【帰りゆく湯治客】
<前回はこちら>
年末年始は満室稼働だった高東旅館も、三が日を過ぎると静謐としてきた。館主のお孫さんも幼稚園に通い、湯治客も徐々に減っていく。1月5日、とうとうこれまでずっと一緒だったM夫妻も帰ってしまう。
前日の夕刻、健康娯楽室で国生さゆり似の奥様と二人になった。薄暮の中、白銀世界となった宿の裏山を見つめ、艶然とした表情で奥様は語り始めた。
奥様 「墨絵みたいね。旅の終わりは寂しくなるわ」
私 「でも、しょっちゅうどこか行っているんでしょう」
奥様 「まあね、それでも寂しいものよ」
私 「次は桜が見れるといいですね」
高東旅館から歩いてすぐ。郵便局が角にあり、その先に橋梁が架かる。
美しい小川に覆い被さるように桜並木が続き、数百メートル下流に行くと江合川に合流する。
特別景勝地という訳ではないが、私はここが好きで散歩の際はいつもこの川沿いを歩く。水が澄んでいて時々魚影が見える。以前来た時は新緑の頃だった、桜が満開の時はまた格別の風情があることだろう。
奥様はまた春にここに来たいと言った。
「いつも常宿にしている旅館には申し訳ないけどね・・」、そうも漏らした。
翌朝。車の雪を降ろしと荷積みを終え、朝から呑んだくれているご主人を助手席に乗せ古川方面へと車を走らせて行く。館主と私は手を振り、二人を見送る。
主人 「また春に来ますから」
「ヨシタカさんも、春に来れれば!」
私 「ええ。都合が合えば。奥様とLineできますので」
「色々とありがとうございました」
二人は常磐道のため、一度沿岸に出てほっき飯と牡蠣飯を食べてから千葉に戻るという。気さくで豪快なご主人、さっぱりとしていて一人でどこでも行ってしまう奥様。いつも喧嘩ばかりしていたが面白いご夫婦だった。
お二人が帰ると、旅館に残ったのは私と湯治の達人Sさんご夫婦の2組になった。この日の夜からはまた別の客が来ると女将さん。数日前まで娯楽室にいれば10分毎に誰かしら前を通ったが、館内は水を打ったような静けさとなった。
普段から一人旅ばかりなので孤独は慣れているが、一気にワンフロア誰もいなくなると、流石に暗愁が心を覆う。そんな折、廊下で掃除機をかけていた女将さんにあるお願いを打って出た。
私 「女将さん!お風呂掃除させてもらえませんか?」
女将 「掃除??」
私 「ええ、掃除したいんです」
女将 「うちでやるけども、、(←ごもっとも)」
私 「ずっとやってみたくて」
女将 「別にいいけど、息子が今やるから、一緒にやる?」
かなり酔狂組の思想かも知れないが、温泉マニアであれば一度は体験してみたいはず。源泉かけ流しの浴槽の、湯抜きからブラッシング、バルブの開放まで。自分で張った源泉の一番風呂にも入ってみたいものだ。
日本は温泉大国である一方、湯量が足りず衛生上消毒液の投入や循環式を取り入れる施設は多い。天敵である「レジオネラ菌」の発生リスクが下げられるが、源泉そのものの持つパワーが落ちてしまうのは自明の理。
ここ高東旅館は敷地内に湯元を持ち、高温の源泉をそのまま浴槽に落としている「100%源泉かけ流し」の湯だ。息子さんの後を追って入ったのは貸切の家族風呂。
栓を外し湯が抜けたところで、クレンザーを撒布してからゴシゴシと。
すぐに運動不足が露呈し腰にきた。仕上げを息子さんにお願いすると、見事に腰が決まっている。泡立ちも全然違う。
散水し泡を洗い流してから、今度は湯を張る。風呂の窓を開け足元を見ると、塩ビ管の中に赤いバルブを発見。バーベキューの炭を取る火ばさみで時計回しにグルグル。これが固い、前腕もすぐにパンパンになってしまった。
高東旅館の源泉温度は60度近い。いつもは温度調整のためチョロチョロと落ちるが、フル開放するとすごい勢いで湯が吹き出した。僅か20分程度で浴槽は満たされた。
意気揚々と一番風呂に浸かろうとかけ湯をすると、、とてもじゃないが入れたものじゃない。激湯で知られる「鹿の湯(那須湯本、48度)」をクリアした経験があるが、比較にならないほどだ。
人がいない時は、ゆっくりと湯を落とし時間をかけて適温にすると息子さん。今回ばかりは少々加水をして、46度ほどにになったところで身を沈めた(それでも熱い)。
「き、効く!!」
次に日には酷い筋肉痛に襲われたが、夢のような瞬間だった。2022年、5日目にして宿願を果たす。
今でも、風呂掃除を申し入れた時の女将さんの驚いた表情が忘れられない。
令和4年1月6日
<次回はこちら>