私と温泉と湯治⑤【出湯温泉~湯治と信仰】
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温泉地の近くにはだいたい温泉神社や温泉寺があります。
私は湯治の際は毎朝参拝を欠かさず、平癒祈願をしてから湯に入ります。由緒正しい神社仏閣である必要はありません、その辺にある小さな鳥居やお地蔵様があればそれに向かって合掌します。
栃尾又温泉を出てからは更に北上し、新潟市近く阿賀野市の五頭温泉郷「出湯温泉」に向かいました。出湯のシンボルと言えば「華報寺」です。
弘法大師が開山したと伝えられており、開湯1,200年を誇る新潟県最古の温泉地でもあります。ここには立派な本殿のすぐ横に共同浴場があり、境内に同居しています。
共同浴場に入るには本殿の前を横切らなければいけません。この頃正常性バイアスが効くような精神状態ではありませんでしたが、毎日ここで参拝をしていました。温泉地で毎朝続けている習慣は、この時に始まったのです。
平癒祈願というよりは、素通りするとバチが当たると思いました。それほど華報寺の本殿は荘厳で、立派な伽藍です。
この時宿泊したのは「大石屋旅館」です。2度目の再訪でした。
連泊しましたが客は私一人しかいませんでした。女将さんは「誰も来ないので」と仰せ、リフォームした大きな部屋に案内してくれました。この旅初の「トイレ部屋付」。安価な割に凄く綺麗だったのを覚えています。
湯は循環でした。源泉が温いので致し方ありません。かけ流しが望ましいのですが、常にボイルしていては宿の経営が成り立たないでしょう。私はここでは軽く身体を洗う程度に留め、基本は「華報寺共同浴場」に入っていました。
温泉通の間ではよく知られていますが、宿の湯よりも共同浴場の方が湯の質・鮮度共に優れている場合がほどんどです。本旅経由してきた草津温泉~渋温泉~出湯温泉と、宿の湯には浸からず共同浴場を使用しています。栃尾又温泉の浴場も確か元々は「共同浴場」の扱いです。
今回は寄っていないですが、長野県の「野沢温泉」に宿泊するときなどは、宿の湯は水道水の安いペンションに泊まっていました。13もの共同浴場を持つ温泉地です。歩いていればどこかの共同浴場に辿り着きます。宿の湯はハナから評価対象外なのです。
大石屋は素泊りだったので、食事は近くのローソンの弁当を食べていたと思います。歩いた記憶がありますが、今調べたら1.2キロもありました。退院してから1ヵ月半くらい経過しています。車椅子から下り、少しずつ歩けるようになり、旅に出てからは随分歩行の距離は伸びていました。
身も蓋もない話ですが、この時は色々な湯を合わせているので、直接的に温泉の薬理効果が作用したとは考えにくいです。湯で身体を温めることで血行が良くなったこと、それ以上に転地効果(要は気分転換)が主に作用したのだと思います。
線維筋痛症でキツイのは全身の激痛だけではありません。それ以上にメンタルのダメージが苛烈です。治療法が確立されておらず、痛み止めの類も効かず、治療は基本自己負担(3割負担)です。鍼治療などは有効ですが、これも保険適用外です。
社会復帰への不安や生活が困窮することへの不安が頭から離れず、その上激痛と戦います。「雇用が切られたらどうしよう、、」心は常にズタズタです。
今でも天候や気圧の変化で激痛は出ます。
「もうダメだ」と思った瞬間谷底に突き落とされ、自力では上がってくることが出来ません。そんな時、山岳救助隊の如く救ってくれるのが、私の場合温泉だったのです。
温泉治療が絶対ではなく、ヨガや太極拳も有効だと思いますし、動物が好きならペットを飼うことでも回復する人もいるかもしれません。温泉嫌いな人をいくら上質な源泉に浸けても治ることはないでしょう。
私の湯治仲間にも同じ思いをされた方がいますが、医者に「湯治をすると身体が楽になった」と伝えると鼻で笑われたりします。まあそれは仕方ないかな、と思うようにしています。
随分お世話になった勤務地近くのクリニックの院長は湯治に肯定的な定見を持っており、「現代湯治全国泉質別温泉ガイド」という本を持って私の症状に合いそうな温泉を紹介しようとしました。
「結構です」とお断りしました。いくら腕利きの医師と言えど、500以上の温泉地を回った私の方が、知見もキャリアも上だと思いました。患者の気持ちに寄り添ってくれる素晴らしい先生でした。
つづく
令和4年10月16日
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