真夏の温泉ワーケーション①【襲った体調不良 磐梯熱海へ】
7月上旬。勤務先の職域接種のため山手線の某駅に降り立った。
昨年秋に容態を崩し入院。「線維筋痛症」が断定されたものの、合併症の疑いもあり未だ検査と通院は続いている。昨今の情勢もあり、在宅勤務と医師の薦めもあり湯治場生活(ワーケーション)が続く。およそ8か月振りに東京都心を歩いた。
こちらに来る少し前まで、群馬県中之条町の大塚温泉に滞在。温湯に浸かり療養しつつテレワークをする日々。
<その時の記録>
かつて毎日通勤していたコンクリートジャングル、「こんなところに毎日いたのか、、」人の数とその距離感、モワッとした暑さに不快感を覚える。
冷房要らずだった大塚温泉。クーラーには「故障中」の張り紙。どうも、直す気はなさそうな雰囲気すらある(昔のユーザーレビューでも故障中とある)。快適な日々が早くも懐かしく感じられた。
ワクチン接種から数日、多くの方が経験するという2~3日の筋肉痛は私に襲った。だがその後、少々厄介な事が訪れる。
接種から1週間が経過したころだった。「モデルナアーム」という副反応が如実に表れ始める。虚弱体質故、何か副反応が出るのでは??と、思った矢先の出来事。
左上腕部がパンパンに腫れ上がり、幹部に熱を持ち、痒みが出始める。発生率3%程度の様だが、見事に網にかかってしまった。勿論発熱などの症状はなく、摂取したこと自体には全く後悔はしていない。今は症状は治まっており、憂慮するほどのことではなさそうだ。
だがこの腫れが出て以降、徐々に体調を崩してしまう。未だその実態が良く分かっていない線維筋痛症。「脳の信号」の障害とも言われている。
全身痛が顕著になった10代後半から睡眠障害が酷くなり、僅かな物音や光にも脳が反応し、すぐに目が覚めてしまう。二次障害的に神経も侵され、パニック障害やPTSDも経験している。
ワクチン接種が遠因になっているとも断定できないが、一度身体が違和感を覚え睡眠のリズムが狂うと暫く尾を引く。自律神経の乱れも影響しているのかもしれない。全身痛と、この時期特に出やすい全身の焦熱感。とにかく体が熱くて仕方がないのだ。
一日に何度もシャワーに行き、冷水を浴びる。夜中も暑さで目が覚め、寝汗で布団がびっしょり。ほとんどまともに眠れない。かと言って冷房の空気を浴びると身体が冷え切ってしまう。何とか手を打ちたい。だが、病院に行こうとも、結局薬が出されるだけだ。
私の部屋には大量の薬がある。昨年の入院以降、大学病院のリウマチ科、神経科、町医者から処方されたもの。トリプタノール、リボトリール、リーゼ、リリカ、ルネスタ、ゾルピデム・・・挙げればキリがないが、どれも中途半端に残っている。睡眠薬や鎮痛剤、線維筋痛症に効くとされる類のものだ。
入院生活でも実験的に服用したが、どれもほとんど効かなかった。1月~2月にかけて襲った激痛&投薬地獄は苛烈なものだった。1週間眠れず食えず、ガリガリにやせ細る身体。それでも尚、睡眠薬を投じるも眠気が来ない。もちろんこれは、医師の処方通りに服用しているものだ。
やっと眠気が襲ったかと思えば、悪夢に魘され舌を噛み、鮮血に塗れる口元。あの日々だけは、何としてでも避けなければならない。多少病との付き合い方を覚えつつあるが、やはり辿り着くのは湯治。恐らく心因的なストレスから逃れられる空間として、私の本能が求めているのだろう。
この時期、特に求めるのは温湯。熱い湯は交感神経を刺激してしまい不眠が悪化することもある。以前から我慢のし過ぎ、症状が悪化する前に手を打つようにと医師からも指摘されている。
ジリ貧の状態なのは身体が良く分かっていた。ほとんどノーアイデアの状態で、急遽ワーケーションに発つことを決めた。次回の大学病院での検査は7月末、それまでに戻って来ればよい。
ここ数日間の睡眠不足から、車の運転は危険と判断。数年振りに、愛車「1126(イイフロ)号」を捨て、鉄道で高跳びすることに。実に数年振りの電車旅だ。愛車には自炊道具などが一式積載され、湯治用スペックに仕上がっている。思い出のそばにはいつもこいつがいてくれたが、今生の別れになる訳ではない。暫しのお別れ。
駅から近く、温湯があり、住まい(さいたま市)から3時間程度で行ける温泉。生活するに困らない食堂やコンビニがあり、当然wi-fiが入る環境でなければならない。候補は、意外とあっさり2カ所に絞られた。
磐梯熱海温泉(福島)、下部温泉(山梨)のどちらかしかない。いや、確か下部は、コンビニがない。駅前にお土産屋みたいなのがあるが、弁当類がなかったはず、、
じゃらんで検索すると、磐梯熱海に当日素泊まりで入れる宿があった。
4連休もあるため、まずは2泊を押さえた。あとは、現地で探す。
湯治生活に慣れると荷物はかなり軽装。準備は10分もあれば整う。鞄一つにノートPC2台を詰め、着替え類も最小限。現地のランドリーや宿の洗濯機で間に合わせるのはお手の物。
12時過ぎ。鞄一つで北へと飛んだ。節約のため、鈍行で。
令和3年7月19日
<次回はこちら>
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