湯治場で、年を越す④【高東のご主人と女将さん】
<前回はこちら>
高東旅館初日の夜、夕支度をしているとご主人が部屋の前にお見えになった。一時体調を崩されたと聞いたがお元気そうで、変わらず端然としていた。
私 「お世話になります。今回も長くなりますが」
主人 「年明け2日から先、同じ部屋で押さえておきましたよ」
私 「恐れ入ります。急なお願いで」
主人 「とんでもない。これが仕事ですから」
こちらに来てから直接お願いした2日と3日の予約。元々確保していた4日~7日の部屋と、引越しが発生しない様に部屋組を調整してくれたようだ。
上がり框を挟んだ廊下と部屋での会話。
続いて放たれたご主人の一言に、私は狐につままれたような感覚に陥った。
主人 「ヨシタカさんの紀行文、いつも見てますよ」
私 「えっ??」
一瞬フリーズした後、意図せず「申し訳ございません」と謝辞が口をついて出た。私は部屋から飛び出し戸を閉め、廊下でご主人の正面に立ち背筋を伸ばした。
度々記事にしていた「高東旅館」。宿の評価を下げるようなことを記した覚えはないが、失礼な表現等なかったか頭を巡らせた。無許可で掲載してしまったことも気になった。
私 「すみません。勝手に掲載してしまって」
主人 「大丈夫ですよ。面白いのでお気に入り登録しているんです」
「文章力がありますね」
私 「はあ、、」
安堵と恥ずかしさが同時に押し寄せた。
長く続けていればどこかで読者と出会うかも、、そんなことが過ったこともあった。だがまさかリアルで邂逅した初の読者が、高東旅館の館主になるとは・・・
私 「差し支えなければ。どうして私の記事に気付いたのですか?」
主人 「うちに来るお客さんが教えてくれたんですよ」
「高東さんのこと、一生懸命に書いてる若者がいるってね」
私 「そうでしたか。拙筆、お恥ずかしい限り」
note初投稿から半年、始めたキッカケは完全にリハビリだった。
今年の春先、激痛で寝たきり状態になり一時指の感覚がなくなった。日によっては午前中は箸も使えない。部屋からも出れなくなり、社会復帰を果たすためにアウトプットの修練も兼ねて指を動かしてきたのだ。
半年前まで無縁だったSNSの存在。無限の可能性と共に、どこで広がるか分からない危うさを感じた瞬間だった。もう少しまともな文書を書かねばと緒を締め直した次第。
相変わらず清潔に管理された炊事場。大したものは作れないが、ここでは毎日自炊をする。湯治客と毎日顔を合わせ、名前も伺ぬままいつしか親しくなる方も。
両者には「高東旅館を敬愛している」という同胞意識があるためか、スムーズに親交が深まることも。そう言えば、以前一緒に滞在したことのある「ただけん」さんもその一人。
私の記事をどこからか見つけたらしく、こちらでお別れしてから数か月後、「あの時一緒だったものです」と、投稿記事にコメントをいただいた。
お互い名前も名乗らぬままだったが、文面から一瞬で判別できた。
宿を発つ瞬間、突然スコールの様な豪雨に撃たれ、外を見つめ呆然としたことをハッキリと覚えている。
二人でよく会話をした「健康娯楽室」。
南向きの部屋には大きな窓から陽が入り、田圃の遠くに山が見える。度々テレワークスペースとして利用させていただいた。
和室で胡坐を組みPC作業を続けると、どうしても全身に痛みが出てしまう。この娯楽室にはソファーとテーブル、椅子も数種類備えてある。私にとってはここが最高の仕事部屋だった。
疲れが出ると源泉に浸かり、身体を温めてからストレッチをして業務に戻る。家や職場では激痛で手が付かなかった業務も、ここでは順調に進む。
勿論他のお客さんがいる時は、互譲の精神を忘れずに。
本旅到着初日は所属部署の全体会議があり、遂にここでテレビ会議をも行った。まさかこの部屋がこんな風に利用されるとは、ご主人も女将さんも想定していなかっただろう(無論私もこんな時代が来るとは、、)。
陽が落ちると少々冷え込むので、夕食後は部屋でプライベートの時間。初日の21時頃だった、部屋の外から女将さんの呼ぶ声が聞こえる。
戸を開けるとL型の座椅子を持った女将さんの姿が。
女将 「背中が痛いでしょう。椅子使って」
私 「すいません、お気遣いいただいて」
半年前、和室で胡坐だと身体に痛みが出ると女将さんに話したことがある。そのことを覚えていてくれたのだろうか。
冥利に余る厚遇に、ただただ驚嘆するばかりの高東初日だった。
令和3年12月27日
<次回はこちら>